時にはブースを飛び出して外部の刺激をもらうようにしている
畑中 ふう氏:RADIO HAAFUU

4年間のサラリーマン生活を経て、ナレーターになった畑中さん。関西ローカルのバラエティ番組で声を聞いたことのある方はたくさんいるはず。事務所を訪ねると、ラジオ録音のマイクが4本。「このインタビューをそのままラジオで流して良いですか?」という畑中さん。そんなわけで今回のインタビューは、文章とラジオでお楽しみください。文章の最後のURLでラジオを聴くことができます。

取材風景

脱サラ→東京進出の原因は、
タモリさんの弟子になりたくて?

テレビに興味があったので、大学では放送部に入部した畑中さん。「制作に興味があったのですが、ひとつ上のきれいな先輩に『畑中くん、いい声してるやん、アナウンサーみたいなことやってみぃひん?』って言われて。今となってはそれがナレーターになるきっかけですわ(笑)」

就職活動ではテレビ局の制作を中心に回ったものの、なかなかうまくいかなかった。
「卒業間近に先輩に小さな広告代理店を紹介してもらいました。競輪・競艇の仕事をしており、そこで実況ができる人材がほしいということで。だから最初の仕事は競輪の実況でした」。

声の仕事だけではなく、営業や制作も担当していた。
「給料もそない悪くなかったし、よかったなぁ〜。でも4年経って、ほかにもやりたいことがあったので辞表を出して辞めました。とりあえず東京に行かなあかんと思ったんです。タモリさんの弟子になろうと勝手に思っていましたね(笑)」。

下北沢に四畳半一間のアパートを借り、サラリーマンの頃の蓄えと競艇の実況のバイトで生活をしていた。
「タモリさんの弟子は即断念しました。家まで探して、『いいとも!』に行かはる時間も分かっていたんです。ベンツが走っていく後ろから自転車で追いかけて。信号待ちの時に車の横に行ったら、タモリさんは新聞を読んではりました。『うわぁこの人かぁ』って思って。信号が変わって発進しだしたら、すぅーっと坂をね、ふわふわと上がって行かはったんですよ。あの坂がとてつもない坂に見えたんです。まぁ根性がなかったいうことですわ(笑)」。

畑中氏

そして小さな劇団に入って練習に参加し、テレビに近いところで活動した。
「まだ売れる前のB21スペシャルとかもいて、2回ぐらい公演しました。お笑いのコメディハウスなんかにピンで立ったりとかそんな感じで過ごしていました。そのときはもう28歳ぐらいで、お笑いの世界の競争率も激しいですし、ここにこのままいてもやばいと思ったんです。大阪に帰ってまず飯を食えるようになろうと、やっとまともな考えになったんですよ」。

ABCナンバ壱番館の番組現場が
ナレーターとしての大きな転機となった。

大阪に戻り、大手のタレント事務所で新しいスタートした畑中さん。最初からナレーターにしぼっていたわけではなく、結婚式の司会やイベントの司会、ナレーションの仕事などさまざまな声の仕事をはじめた。その後、フリーになってからはナレーション一本に絞ったそう。

京都のFMラジオαステーションでDJの仕事も経験した。
「ラジオですからまぁまぁ自由じゃないですか、トークもそれでちょっと楽な感じをつかんで、あ! こういうふうに喋ったらいいのかな、こういうふうにナレーションをしたらいいのかなというのを感じました」。

その後、転機となった番組がある。
「ABCのナンバ壱番館って番組がありまして、その現場がまた非常に熱い現場だったんでね。夜9時ぐらいに一応映像が上がってきて、そこからナレーションを入れていくんですけど、担当のディレクターが持って来たナレーション原稿を、まずチーフディレクターの立場の人が見て、わーわー言うて、そこでディスカッションが生まれるんです」。

畑中氏

その作品についてそれぞれの熱い思いがあるので、担当のディレクターもアツい意見をぶつけていた。ナレーションの立場からも意見を出せる環境だった。
「意見を言い合える現場でありましたし、また番組自体が芸人さんの波瀾万丈な人生を伝えるものだったので、これほどいっしょくたに、一緒につくっている感覚を持たせてもらった現場はないですね」。

最近のテレビに違和感を感じる部分もある。
「CM前に、この後にものすごいことが! とか、流行った時期があったじゃないですか。あれは自分もテレビを見てて腹が立つわけですよ。それを俺がナレーションで言うたらあかんやろと思って、この後ほんまにおもろいことあるんかとスタッフに聞いたりしていました(笑)。誠実さというのか、騙することなく、ちゃんとどう向き合うかとかそんなところがテーマではないかなと、思ってやって仕事していますね」。

異業種のクリエイターとのコラボも
大事だと考えている。

去年ぐらいから、意識的に人前でのライブを開催するようにしているという。
「僕らどうしてもブースの中だけの話になるんで、ちょっとそこに限界を感じています。
他から刺激もらわないといけない。それでやっぱり人前でやったときに、どこまで自分のナレーションを作っていけるのかを経験しないといけないなあと思ったんです。僕らナレーターは、ナレーターのアプローチの中からどれだけのものをつけ加えて、自分の中で消化して、出せるようになるかというのが大きなテーマですね」。

畑中氏
打越元久さんとの
RADIO HAAFUU LIVE in 重誓寺
の様子。

落語などにも関心があるという。
「人前でひとりで語って世界を作るというものが、僕らがやる場合どうやってったらええのか試してみたい。いわゆる語りという世界の中で、どんな風に自分のナレーションが作っていけるかというようなところを最近テーマにしてますね」。

きっかけはメールマガジンからはじまった。
「もし声が出なくなって、それでも生きて行く意味というのか、最終ベットの上でもできるのは何かと考えたらそういうことかなと思って。なんで思ったんでしょうね(笑)。blogも文章の練習でもあるんですけど、自分の形というか、自分が一番書きやすくて自分で納得できるようなものってどこにあるのかということを探す意味ではじめました。ネットラジオでは他のナレーションの方をゲストに呼んだりして遊んでいます」。

異業種のクリエイターとのコラボも大事だと考えている。


haafuu.com

「自分で自分の良さってなかなかわからないからこそ第三の視点が必要でしょうし、関わり合いが大事やいうのはそこやと思います。世の中が硬直化してると、そういう関わり合いで広がっていたはずのものが狭くなってるような感じがしますね。特に僕がいる業界はそんな感じがします。もっと業界が元気だったときはラジオCMなどは非常に面白い現場だったと思います。そこが今ね、ちょっと弱くなっているので、自分らでなんかやっていくしかないやろと思うし、ナレーターだけでやってるとやっぱり世界が狭くなるので、いろいろと他の業界の方とのコラボもつくっていきたいと思いますね」。

このインタビューをラジオで聴くには、下記サイトまで。
ふう聞ふう談 vol.82「畑中ふうに取材篇・その1」
ふう聞ふう談 vol.83「畑中ふうに取材篇・その2」
ふう聞ふう談 vol.84「畑中ふうに取材篇・その3」

公開日:2009年02月25日(水)
取材・文:狩野哲也事務所 狩野 哲也氏
取材班:株式会社ファイコム 浅野 由裕氏、株式会社ショートカプチーノ 中 直照氏