驚異のコンペ勝率。めざせ!社員全員一千万プレイヤー!
米山 研一氏・中畑 美智子氏:(有)パート・ツー


パート・ツー代表の米山さん(右)と中畑ディレクター(左)

クリエイターとしての目標のひとつ「一千万プレイヤー!」。この言葉は一昔前にはよく聞いたものだが、誰もが元気をなくしてしまった現在、とんと聞くことがなくなっていた。大阪市北区中津に瀟洒なオフィスを構える「有限会社パート・ツー」さん。代表の米山さん、ディレクターの中畑さんへの取材で、久しぶりにこの言葉が飛び出した!うーん、素晴らしい!

キャリア40年以上の米山さん、ミスター・クリエイターと呼ばせていただきます!


キャリア40年以上のベテランデザイナー、米山さん。

パート・ツー代表の米山さんは昭和24年生まれ。現在63歳にしてバリバリ現役のグラフィックデザイナーだ。
「大阪でデザインの専門学校を出て、20歳で制作会社に就職しました」これが1969年。大阪万博の直前で、実際に米山さんは大阪万博の仕事も手伝ったという。
「その後4年間東京で働き、また大阪に戻ってきて、すぐにフリーになったんです。最初は知人のイラストレーターと同居していたんですが、あっという間に忙しくなって…」
時代はまさに80年代からのバブルの前夜。いくらでも仕事があった時代である。私も実は少し経験しているが、何もしなくても毎日、依頼の電話がかかってきたものだ。
「だから営業をして仕事をとってくるなんて発想はありませんでした。むしろ手が足りない、できないから断るのに忙しくて」これは決して大げさな表現ではない。本当にそんな時代があったのだ。
しかしやがてバブルは崩壊し、仕事は少しずつ減っていく。「パート・ツー」は最大時スタッフ13名、コピーライターだけで3名もいたという。プロダクションとしては大所帯である。
「スタッフがいるのに仕事が減って困っていた時、ちょうど阪神大震災があったんです。当時、住まいが夙川だったので、悲惨な状況をたくさんみました。この苦しみに比べたら、私の悩みなど…」
それで思い切って一度、オフィスを解散したのだという。スタッフに仕事を分け与え、Mac1台だけを持っての再スタートだ。だが米山さんには不安はなかった。これまでやってきた仕事の実績と自信があったから。そしてその頃、ディレクターの中畑さんとの「運命の出会い」を迎える。

敏腕ディレクターの中畑さん、実はパート・ツーのシャドウ・キャビネット?


元気いっぱいの才女、中畑ディレクター。

中畑さんは外国語大学の短大を卒業後、いくつかの職業を経験して、大阪は南森町の編集プロダクションに入社。ライターとして7年ほど仕事をしていたという。
「広告の仕事がしたかったんです。ライターからコピーライターになりたかった。それでお仕事で知り合った米山さんのところに、お願いして移籍させてもらったんです」
なぜ広告の仕事に惹かれたんですか?
「ライターとして書く文章は、しっかり事実を積み重ねて、じんわりと効いてくる感じが望ましいと思っていました。やっていたのが医療系など硬めの仕事だったこともありますけれど。でも広告のコピーは、一瞬しか見てもらえないので、もっと短く、インパクトや惹きつける力が必要。そういうところで勝負してみたかったんです」
また中畑さんはビジュアルを考えることも得意だという。元もとディレクターとしての資質を兼ね備えていたのだ。パート・ツーでその能力が見事に開花。入社して8年、コピーのみならず、プランニングディレクターとして、さらには経理も担当しているというから、まさに八面六臂の大活躍だ。

驚きのコンペ勝率、ポイントは「ニーズを汲み取る力」にある

代表者にしてベテランデザイナーの米山さんと、元気いっぱいの才女、中畑さんが中心となる「パート・ツー」は、現在総員4名。広告の企画から制作全般をカバーし、コンペとレギュラーの比率は7対3くらいだという。そしてそのコンペの勝率が異常に高い。
「はっきりとは申し上げられませんが、7割くらいは勝ってきました」と胸をはる中畑さん。これは驚きの勝率だ。そのため「この案件はコンペだからパート・ツーさんに依頼しよう」というケースも多いという。
「まずはクライアントの言葉と、その言葉の先にある想いを、どれだけ汲み取れているかがポイントだと思います。それからコンペだから流してやるということはしません。確定した仕事と同じように全力投球です」
これはクリエイターとしては難しいところである。全力投球してコンペに臨んでも、勝てなければゼロになってしまう。そのことで悩まないクリエイターなど皆無だろう。
「そのリスクはあります。だから安定のためにはレギュラーが多い方が望ましいんです。私たちも積極的にコンペを望んでいるわけではありません(笑)。ただコンペにチャレンジして、勝利することを楽しんでいることも事実ですけれども」中畑さんの言葉はとにかく明るくて前向きだ。


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社員全員一千万プレイヤー!それだけの価値ある存在になりたい

「それからこの頃、ものを言わないプロダクションもあるように思うのですが」と米山さん。
ものを言わないとは、クライアントの変更依頼などを、理由を問わずに聞いて、言いなりになってしまうという意味だ。「うちはそうではありません。なぜ変えるのですか?と必ず理由を掘り下げます。だからうるさいプロダクションです」
変更には必ず理由がある。それを掘り下げることにはどんな意味があるのか?
「別に文句を言っているわけではないんです(笑)。変更の事情や目的が分かれば、別の提案ができるから、それを知りたいのです。そういうことなら、こうすればどうでしょう?とより良いものを作ることができますから」
ものを実際に作るクリエイターは、クライアントと同じように、制作物に大きな思い入れを持っている。より良いもの、よりご満足頂けるものを作りたい。ユーザーの好感度をより向上させたい。そのこだわりが「うるささ」になるのだという。
そしてここで、元気いっぱいの中畑さんから、冒頭の言葉が飛び出したのだ。
「私たちの目標は、めざせ!社員全員一千万プレイヤーなんです。パート・ツーさんなら大丈夫、というご信頼をいただき、それだけの価値を認めていただける存在になりたいのです」
そうなんですよね!広告というものは、元来が明るくて元気で前向きなもの。景気が悪いからといって、作り手までが元気をなくしていてはいけないのです。経済に関係なく、心は前向きでまいりましょう!


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経営には興味がない。生涯現役のクリエイターでありたい。

最後にパート・ツーさんの今後について聞いてみた。しかし米山さんは「うーん」と唸ってしまわれる。
「僕は経営ということには本当に向いていないんですよ。今は有限会社ですが、たとえば株式会社にして、もっと大きくして、みたいなことは興味がないんです。自分がクリエイターとして作品を作り続けたいだけで、管理職にまわるなんて論外です」
確かにクリエイターといえども、ある年代になると現役を退いて、管理する側になるケースも多い。米山さんはそうではなくて、生涯、現役のデザイナーを続けたいという。
「だから事務所をどうしたいという目標はありません。この仕事を続けることそのものが目標です。僕はこの仕事につくことができて、本当にラッキーだったと満足しています。この先もずっと、この満足を捨てるつもりはないですね」
では最後の最後に、ベテランデザイナーとして、若いクリエイターにメッセージを頂けませんか?と聞くと、米山さんはまた唸ってしまう。
「僕の来た道は僕だけのものですから。僕は誰からも教わらなかった。先輩の仕事をみて盗んで、勝手に覚えろ、という中でやってきました。だから誰かを育てたこともありません。中畑ディレクターも、僕が育てたというより、勝手に育った、という感じなんです」
為になる便利な言葉などありませんよ、ということのようだ。
「僕は今でも現役で、事務所に泊まりこんで仕事をしています。毎日毎日、これでええんやろか?と悩みながらやっている。今の若手の方はまた違う道だし、歩み方も違うでしょう。先輩ぶって言えることなどないですよ」
いえいえ、言葉はなくても、好きな仕事を生涯続けていく米山さんの存在そのものが、若い人たちには大きな刺激となり、励ます力になると思いますよ!ありがとうございました。

公開日:2012年11月01日(木)
取材・文:上間企画制作室 上間 明彦氏