台湾から日本へ。日本在住20年を迎えて見えてきたもの。
クリエイティブサロン Vol.182 王怡琴氏

182回目を迎えたクリエイティブサロン。今回の登壇者は2000年に台湾から来日し、今年、日本在住20年を迎えたグラフィックデザイナーの王 怡琴さん。大学進学から修士課程を経て、現在は日本のみならず、海外での活躍も目覚ましいクリエイティブディレクター、杉崎真之助氏のデザイン事務所で活躍する王さんがこの20年間で得た気づきと学び、そしてそれがどのように広がり今に至ったか、独自の視点で振り返る。

王怡琴氏

活発だった少女はアートに目覚め、美術高校に進学

王さんが生まれたのは、日本統治時代に四大温泉の一つといわれ、台湾の温泉文化の発祥となった台北市北投区。現在は「北投温泉博物館」として観光客で賑わう公共浴場跡が近くにあり、日本文化を身近に感じて育ったという。幼い頃はとても活発で、アートやものづくりにはまったく興味のない子供だったが、小学校高学年頃から美術が得意だった姉の影響で絵画や工作の楽しさに気づき、中学卒業後は美術系高校の夜間部に入学した。全日制ではなく夜間を選んだのは、現役で活躍しているクリエイターや芸術家たちが講師を務めているからだ。

4年間の高校生活で、水墨画や水彩画などのアートからデザインやブランディングといったクリエイティブまで幅広く学ぶなか、日本のデザインにも触れ、大きな感銘をうけたという。「シンプルなデザインや文字組みの美しさと台湾にはない色遣いや“間”という考え方、計算し尽くされた細部など日本のデザインはすごい、と思いました」

台北から京都へ。日本の四季とその影響力にカルチャーショック

日本のデザインに興味があるとはいえ、「日本に行くなんて夢にも思っていなかった」という王さんだが、そんな彼女のもとに京都精華大学への推薦の話が舞い込む。推薦枠はわずか数名。学校としては基本的に全日制の生徒を推薦する方針だったが、これまでの作品が高く評価されていたことと、恩師たちの後押しで夜間部の生徒であった王さんの名前が候補にあがった。「絶対に日本で学ぶべきだ」そう恩師たちに強く勧められ、高校を卒業後、王さんは来日し、京都日本語学校に入学した。

日本の四季
「日本人の考えや行動、表現などすべてが四季に大きく影響されていて、それがとてもすばらしいと思いました」と王さん。

京都ではさまざまなカルチャーショックを受けたが、最も王さんを驚かせたのは、日本の四季だ。比叡山の景色を眺めながら自転車で日本語学校に通っていた王さんはある日、山や草花、木々などの色や様相が日々変化していくことに気がついた。「緑がどんどんくすんで黄色や赤になって、最後は茶色になって……。本当に感動しました」。はっきりとした四季のない台湾ではありえないその光景を見た王さんは、幼少時代に好きだった日本の絵本の独特の色遣いを思い出し、“あの不思議な色遣いの根底はこれなんだ”と確信したという。

「台湾では赤、青、黄色など原色が好んで使われるのに対し、日本のやさしい色遣いをとても素敵だと思いました。アートだけではなく街の人々の洋服からお寺まで、台湾と日本では色が全然違う。日本人の習慣や性格、考え方など多くのことが四季や気候に影響を受けていると感じました」

充実の大学生活を終え、大学院へ進学

日本語学校を卒業し、精華大学に入学した王さんは、「せっかく日本にきたのだからできるだけ多くのことを経験したい」と在学中、さまざまなことに挑戦する。2回生になる頃には日本語スキルも飛躍的にアップしていたため、掲示板で見つけた学生デザイナーの求人に応募し、はじめて商業デザインを手掛けた。

また、他大学の留学生とも頻繁に交流し、精華大学主催の留学生展ではポスターのデザインを担当。授業や作品作りのほか、アルバイトや旅行など多忙で充実した日本での学生生活も終わりに近づき、王さんは卒業制作にとりかかった。テーマは台湾の表音記号である「注音符号」。近代化の流れの中で注音記号のアルファベット化が進んでいくことは文化的損失であると問題を提起した。その作品が、学生の卒業制作を対象とした「ラッキーストライク・ジュニア・デザイナー・アワード」で審査員特別賞を受賞。卒業後は帰国を考えていた王さんだったが、教授より大学院への進学を勧められ、「注音符号」を研究テーマに大学に残ることになった。

卒業制作
卒業制作では台湾の文化のひとつである注音符号が失われつつあることを問題提起し、大学院ではさらに深く研究を行った。

憧れの事務所に就職するも立ちはだかる「言葉の壁」

「デザインレベルの高い日本でもっと学びたい」という思いから、就職活動をはじめた王さんは大阪にあるデザイナー杉崎真之助氏の事務所が留学生を受けいれているという話を耳にした。同事務所が手掛けた作品はいくつも目にしたことがあり、そのクオリティの高さを知っていた王さんは早速ポートフォリオを送付。面接に呼ばれ、学生インターンとして働かないかと打診された。すでに正社員として3社の内定をもらっていたが、「これを逃したらこんなすごい事務所で働ける機会は二度とこない」と、他社を辞退した。

インターンは週1〜2回だったが、見るものすべてが新鮮で事務所に出勤するのが楽しくて仕方がなかったという王さんは、どんな小さな仕事も手を抜かず一生懸命に取り組み、一つでも多くのことを学ぼうとする、そんな姿勢が評価され、卒業後は正式にスタッフとして受け入れられた。またとない好機であったが、正式にスタッフの一員となった以上は相当のパフォーマンスが求められる。また、学生時代とは違い「外国人だから特別扱いをしてもらって当たり前」という甘い考えは通用しないとわかっていた。それなりの覚悟ではじめたつもりだったが、専門用語が飛び交うスピード感のある現場についていけず、困ることも多かったという。忙しい最中に「あの資料持ってきて」と早口で頼まれても何を言われているのかわからない。指示されたことの意図が理解できず方向性の違うものを出して厳しく叱責されることもあった。来日から10年以上が経っていたが、役に立てない自分の不甲斐なさに日本に来て初めて涙を流したという。しかし、泣いてばかりはいられないと王さんは社長にレコーダーの持ち込み許可をもらい、仕事中に周りの会話をすべて録音し、帰宅後にその音声を聞くことに。仕事以外ではずっとイヤフォンで事務所内の会話を聴くという生活が何ヶ月も続き、徐々にスピードにも慣れていった。このエピソードひとつをとっても、王さんの現在の活躍は、「日本に20年間住んでいるから」ではなく、彼女の努力の賜物であるということがわかる。

作例
左上:上海万博大阪館 シンボルマーク 右上:京都市京セラ美術館 ロゴマーク
左下:近鉄百貨店 ショッピングバック 右下:中之島フェスティバルシティ ロゴマーク

いつか台湾と日本の架け橋となるデザイナーになりたい

入社後はデータ処理やフライヤーのデザインなど細かい仕事をこなしながら、デザイナーとしてさまざまなことに挑戦した。事務所に入って2年目には、自主的に参加した2010年上海万博大阪館のシンボルマークのデザインコンペで最優秀賞を受賞。確実にデザイナーとしてステップアップをしながら、事務所内でも徐々に大きなプロジェクトに参加させてもらえるようになっていった。「大学の卒業制作展の場所だったので思い入れがあり、関わることができてうれしかった」という京都市京セラ美術館のプロジェクトでは、ロゴマークをデザイン。コンセプトを京モダンとし、細ゴシック体のシンプルなタイポグラフィに、アクセントとして輝きをあらわす小さなスリットを加え、しずかな存在感を表現した。また、近鉄百貨店のショッピングバッグと包装紙のリニューアルプロジェクトでは、お客様と近鉄百貨店の繋がりをイメージし、ノートの隅に描いたラフが採用され、それを元にデザインを展開。その他、中之島フェスティバルシティのロゴマークなど、さまざまな仕事を手掛け実績を積んでいった。

デザインはもちろん、データの整理やチームでのプロジェクトの進め方など事務所に入ってから多くのことを学んだという王さんだが、杉崎真之助氏の仕事に対する姿勢が何よりも勉強になるという。「ベテランなのに経験や実績に頼ることなく、毎回初心に返ってデザインに向き合っている姿は尊敬しますし、先生を見ると自分はまだまだだと思います」と王さん。ここ数年は、海外でも活躍している杉崎氏に同行し、台湾や中国で大学のワークショップやデザインイベントに参加することも多い。

来日20年、デザイナーとして10年以上のキャリアを積んできた王さん。壁にぶつかりながらもそれを乗り越えここまでたどり着いた原動力とはなんだろうか。

「厳しくしてもらえたのはありがたいし、怒られたのは私が求められているものに応えられなかっただけのこと。学べることも多いし、ここで諦めたらもったいないという気持ちが大きかったからです。日本におけるデザインの立ち位置に台湾はまだまだ学ぶことがたくさんあると思うので、自分のデザインを追求しながら、日本と台湾を繋ぐ架け橋になれればと思っています」

さらに、今でも帰国するたびに会うという高校時代の恩師たちにも、いつか恩返しがしたいと、これまで支えてくれた多くの人への感謝の言葉でサロンは幕を閉じた。

イベント風景
日本にいては気づかない「外からの視点」に参加者も興味津々。プレゼン後は多くの質問が飛んだ。

イベント概要

日本で気づいたこと、学んだこと、そして広がったこと。
クリエイティブサロン Vol.182 王怡琴氏

来日して今年でちょうど20年になります。日本の大学・大学院を卒業後、SHINNOSKE DESIGNに入社し、グラフィックデザイナー・杉崎真之助氏のもとでプロの仕事を学んできました。漢字と仮名がある日本語の組版をはじめ、毎日が課題の連続でした。一方でさまざまなワークショップや交流の場に参加する機会を得て、アジア圏でのネットワークの広がり、有機的なつながりを実感しています。日本で気づいた文化や習慣の違いなどから、自分のアイデンティティについても常に考えるようになりました。今回は来日から現在までを振り返り、これまでの体験や関わった仕事、また将来の自分についてお話しさせていただきます。

開催日:2020年10月16日(金)

王怡琴氏(Wang Yi-Chin / おう いきん)

SHINNOSKE DESIGN
グラフィックデザイナー

台湾台北生まれ、2000年に来日、京都精華大学芸術学部デザイン学科ビジュアル・コミュニケーションデザイン専攻に入学。2007年に同校大学院芸術研究科修了。現在SHINNOSKE DESIGNでグラフィックデザイナーとして勤務。2010年上海万博大阪館シンボルマークデザイン最優秀賞。HKDAグローバルデザインアワード、ADC年鑑、日本タイポグラフィ年鑑、APDアジア太平洋デザイン年鑑など多く入選、受賞。 国立台湾科技大学、台湾崑山科技大学、中国汕頭大学「Kan Tai-keung Design Award」、2011年台北世界デザイン大会、台湾亜洲大学「NYTDC台湾展」など、国際交流活動に参加。日本タイポグラフィ協会会員。

http://www.shinn.co.jp/

王怡琴氏

公開:
取材・文:和谷尚美氏(N.Plus

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