美術成績「3」から始まるマンガ広告開拓の軌跡
クリエイティブサロン Vol.319 北出吉和氏

漫画広告専門のデザイン事務所「キタデザイン」を営み、「マンガ広告」で確固たる地位を築いている北出吉和さん。美術の成績は「3」という評価で「絵を描いて食っていく」という夢をもった少年が、いかにしてマンガ広告のパイオニアとなり得たのか。さまざまな挫折に翻弄されながら道を切り拓き、独自の勝ち筋を見出した軌跡を語る。

北出吉和氏

弱点やコンプレックスをプラスに生かすと武器になる

1977年、石川県に生まれた北出さんは、自らを「人よりできない少年だった」と振り返る。同級生と比べて勉強も運動も苦手で、学校の授業にもついていけない日々だったという。

小学3年生の頃、交通事故に遭って入院していたとき、叔母が差し入れてくれた『キン肉マン』や『北斗の拳』を読んで衝撃を受け、マンガの虜になった。以来、夢中で読み漁っているうち「これを描く人になりたい」という夢をもつようになる。

実家は建築業で、長男として跡取りを期待されていた北出さん。漫画家への夢を優先し、猛反対する父親に屈しなかった。とはいうものの、当時、北出さんの美術の成績は、5段階評価で常に「3」。ヘタではないが褒められたこともなく、クラスメートから時々「悟空を描いてくれよ」といった軽いノリで頼まれるていど。

それでも、他人より秀でるものがあることに喜びを見出し、授業中はノートに絵ばかり描くようになった。そのため、高校進学を控えた面談では、教師から「行ける高校はありません」と言われた。もとより進学する気はなかったが、近くの高校でデザイン科が新設されたことを知って受験してみたら合格した。

マンガ広告を専門に手掛けるデザイン事務所「キタデザイン」の一番人気はマンガチラシ

アルバイトで貯めた200万円を携えて東京へ

絵の道へ進むことを猛反対していた父も、北出さんがデザイン科を卒業する頃には態度を軟化させていた。「インテリアデザインの専門学校でもいい」と譲歩してくれたのだ。金沢にある専門学校へ通い始めたが、行きたくて選んだ学校ではない。家を出ても学校へは行かず、1年ほどで退学してしまう。

じつは当時、東京へ出るつもりで、高校3年の頃からレンタルビデオ店でアルバイトを続けており、200万円を貯めた。

専門学校を勝手に辞めたことは叱られたが、その200万円を見て本気度を認めてくれた。

「本気なら応援してやろうと言ってくれたんです」

東京へ出てはみたが、当初は描きたいものが見つからず、1年間のフリーター生活を送る。それでも、高校時代にポスター制作で褒められた記憶を励みにして、北出さんは商業デザインの道を選び、21歳で専門学校「東京デザイナー学院」へ入学した。

専門学校では、後に公私ともに影響を受ける仲間と出会い、パフォーマンスユニット「蛍DENKI」を結成。イベントで「いかに人を集めて喜ばせるか」という、実戦的な経験を積んだ。この時期に培った工程管理、交渉力、舞台度胸は、後の独立後に欠かせない武器となった。

蛍DENKI
デザインパフォーマンスユニット「蛍DENKI」として、デザインフェスタを中心に活動

「情報とか技術とか人脈は後からついてくる。今すぐできる才能はなくても、コツコツやっていたらたどり着くことを学びました」

就職後は、雑誌の編集デザインに従事する傍ら、夜は「キタデザイン」の屋号を掲げて異業種交流会へ参加。会社に内緒の「闇営業」で腕を磨いた。

その一方で、苦い経験もしている。一時期、もっと稼ぎたいという気持ちからデザインの世界を離れた。そこでの業務は過酷を極め、北出さんは心身ともに疲弊してしまう。そんな折、かつての上司の助けで再びデザインの現場へと復帰する。

売りたいものではなく人が欲しいと思ったものしか売れないことを肌身に感じた

前の職場へ復帰したものの、北出さんは常々「独立したい」という想いをもち続けていた。

「自分の名前で感謝されたい。でも、いざとなると怖い」

そんな想いが4年もくすぶり続け、自分自身への嫌気が極まった北出さんは、2007年12月末に一大決心をする。

「来年は、独立と結婚をする」

果たして年が明けた正月、当時お付き合いをしていた女性(現在の奥さん)にプロポーズ。正月休みが明けると、独立する旨を社長に伝えた。慰留されるかと思いきや、「北出はそうだと思っていた。応援する」と送り出してくれた。

2008年に31歳で独立。当初は雑誌デザインを中心に高収益を上げたが、出版不況による単価下落に直面し、わずか1年で行き詰まってしまう。これを機に、自身にしかできない「独自の商品」の模索を始めた。

「発信が大事」と聞いてブログを書いてみたら、それをきっかけに仕事のオファーが来るようになった。だが、単発ばかりで持続しない。悩んだあげく「イラストデザイン」「漫画デザイン」で検索してみると、茨城県土浦に広告漫画のデザイン事務所を見つけた。いちど話を聞いてみようと、取材を口実に訪問したところ、これが北出さんにとって刺激的な出会いになった。

「お客さんが本当に買っているのはデザインではなく、デザインがもたらす売上げ」

「自分にしかない強みとは『私という人間は、この世に私しかいない』ということ」

「サイトは『自分がどんな奴か』を分かるよう自分の言葉で書け」

などなど、4時間にわたって語ってくれたという。

「そこから刺激を受けたことを自分のサイトに反映させ、ブログにも漫画を載せるようになったのです」

そんなとき、大阪にある会社から「カレンダーをつくるから、経営理念をイラストにしてほしい」というオファーが来た。その後も、同じ会社から、「新しいサービスを始めるから、理念漫画みたいな感じでチラシを作ってほしい」というオファーも来た。これが「マンガ広告」の第1号となる。

北出さんにとって記念すべき第1号となった「マンガ広告」

東日本大震災を機に拠点を大阪へ移して世界へ目を向ける

仕事が軌道に乗り、好調に推移していた2011年3月11日、東日本大震災が起こる。実家の建設業も倒産しており、北出さんが負債を引き受けることになった翌日のことだった。東京は、デザインの仕事どころではなくなった。

「東京に依存していたら、実家の借金が返せない」

「マンガ広告」のきっかけを導いてくれた会社が大阪にあることと、実家がある石川県まで帰りやすいことを勘案して、活動拠点を大阪へ移した。

大阪で再始動した北出さんの活動は、マンガ広告で16年連続自然検索1位という圧倒的な実績を積み上げる一方で、クライアント数も全国に420社を超えている。

フランスからの受注を機に、「マンガ広告を日本の文化として世界へ広める」という新たな目標も立てた。また、1人で「国際広告マンガ協会」を設立し、アジア各国での調査や英語サイトの構築など、世界進出に向けた一歩を踏み出している。

「大阪・広告マンガ展2026」出展者集合写真
北出さん他10名のマンガ家が実行委員会を結成し開催した「大阪・広告マンガ展2026」(2026年3月)

「理想=実力×選択」。これは北出さんが掲げる人生哲学だ。心に旗を立て、実力が伴うにつれて夢は必ず現実になるという確信がある。

かつて美術の成績が「3」だった少年は、30年近い歳月を経て、絵の巧拙を超えた「伝える力」の掛け算を編み出して夢を叶えた。

「まずは大阪から始めようやないか!」という呼びかけと共に、マンガ家と企業がタッグを組んだ「広告マンガ展」の開催を主導するなど、業界全体の活性化にも心血を注いでいる。

イベント風景

イベント概要

2割で走り出すブラッシュアップ人生。美術3の少年が「マンガ広告」で世界をめざすまで
クリエイティブサロン Vol.319 北出吉和氏

プロフィールでは「この道ひと筋」の人生に見えますが、曲がりくねって、大きな声で人には言いにくいこともチラホラ。そんな僕が「マンガ広告」で世界をめざすようになるまでの道のりと、その時々の気づきをお話しできればと思います。

目次を一部抜粋
・生まれ持った「人よりできない」
・本気の200万
・東京デビュー
・夜の新宿で闇営業
・人の褌で相撲をとるべからず
・東京から大阪へ進出や!
・人生最高の忙しさと借金人生の終わり
・燃え尽きた抜け殻
・夢は世界へ 他

開催日:

北出吉和氏(きたで よしかず)

キタデザイン 代表
マンガ広告のプロ

1977年生まれ。石川県加賀市出身。高校のデザイン科を卒業後、東京デザイナー学院を経て、銀座の編集プロダクションに就職。エディトリアルデザインを中心に販促ツールの制作に携わる。2008年にデザイン事務所を設立し、2010年よりマンガ広告事業をスタート。2011年からは大阪に拠点を移すとともに全国に向けてマンガ広告専門のデザイン事務所として発信。現在は日本全国および海外に420社以上の顧客を持つ。540名以上が所属する関西クリエイターズコミュ 共同代表、国際広告マンガ協会 代表理事。

https://www.manga-design.jp/

北出吉和氏

公開:
取材・文:平藤清刀氏(創稿舎

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。