一つの物では無く、トータルな世界観を表現していきたい。
黒田 武志氏:オフィス・サンドスケイプ

小さな工場が立ち並ぶ長柄にデザイン事務所がある。扉を開けると舞台模型が目に飛び込み、本棚にはびっしりと海外の雑誌が並び、ご自身のオブジェ作品が、事務所のあちこちに並んでいる。元銭湯の脱衣所を改装したらしく、天井も高い。まるで芸術家の工房のような事務所の主、黒田さんにご自身の活動についてお聞きしました。


事務所内の様子。中2階あり。


維新派の舞台模型

レオナルド・ダ・ビンチ、北大路魯山人のようなスタイルに憧れた。

「高校がデザイン科で、その頃はイラストを描いていたのでレコードジャケットとか小説の表紙を描きたいと思っていましたが、専門学校に行って、もっとうまい人がいてあきらめました(笑)。ただ、小さい時から工作やロゴマークを考えるのが好きだったので、デザインの世界に行こうとは思っていましたね」。

デザイン事務所で3年間、広告の仕事をはじめ、その後、内装やパッケージなどの立体物を制作している事務所で1年間働いた。

「例えばブティックの内装は先輩が担当して、僕がロゴやDMをデザインするという感じでした。それだけでは自分の中で物足りないものがあり、仕事をしながら専門学生のときに知り合った劇団とか、音楽雑誌とかをちょっと手伝ったりしていて、デザインとか舞台美術の分野で手伝いながら自分のできることを広げていきました」。

黒田氏

岡山にいた頃は、演劇といえば吉本新喜劇や劇団四季、宝塚歌劇団のイメージしか無かった。「赤テントとか小劇場演劇があるとは知らなかったんです。大阪で初めて見て面白いな、と思ってハマってしまって(笑)。火は燃やすわ、血しぶきが出るわで、すごいと思いました。もともと映画が好きで、映像をやりたいと思っていたんですが、映画よりライヴ感があり、これなら自分のやりたい世界観を表現できるかもしれないと思いました」。

誰が好きなのかを問われたら、必ず答えるのがレオナルド・ダ・ヴィンチと北大路魯山人。「ダ・ヴィンチは科学者であり画家であり舞台の演出もしているし、いろんなものをトータルでやっている。魯山人も陶芸家であり、書や料理までとライフスタイル全体の世界観を持っている。その二人みたいになりたかったんです」。

デザイン事務所の仕事は面白くないこともあったが、とにかく30歳までには絶対に独立しようという目標があった。「見積書とか請求書とかを書く方法とか、印刷屋と知り合いになるとか、多くのことを吸収して三つぐらい事務所を経験して独立するぞ、と学生の頃から思っていました」。

独立直後は年収50万円。世の中そんなに甘くなかった。

24歳で独立。家賃3万5000円の風呂なしアパートで、細々と仕事をはじめた。「まだデザイン事務所に勤務している時に、学生援護会(=現在はインテリジェンス)の仕事をバイト的に頼まれてやっていたんですが、もしかして独立できそうかも、と思ってフリーランスになりました。でもそんなに甘くないですね。その頃の年収は50万円ぐらいでしたよ(笑)」。

独立後は、自分にとって嫌な仕事はしないと決めていた。やりたくない仕事は断ってきた。そのこだわりは今も変わらない。「演劇の手伝いに行くとご飯が出るし、現場に行ってしのいでいたと思います。その後an(=アルバイト情報誌)をリニューアルして、記事ページを増やすときに呼んでもらってから仕事が増えていきました。編集部はほとんど同世代でしたから、いい意味でサークルっぽかったんです。仲間みんなで物をつくっている感じがありましたね。その内に、DODA、salidaの創刊プロジェクトに関わり、アートディレクターを担当することになりました。一番色んな経験ができた時期でした」。


学生援護会(現インテリジェンス)
の就職情報誌DODA

バブルがはじけて、世の中は縮小ムードになっていた。「不景気の雰囲気が嫌で、事務所をつくりました。仕事が減るってことは時間がつくれるということ、とプラス思考で考えたんです。元風呂屋の物件を借りて、デザイナー、ライター、編集者に机を貸してスタートしました。携帯電話やパソコンもない時代でした。とにかくみんなが集まれる場所がほしいと思ったんです。失敗したらカフェギャラリーとかにするか。とか冗談で言いながら内装にこだわってみんなで色を塗ったりしました」。

「95年頃は演劇の仕事がすごく増えてきました。元々貧乏な業界なのでバブルは関係なかったみたいですね(笑)。チラシ、パンフレット、ポスターなどの仕事ですが、惑星ピスタチオや劇団世界一団(現sunday)などが台頭してきて、いい時期に関わることができました。ピスタチオなんかは、最初数百人ぐらいしかお客さんが入らなかったけど、しばらくすると2万人のお客さんが詰め掛けました。彼らはセンスもあったし、ものづくりのスタンスやこだわりが近いから色んなチャレンジができて面白いものができました」。

遊んでいることが学んでいることにつながっている。

営業はしたことがない。「この仕事なら黒田に頼もうみたいな空気ができてましたね。周りが僕のテーストを解ってくれていて、誰かの紹介でっていうのが多かったです。相談を受けて、トータルでやらせてくださいという話もよくしますね。劇団とかは予算がないので、例えば2色にしてもかっこいいのができるから、そこで予算を押さえましょうとか、いろいろ提案します。面白いオーダーだったら、だいたい請けますよ。劇団世界一団ではチケットを缶バッチにしたり、今回の舞台は架空の街なんで、パンフレットは地図にしましょうとか、平面をやっているけど、立体的な発想でやっているものも多いです」。

若いデザイナーにはギリギリのスケジュールでつくらないよう指導している。「自分にダメ出しできないとダメだと思うし、自分を俯瞰して見れるかどうかだと思うんですね」。

遊んでいることが学んでいることにつながっていると考える。「扱っているジャンルがバラバラなので、いろんなことをしたほうがいいと思うんです。料理をつくるのが好きで、キャンプに行くのも、本を読むのも好き。いろんなことが仕事にからんでくると思うんですよ。デザインの仕事って、ものを知っているほうが得やから。若いときは年間100本の映画、100冊の小説、100枚のレコードを聴こうと決めていました。自分のしたいことをするにはそういう努力は必要だろうと思います。僕は、クライアントの作品であり、かつ自分の作品としてみせることのできるものをつくりたい。どっちかダメだとダメなんです」。

公開日:2008年12月16日(火)
取材・文:狩野哲也事務所 狩野 哲也氏
取材班: 真柴 マキ氏 /  廣瀬 圭治氏