デザインとは? その役割を考えながら
本田 隆氏:(有)オフィス ティ

「今までがむしゃらに目の前の仕事をしてきましたが、今さらながら『デザインって何やろう?』と考えるようになりました」と話すオフィス・ティ代表の本田さん。郷里の広島にいたころから「手に職をつけたかった」と地元で美術の勉強をし、その後、大阪芸術大学に進学したのを機に大阪へ。以来、ずっと大阪を基盤にグラフィックデザイナーとして第一線で活躍されています。

プロの仕事にカルチャーショック

大阪芸大では「中島らも氏と同期でした」という時代。卒業当時はオイルショックの影響で就職事情が厳しいなかで「何とかもぐり込みました」とデザイン会社へ就職されました。そこは、社長以下3名という小さな規模の会社でしたが、バリバリのクリエイター社長に厳しく仕込まれ「鍛えられました」と話す。

「大学で学んだのとは全然レベルが違いました。例えば、写真撮影ではライティングも決めてカメラマンに指示を出すとか、ラフをマーカーでささっと描くとか。またその絵も上手く、プロフェッショナルな仕事にカルチャーショックでした」と、初めて就いた「師匠」のすごさを振り返ります。

独立以来ずっと「このクリ」

その後「環境を変えたかったので」と新天地を求めて5、60人規模の制作会社に移ります。しかし「まるで自分が歯車の一つのようでなじめなかった」と30歳で独立。当初は一緒に仕事をする「相棒」がいて、その人のオフィスの一角を間借りしてのスタートでした。たまたまそのオフィスが南森町にあったことが、この街で仕事をするキッカケに。当時は「写植屋さんや版下屋さん、写真事務所が近くにあったので何かと便利でした」という事情も。「本当は阪神高速の南森町より西へ行きたいんやけどね」と、梅田にオフィスを構えるのが夢だそうですが「いまだに叶いませんわ」と夢も半ばだそうです。

現在は、東京にも拠点を置いて7名の態勢。経営的にはコピーライティングや写真、Webなど関連業にも手を広げる選択肢があるものの、「自分がデザイナーなのでデザインだけでやって行きたかった」と、ずっとグラフィックデザイン一本。「時代の流れで、もっとシステマティックにしていかないと、と思うのですが」と言いつつ、クライアントの業界ごとにルールや決まり事もあり「その分野で専門の人の方が優秀だから」と、デザイン以外はすべて外注されます。

デザインを求めないクライアント

最近、本田さんは「デザインを求めてないクライアントが増えてきた」と感じるとか。「今、モノを売るのは広告だけでなく『仕掛け』の時代に入ってます。みんなデザインでモノがバカ売れするとは思ってないんです」と、改めてデザインの果たす役割を考えるようになったそうです。

「モノが売れるとか売れないではなく、ブランドの色づけをするのがデザインだと考えています。高級ホテルには高級ホテルのデザインがあって、安売りのスーパーマーケットには安売りスーパーマーケットのデザインがある。そういう色をつけるのがデザインで、そのためにコミュニケーションを図って一緒に作って行くのが理想です。デザイナーも『このデザインの方がカッコいいですよ』と言ってるだけではダメなんです」。

表現者と経営者の狭間から新たなステージへ

本田さんも「仕掛け」である企画の段階から入るようにしているそうですが、「企画の根っこの方に関わる方が面白いですが手間ひまが掛かってお金にはなりにくいです。頼まれたものに絵(デザイン)を描いて渡しているだけの方が簡単にお金にはなります。表現者と、経営者としてのギャップを考えます」。

そんな立場の狭間からか、これからは「こんなのを作りたい」と、自主プレゼンをして行く方向も考えておられます。「クライアントと『あぁじゃない、こうじゃない』と、やりとりしながら作るのが理想です」。

ガリガリ、バリバリと目の前の仕事をしてこられた反動か、より楽しい仕事、やりがいのあるデザインを求めつつ、改めて「デザインとは何か?」を考えるようになったそう。独立されて25年、これからさらに違うステージへ向かわれます。

公開日:2008年02月21日(木)
取材・文:福 信行氏