メビック発のコラボレーション事例の紹介

デザインという武器を携えて未知なる市場を開拓する
小型モーションシミュレーターのデザイン

ANTSEAT
簡単に持ち上げられるコンパクトさと生活空間になじむデザイン。さらに省エネ設計も実現している。

超小型ライドマシンが誘う究極のVR体験へようこそ

VR元年と騒がれた2016年からはや5年。昨年のクリスマスには、VRヘッドセット「Oculus Quest 2」が発売以来の最高販売数を記録。ゲームタイトルも年々増えライトユーザーにも浸透してきている。そうした下地が整い「真のVR元年」と呼ばれる2021年、これまでにない家庭用超小型ライドマシン「ANTSEAT」が登場した。特殊構造により企業向けモーションシミュレーターと同等以上のピッチロール角度と、インテリアにフィットするサイズ、そして低価格を実現。ドライブシミュレーターならレーシングカーのリアリティあふれるエンジン、フライトシムなら飛行機のコックピットに伝わる振動など、モーションによる体感を増長する振動システムが導入されている。またよく聞く「VR酔い」も解消されるという。VR酔いの原因は感覚の不一致。つまり人間の体が感じる感覚と映像で受ける刺激が一致しないのが原因で、この差が大きすぎるとさまざまな不快感が起きるという。それも「ANTSEAT」に座り体感を加えることで自然な動きととらえるため、VR酔いが起きないのだ。開発したのはVR / ARのエンタメ企業として、「しのびや.com」の社内ベンチャーとしてスタートしたWIZAPPLY。自社製作の産業用モーションシミュレーターを大手アミューズメント施設に納品し、その反響に手応えを感じていた。代表取締役の西岡右平さんの胸中に「これを家庭用として販売したい」という想いがいつしか芽生え始める。

「ANTSEAT」のプロトタイプ
蛭間さんが手がける以前のプロトタイプ。無機質で娯楽施設用のものを小型化した印象が強い。

インテリアにフィットするデザインを求めて

家庭用となるとコンパクトでデザインも良くなければならない。社内でプロトタイプをつくり始めてはいたが、産業用機器しか製造経験がないため、鉄による無機質なデザインが限界。今回は室内のインテリアに溶け込む、自然なデザインが求められた。西岡さん自身、デザインの重要性に理解がある。「ものがあふれている現在は、機能はもちろんデザインの良いものが選ばれる時代。これからデザイナーの存在感はもっと大きくなっていく」。そこで人を通じて紹介され、メビックでクリエイター募集プレゼンに挑む。家庭用プロダクトのデザインをともに進められる人を募集した。面談後、n8 Design Studioの蛭間典久さんに依頼することとなった。「自分自身、昔からゲーム好きで新しもの好きでもあるので、VRも個人的に楽しんでいました。それとずっとやってきた家電のデザインにも近く、なにより“今までにないものをつくる”ことに興奮しました」

以前は地元・和歌山で公務員として勤め、28歳でデザイナーを志したという異色の経歴を持つ蛭間さん。本で見たデンマークデザインのアルネ・ヤコブセンの椅子に惹かれて、プロダクトデザインの道へ。独立以前は大手家電メーカーでテレビやプロジェクターのデザインを手がけてきた。「テレビってただの四角い箱だと思っていたんです。しかし実際携わってみると、ベゼルの幅だとかバランスの取り方とか、ものすごくデザインするところがあって勉強になりました」

使用例
椅子や床の上に置いて使用可能。ゲーム内における車や飛行機の動きに合わせて座面が動き、臨場感がアップ。

樹脂成形の知識を活かし、設計の工夫でコスト削減

翌月には契約を交わし、コラボ始動。12月には最初の提案がなされている。8案ほどのラフスケッチから路線を決め、ブラッシュアップを重ねていった。「量産時のコストなども加味していき、形が見えてきました」(西岡さん)。コストを左右するものに金型の存在があるが、上部と下部をつなぐ部分の樹脂をひとつながりのパーツにすると、金型が大きくなりコストが跳ね上がる。それを樹脂成形の知識もある蛭間さんの「パーツを同じ型に8分割する」案で問題を解消した。さらに「これをきれいに見せるのが、ぼくの仕事なので頑張りました(笑)」(蛭間さん)

「ANTSEAT」のパーツ
同じ金型で取ったパーツを並べ方を変えて、コストダウンしながらデザイン性をもたせる方法がとられている。

2週間に1度の頻度で打ち合わせ。ラフの段階から密に話し合いながら完成に近づけたので、一緒につくり上げた感覚があるという。「試作ができて歪みが発生したら、すぐに蛭間さんに伝えて設計を見直してもらったり、柔軟に対応していただけました。プロダクト専門でない方がデザインすると見た目は良くても、量産時に問題が生じることもある。その知識もある方なので安心して任せられました」。西岡さんはそう振り返る。

昨年6月にはほぼ現在の形に。その後は量産の準備に取りかかる。基本コストを抑える製造法を選択したが、インジケーター部分は3案の中から蛭間さんの希望する案が通った。まずはレーザーカットのみのフラットなもの。次にエッジにRを取ったもの。そしてパーツを2つに分ける案。コスト優先で導かれた先の2案は、蛭間さんが試作したところ納得いくものがつくれなかった。そこでパーツを2つに分け、フラットなパーツに商品名をUV印刷し、それをはめ込むパーツを組み合わせる方法を提案。わずかな違いに思えるが、これだと高級感が漂う。「メーカー在籍時、ほとんど同じような筐体を並べられ、どれが良いかを聞かれることがあって。何が違うか分からないのに不思議と最善のものを選んでいるんです」。わずか数ミリの工夫が人に与える印象を変える。そんな経験が随所に活かされている。

パーツを2つに分け、フラットなパーツに商品名をUV印刷し、それをはめ込むパーツを組み合わせたインジケーター。

パイオニアとして新しい世界を広げていく

ゲームの没入感を極めようと思えば、アミューズメント施設にあるような装置が必要だが、価格も高価で家庭での導入は難しい。海外では一部愛好家が自作しているような状態。つまり家庭用モーションチェアはポテンシャルを秘めた未開の市場といえる。「だからこそこの製品を手に、市場ごと自分たちで開拓していく面白さもある」と西岡さんは語る。1月末に予約を開始し反響も上々。とはいえ試乗しなければ使い心地が分からないため、今後は体験会を開催予定。また動画による情報発信などの広報活動も考えている。

社内で決めたネーミング「ANTSEAT」には、アリのように黒く小さく凄いパワーがあるマシンとの想いが込められている。ちなみに最初に挙がっていた案「ANTCHAIR」は、偶然にも蛭間さんが敬愛するヤコブセンの名作椅子の名前。なんとなく運命を感じてしまう。今後はフィードバックを受けて進化した次号機に向けて、一緒に動き出したいという。かつてのOculusがそうであったように、「ANTSEAT」もいつか歴史に名を刻む名機になるかもしれない。

集合写真
蛭間典久氏(左)、西岡右平氏(右)

WIZAPPLY株式会社

代表取締役
西岡右平氏

https://wizapply.com/

n8 Design Studio

プロダクトデザイナー
蛭間典久氏

http://n8-designstudio.com/

公開:2021年6月14日(月)
取材・文:町田佳子氏

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。