リテラシーを向上し、効果を実感できるWebサイト運営の総合サポート
クリエイティブサロン Vol.267 片岡浩二氏
自身の役割を「ホームページの家庭教師」と定義する「コトウリ」の片岡浩二氏。単なるWebサイト制作だけでなく、Webサイトにまつわるあらゆる面をサポートするという形態でクライアントの信頼を得ている。そんな独自の路線を進むに至ったこれまでの歩みと、これからの展望について語ってくれた。
観察力と分析力を武器に、大学生で月収20万円
愛媛生まれの片岡氏は、父親が転勤族だったため小学校高学年まで日本各地を転々として暮らした。1カ所にとどまる期間はおよそ2年。幼心に短期間で友達を作り、コミュニティに馴染むためにはどうすればいいか思考していたという。
「土地が変わると、当たり前のことが全く変わるんです。そんな中でクラスに溶け込んで仲良くなるためにはどうすればいいか、周囲を観察する癖が身につきました」
方言を話し、地元の名産や料理を食べ、地域に興味を持つといったこともセットで行い、幅広く好奇心を持って掘り下げるのが好きという現在の性格の土壌となった。
大学時代には観察から得たデータを分析する手法も身につけた。きっかけは入学直前にかかった麻疹。こじらせて2カ月ほど声を出せない状態が続き、気がつけばサークルの募集も終わり、どのコミュニティにも属せないという状況に陥った。
「そこで何をしたかというと、パチスロです(笑)。スロットは高設定の台なら勝てますから、データを取って店長の思考パターンを読み、高設定の台を選んでいました」
Excelにデータを落とし込んで分析。高設定の台を回し、勝率は5割程度ながらほぼ毎月20万円以上を稼ぎ出した。またこの頃、ガラケーの無料ホームページ作成サービスを利用してパチスロ仲間が集うWebサイトの運営もしており、情報発信をすれば人が集まりコミュニティを築けるという体験ができたと振り返っている。
理不尽な失職。手に職を求めWebクリエイターへ
初めて就職したのは、商品先物取引の会社。大学時代に読んだ本『金持ち父さん 貧乏父さん』に影響を受け、投資のテクニックや知識、営業スキルを身につけたいと選んだ。近畿一円の広範囲を担当エリアとして任され、飛び込みが当たり前のハードな営業だったが、チャート分析が得意だった片岡氏は好成績を維持し、顧客からの信頼も厚かった。
「この会社で学んだのは、成果を出すことの大切さと、お客さんに儲けてもらえば数字が上がるし仕事が楽になるということ。良い学びでしたが、異常な相場では理論・理屈は通用しないということも思い知らされました」
リーマンショックの煽りで相場が急落し、地獄を見るような思いを経験。無形商材の難しさを痛感しながら退職することとなった。
次は有形商材で伸び盛りの業界に入りたいと、業界大手の家具屋を選んだ。チェーンストア理論に基づく徹底した仕事のフローや制度を経験したことで、中小企業と大企業の違い、理論を軸とした運営の大切さを学ぶことができた。
しかし、ここも思わぬ形で去ることとなる。客に一方的に暴力を振るわれた事件を発端に、被害者であるにも関わらず客の立場が強い小売店の理屈で解雇されてしまったのだ。学びがあり、やりがいがあり、職場の人間関係も良好と順調だったはずなのに、突然の理不尽な失業。また職を失ったことが原因で婚約を解消するという追い討ちもあり、自己肯定感の低下からうつ病を発症。以降2年間、家に引きこもる生活を送った。引きこもり生活から抜け出したきっかけは、祖父の死である。
「祖父を看取ったことが、もっと頑張って生きていかないとと気持ちの切り替えになりました。また祖父はハンコ職人で、そのほか親戚筋にも大工など職人が多いんです。失業した身としては、何か手に職を付ければ路頭に迷うこともないんじゃないかと。それで職業訓練校のWebサイト制作コースを半年ほど受講し、ウェブ制作会社に入社しました」
モノの制作でなく、人の意識を変えるクリエイト
Webクリエイターとしてキャリアの一歩を踏み出した半年後には、複数案件の制作を進行しながらコンペや代理店対応を担当、さらに代理店の新規開拓などもこなした。しかしこの会社ではキャンペーン告知のサイト制作案件が多く、短期間で使われなくなるのが当たり前だった。
せっかく作ったものがすぐ使われなくなるのは悲しい、もっと長く使ってもらいたいと思い、次は主に中小企業のホームページ制作を手がける会社に就職。多種多様な業種のWebサイト制作に携わることができ、仕事そのものは充実していたものの、ふと振り返ったときに疑問が浮かんだ。
「引き渡しから1年たったクライアントのWebサイトを見てみると、実績紹介のページが未だ準備中になってたんです。中小企業の中にはWebサイトをきちんと使えないところもある。なんでだろう?と思うようになって、よし転職だ!となりました」
次はWeb担当を募集していたガス会社に入社したが、いつの間にか営業支援チーム長も併任し、チラシ制作、新規契約推進、経営会議の書記などを任された。この会社では旧態依然とした非効率な業務が目立ち、営業支援の一環としてそれらの改善にも着手。Webサイトのスマホ対応、アクセス解析ツールの導入、パンフレットの刷新と効果測定、業務フローのデジタル化など、さまざまな取り組みを行った。そして営業支援業務内容を社内報として毎週発信、共有したことで、社員に変化が生まれたという。
「社内報を数か月も続けると、他人事から自分ごとに意識が変わってきたんです。新しいチラシ案を社内コンペにかけたらいろんな意見が上がったり、『ホームページって使えるものなんだね』って言ってもらえたり。人の意識が変化したことが嬉しかったですね。中小企業は販促物の効果を実感したことが少ない。だからコストをかけられなかったり、外注に丸投げしてしまう。丸投げだから社員の関心が薄いんです」
年商数十億もある会社の社員でも、販促物に対する意識はこのレベルであり、片岡氏がその意識を変えるきっかけとなった。ならばほかの会社でも同じことができるんじゃないかと思い至り、独立を決意した。
クライアントのWeb担当を育てる外部Web担当
クライアントが培ってきた理(コトワリ)を大切にしながら、デジタルで役に立ち、クライアントにとっての金の卵を産むニワトリになるとの思いから名付けた屋号「コトウリ」
「良い物を作っているのに、情報発信が苦手なせいで買い手に繋がらない、気づいてもらえないというのがクライアントの悩みの本質だと思っています。クライアントの情報発信力を高めて、どんどん自分で仕事をとれるようになりましょう、そのサポートをします、というのが私の仕事です」
全方位に発信するのではなく、マッチする客にピンポイントで情報を届けるWebサイトをめざしていると話す片岡氏。それは単にWebサイトの制作や保守だけでなく、クライアント自身がWebサイトを活用するためのノウハウを身につけるまでのサポートも含まれる。そのためクライアントとは3カ月単位で契約し、規定時間内でWebサイト運用のためのさまざまな支援策を提供するという形態をとっている。業務内容はSEOやWebアナリティクスに基づいたアドバイス、それらの社内向け勉強会の開催、片岡氏自身が制作するだけでなく他の制作会社や代理店に依頼する場合の業者選定と折衝まで、Web制作と聞いてイメージする範疇を大きく踏み出した内容だ。まさにクライアントの社内Web担当同然の立場となり、独り立ちするまで見守る「ホームページの家庭教師」である。
今後は資格取得などの自己研鑽や、新しいサービスの開発、仲間を募ってのプロジェクトの立ち上げ、社会貢献などにも意欲を見せ、Webを基盤としたさまざまなチャレンジングな取り組みに目を向けている。
「Webサイトの使い手を増やせば、Webサイトの需要が高まり、クリエイターも生き生きと働けるはず。クリエイティブの力でクライアントもクリエイターも元気にし、ひいては日本を元気にしたいですね」
イベント概要
「成果」と「わかりやすい」にこだわるホームページ屋のこれまでとこれから
クリエイティブサロン Vol.267 片岡浩二氏
人生を振り返ってみると、自分のこだわりやスタンスは「原体験」から生まれていました。営業、販売、Webディレクター。中小企業と大企業でのサラリーマン。職種や組織が変わる中で、楽しかった、嫌だった、嬉しかった、悲しかった出来事。その上で大切にしていること、これからやっていくことをお話しします。
開催日:
片岡浩二氏(かたおか こうじ)
コトウリ 代表
ホームページ屋
1981年7月、愛媛県新居浜市生まれ。近畿大学法学部を卒業後、営業、販売を経験しWeb業界へ転身。Web制作会社、事業会社の営業支援を経て2020年に独立。ホームページを中心とした中小企業のWeb戦略の立案・実行を伴走支援している。専門用語や横文字を使わないコミュニケーションが得意。クライアントの情報発信力を高めること、ホームページの使い手を増やすのがミッション。ブログやオンラインセミナーなどでデジタルマーケティングの情報を発信中。受講者からは「専門的なのにわかりやすい」と好評を得ている。
公開:
取材・文:東原雄亮氏(CHUYAN)
*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。