映像の世界を羽ばたく“スーパー”な不死鳥
増田 肇氏・渡辺 亮介氏:SUPER PHOENIX

テレビCMをはじめ、キャラクターアニメーション、ミュージックビデオ、各種プロモーション映像等を企画から制作まで手掛けるSUPER PHOENIX(スーパー・フェニックス)。専門学校時代からの旧友だというメンバー3名からなる個性豊かなユニットとして、映像の世界で活躍中だ。ユニットという形態になった経緯やこれからの展望を、増田肇氏と渡辺亮介氏に話をお伺いした。


増田肇氏


渡辺亮介氏

SUPER PHOENIX(スーパー・フェニックス)の誕生秘話

SUPER PHOENIXのメンバーである3人は、専門学校時代に出会ったという。
「ある時、学内でイベントをすることになってチームを結成したのが始まり。企画が得意な井上和樹氏が「名前決めよう!」と言いだして…それで『SUPER PHOENIX』と命名しました。卒業してからは、それぞれに仕事をしていたのですが、僕が3年ほど前にフリーランスになったので、これを機会にまた『SUPER PHOENIX』として集まってなにかやろうということになったんです」と増田氏。
当時、渡辺氏はインテリア学科だったが、この交流で映像へ興味が向かった。「一緒に遊んでいるうちに「映像って面白いな」と思うようになって。学校を卒業してからも、先生の厚意で映像学科の授業を受けさせてもらったりしていました。その恩師の下でVJ(ビジュアルジョッキー)の経験をするようになり、そのまま映像の世界へ」。

3年前にまた一緒にやろうという話になった時、学生時代に命名したSUPER PHOENIXでいこうと決めた。鳥の中でも最上級のフェニックス(不死鳥)に、更に“スーパー”が付く『超・不死鳥』…。これ以上のネーミングは浮かばなかったと両氏は言う。


現在のスーパーフェニックスができた頃。仲の良さは相変わらず。

映像の世界を、それぞれの道程で経験を積んでいった

増田氏は、1998年に専門学校卒業後、大阪のCMプロダクションへ。退職後、2001年にニューヨークに約1年間留学。帰国後は、東京でCGの仕事に携わる。その後、ミュージックビデオの会社を経て東京のCMプロダクションに入社。後に大阪支店に移り、2010年頃にフリーに転身することになる。
「僕は考えずに行動するタイプ。後で落ち込むことも多いけれど…。留学も、特に海外に憧れていたわけでも、特別に勉強したことがあったわけでもなかった。流れの中で気がついたらニューヨークに行っていた(笑)。また、フリーになろうとは考えていなかったのですが、人生一度きりだし、フリーランスがどんなものか経験してみようと思いました」。

一方、渡辺氏は増田氏と真逆の道を歩んだのだという。
「就職はしたことがないんです。バイトをしながら月に一度のVJをやってたのが、少しずつお金を貰えるようになっていって…。もともと映像学科の先生の紹介でVJをするようになったのですが、それが一流DJや業界人が集まる人気のイベントで。刺激があり、いろんな経験もしました」。
当時は映像を仕事にするつもりもなかったという渡辺氏。しかし、次第に映像の面白さが分かるようになり、プロとしての自覚も持つようになっていった。

あまりにも対照的な二人にお互いの印象を訊ねてみると…
「確かに彼(増田氏)は、どこか怖いもの知らずでじっくり考えて行動するタイプではない印象。でもニューヨークから帰ってきた頃には少し変わったと思います。今はどこか落ち着いた感じも」と、渡辺氏。
方や増田氏は、「僕は、渡辺氏は精神力の強い人だと思う。自分がフリーになってみて感じるのは、やはり会社員と違い仕事が不安定だということ。だから、渡辺氏がずっと個人で仕事を続けている精神力は凄いなと思っています」。
両氏は、自分にはない魅力を感じているようだ。

SUPER PHOENIXだからできること。そして、これからのこと

対照的且つ個性的な両氏は、SUPER PHOENIXを名乗りながらも基本的には個々で仕事をしている。ならば、どこにSUPER PHOENIXとしての意義や良さがあるのだろうか。

「違う個性が同じ屋号を持ち、やっていくというメリットは無限大。僕はアニメーションが得意じゃないけれど、渡辺氏の得意分野だから、そのような案件がきても受け入れることができる。自分が10しかできないことを、彼の10を足して20できるよ、と言える」と増田氏。また、渡辺氏は「僕の場合、横の繋がりは結構あるけれど、彼のように企業で働いていた経験があると縦の繋がりも強い。そういうネットワークの強さは、なにかあれば頼ることができます」と、話す。

映像を流す媒体は増える一方でも、作品の一つひとつの単価はどんどん下がっている。それに合わせていくべきなのか、自分が決めたラインを守る方が良いのか…。とにかく単価の低いネットにひっぱられているというのが、この業界の致命的なところだという。「低い方に合わせていくと、仕事量が増えるだけで辛い。自分の立ち位置をどうするかが重要になってきますね」。

「僕は大きな企業での仕事も経験しているので、どんな規模の案件でも対応が可能。クライアントの窓口になって予算レベルに応じた、ディレクションから制作までを一本化できるのが強みです。また、各分野の立場で物事を考えられるのでスケジューリングもスマートに組むことができるんです」と話す増田氏と、「僕の場合は造形もやっているので、アーティストや作家さんとの繋がりも結構あり、共同で展覧会や上映会などのイベントに参加しています。例えば、茶屋町でのキャンドルナイトのイベントにも毎回造形作家の方と一緒に作品をだしたりしています。いろんな環境のなかで、様々な分野を組み合わせて面白いことがもっとできるのではないかと考えています。自分がやりたいことで廻っていくのが一番幸せじゃないかと思っています」と述べる渡辺氏。
“互いの能力”を“必要な時に必要なだけ”合わせることで、これからの映像業界での活躍を目指す。

「お互いないものを持っている感じだけれど、そこで井上氏も含めて僕達がなにかの拍子になにかの案件にハマれば凄いことになると思います」と、両氏はこれからのSUPER PHOENIXに大きな期待を寄せている。

公開日:2012年11月12日(月)
取材・文:Phrase 久保 亜紀子氏
取材班:辻 美穂氏