木工のジャンルを超えて、モノづくりの力でヒトが集まるコトを起す。
クリエイティブサロン Vol.50 賀來寿史氏

賀來寿史氏

様々なジャンルで活躍するクリエイターをゲストに招いて、活動の内容や思いを伺い、その人となりに触れる「クリエイティブサロン」。記念すべき50回目を迎えたこの日のゲストは、オーダーメイドの木工家具を制作する木工家・賀來寿史さん。賀來さんは木工家具ばかりでなく、木工を通して、ヒトが集まるコトを起こし、モノを通してヒトとヒトが繋がっていく場をつくりだしておられます。サロン後半では、賀來さんが考案した、ホームセンターで買える道具で「つくれる家具」を、ワークショップ形式で体験。木工のジャンルを超えて、モノづくりが起こすコトの可能性を拓いていこうとする賀來さんの熱い思いを、サロンの参加者全員で体感しました。

制作者になるための道を探した20代

賀來さんが話すテーブルの傍らには、「馬」と呼ばれる木工用の作業台の上に並んだ杉板と、杉板で作ったスツールが並び、その先のテーブルには何本もの鋸や木工用ボンド、電動工具などが広げられ、サロン会場は工房さながらの雰囲気に染まっていた。「今日の後半は、わたしがお話することを体験していただくワークショップにします。その方が、よく分かっていただけるでしょう」という賀來さんの一声で会場にワクワクした空気が流れ、「…と、その前に、わたしが何者かをお話します」と続いた話に参加者達は身を乗りだして耳を傾けた。
先ずは「木工以前」と題打った20代の頃の話。賀來さんのキャリアのスタートは、おもちゃメーカーのデザイン開発室で企画を立て、外注による生産のマネジメントをすることだった。トイデザイナーとしておもちゃ作りに打ち込む日々を思い描いていた青年は、自分の手を動かし制作する仕事を求めて、森林組合製材所に新たな職を見つけた。居住も移し、モノづくりに明け暮れる毎日が始まると思いきや、ひたすら製材に精を出すばかりだった。「これは違うぞ」と、再びトイデザイナーとして東京で働き始めた。尊敬できるデザイナーと働くことに喜びはあったが、デザインよりもマネジメントに傾く仕事の内容に、賀來さんの中で違和感が募っていった。自分の手を動かしてモノをつくる仕事がしたい。そんな思いを胸に抱える賀來さんの背中を、尊敬するデザイナーが押した。「自分がほんとうにしたいことは何なのか、そろそろ、これぞという自分の道を定める時期じゃないか」と。

サロン風景
工房のようになった会場

この人に家具をつくってほしい、そう思ってもらうことがお客さんとの出会い。

30代を目前に、賀來さんは職業技術学校木材工芸科を修了。森林組合製材所で培った木材への知識と経験もあった。無垢材を使った木工家具づくりをするために、大阪岸和田で「木の工房KAKU」を立ち上げた。賀來さんが目指したのは、一点ごとに設計をし、木材を選び、家具をつくり、クライアントのもとへ届けるまですべて自分でやりとげるスタイル。営業活動はインターネットで行った。この頃ネットショッピングそのものが、まだ一般的ではなかった。しかも、具体的な形を前もって共有できないオーダー家具だ。クライアントとインターネット上でどう出会うのか。ある人の紹介で出会ったマーケッターが教えてくれたのが、当時アメリカで注目され始めた「自分という人間を見せる」マーケティングだった。
この人に家具をつくってもらいたい、そう思ってもらえるホームページをつくる。このやり方は賀來さんにとって、実にしっくり来るものだった。たしかにモノは生命を持たず言葉を発しない、けれどそれをつくった人の心を宿す。何十年何百年かけて育った木を伐って作るのだから、木への感謝と責任と慈しむ心をもって取り組む。そんな思いで一手間ひと手間を重ねた家具が、使う人に届ける心地よさがある。そう信じる「賀來寿史」という木工家を選んでくれるクライアントと出会うために、発信を続けた。
歯切れのよい口調で率直に話す賀來さんに、参加者たちも積極的に質問の手を挙げ、話が深まっていった。「自宅をショールームがわりに納品例をどんどんアップしました。そこでまず、好みや感性の合う人が関心を示してくれました」「信頼関係ができるまでメールのやりとりを徹底しました。自分は作家ではなくデザイナー。ヒヤリングを重ねるなかでお客さんの望みを汲みとり、そこに自分の感性を乗せて、お客さんのなかにあるイメージを形にするのが仕事です」
ちょうど天然木材がブームになっていたことも追い風となり、数十万円するオーダー家具の注文が途切れることはなかった。日本全国からのオーダーに応えるうちに数年が経ち、30代後半、自分でクルマを運転して九州までも納品に向かうスタイルに無理を感じ始めた。しかもリーマンショックがあった。体力と資金の両面から、一人きりで全てを行うスタイルからの転換を考え始めた。

オーダー家具
オーダー家具納品事例

木工を軸に、ヒトが集まるコトを起こし、ヒトとモノが何かを生みだす場をつくる。

40代を迎えたある時、枚方家具団地から実験的な家具ギャラリー「家具町LAB」運営のオファーがあった。「すべてを一人で完結させるスタイルから踏み出し、ヒト、モノ、コトが繋がる場をつくる。自分がやりたいと思っていたこと」がここにあった。ギャラリーの運営に併せてインテリアショップの工房「家具町工房」立ち上げの仕事も舞い込んだ。二つの場の運営を通して賀來さんは思った。「ヒトはモノで集まらない。ヒトはヒトと集まる。ヒトが集まるコトを起そう」。木工家・賀來寿史が辿りついたのは、木工というジャンルを超えてヒトがヒトと結びつくコトや場を創ることだった。そしてまた木工というジャンルを超えた活動を支えたのは、木工家という強い軸だった。

「家具町工房」正面
家具町工房

ホームセンターで手軽に買える杉板と道具で「つくれる家具」のレシピをつくり、オープンソースにして、ワークショップを開いた。強度の低い木材を使うが、プロが設計図を引いている。「3年やそこらは十分に使える」だけの強度はもちろん座り心地も十分なうえに、「壊れたとしても自分でつくったもんは自分で直せる」という、モノを使うことの喜びもある。
そして賀來さんはこの「つくれる家具」に託す思いをこう続けた。「イスが集まるところはヒトが集まるところ。震災などが起こった時に、このイスをつくってもらえたらと思うんですよ。手や体を動かすことで元気が出るし、モノづくりをするヒトどうしの連帯感が生まれるし、イスが集まる所にヒトが集まって自然にコミュニティが生まれる」

「家具町LAB」入り口
家具町LAB

ヒトの感性に働きかけるワークショップ。

話が佳境に入り、「つくれる家具」のワークショップが始まった。道具を使いはじめて参加者が次々とダメ出しを受ける。体の軸を意識し、木と道具と自分の位置を決めるところから指導が入る。ワークショップが始まったとたん、賀來さんは職人の親方のようになって、歯切れのよい口調に磨きがかかった。「道具は人間の知恵の結晶です。文明の進歩によってヒトがその道具を使えなくなるのは寂しいと思いませんか」。喜々とした表情で道具と格闘する参加者たちに、賀來さんのコトバが染みていく。

ワークショップ風景

「このワークショップがね、現代人が失いつつある感性を目覚めさせるきっかけになってくれたらと思うんですよ」「それにほら、皆さん、いつの間にか助け合っているでしょう。ヒトが集まって何かをすると、自然とこういうことが起こるんですよ」。平時においても、非常時においても、モノづくりの持つ力をヒトに手渡す「つくれる家具」に、木工家・賀來寿史さんが描く未来を垣間見た気がした。

つくれる家具
ワークショップで作成した「つくれる家具」

イベント概要

「つくれる家具」から
クリエイティブサロン Vol.50 賀來寿史氏

ひょんなことから取り組みだした、ホームセンターで買えるスギの板とノコギリとカナヅチなどの道具でつくれる家具の仕組みと、そこから広がるモノゴトについてお話しします。

開催日:2014年7月23日(水)

賀來寿史氏(かく ひさし)

1999年より、「木の工房KAKU」として、主に、注文を受けて制作する工房スタイルで木工家具の制作活動開始。制作とともに木工家同士のネットワーク構築の活動に関わる。2011年10月より、枚方家具団地組合からの要請を受けて、実験的家具ギャラリー「家具町LAB.」をオープン。従来の木工職が当たり前にしてきた、制作物、作品をつくって売るという行為。そのこと自体が難しくなっている時代を背景に、木工家個人が持つ木工、家具に関する技術、知識、経験をもって、いろいろな人、コトとの関わることで、木工を生業に生きることできるのか、ということ自体を試みとして活動しています。

公開:
取材・文:井上昌子氏(フランセ

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。