中2からの回り道人生。そこで得た経験の数々が今の力に。
クリエイティブサロン Vol.174 元兼正義氏

昨年12月以来、8ヶ月ぶりの開催となったクリエイティブサロン。「産創館移転後、初のサロンということでプレッシャーを感じますが、今日は“始球式”。本番は次回からということで聞いてください」と、ユニークな表現で話を始めたWebデザイナーの元兼正義氏。自身のちょっと変わった経歴について語る、“始球式”はストライクなのか暴投なのか。

元兼正義氏

中2からのバイト生活。廃車を「家」にしたことも。

元兼氏はバブル景気が始まった1984年、奈良県大和高田市に生まれる。元兼氏の父は、祖父が経営していた会社に、大学卒業後すぐに就職。会社はバブル景気に乗って売上を伸ばし、元兼氏の父も30歳で家を建てるなど裕福な生活を送っていた。しかし、バブル崩壊とともに祖父の会社は倒産し、生活は一変した。

「父母は昼も夜もなく働いていましたが、生活するのに精いっぱい。僕の小遣いもありませんでした。中学の部活動で使うバスケットシューズを買い替えるお金がなく、仕方なくバイトを始めたところ、お金を稼いで遊ぶ楽しさを知ってしまったんです」と当時を振り返る元兼氏。当初の目的であったバスケットシューズも買わず、部活もやめて、遂には中学もほとんど行かずに遊び回っていたという。中学3年生になり、両親に「高校だけは受験して」と泣きつかれて仕方なく進学はしたものの、やはりバイトバイトの毎日……。1~2ヶ月で高校もあまり行かなくなり、「親に頼らなくても生きていける」と家を出た。

ここから元兼氏のフリーター生活はスタート。中華料理店からガソリンスタンド、塗装工事、解体工事など、さまざまなバイトを転々としながら、夜は友人の家に転がり込むという生活を送っていた。そんなある日、交通整理のバイトで知り合った50代のおじさんから、「うちの隣が空いてるで。誰でも住めるで」と誘われ、ついていった先はバイパスの高架下の雑草が生い茂る空き地。おじさんの言う「家」とは、なんと廃車のことだった。「見た瞬間、愕然としましたが、寝るだけなら何とかなると思い、住みはじめました」と笑う。その「家」で1~2ヶ月、暮らした後、77歳のママが経営するスナックの2階を間借りし、時々、店を手伝って目上の人との接し方を学んだ。その後、アパートを借りて自活し、ゲームセンターや工場、引っ越し業者など、さまざまなバイトを経験した。

ちなみに19歳のときにつきあっていた彼女に言われた言葉が印象に残っているという。その彼女は何か困ったことがあると、すぐに友人を呼び出して手伝ってもらっていたため、「他人に頼まず、少しは自分でやれば」と注意したところ、「その人が喜んで手伝ってくれてるんなら、それは私の力やろ」と言い返された。彼女が言う「人を気持ちよく動かす力の大切さ」については、後に就職したアパレルメーカーで痛感することになる。

元兼正義氏の作例
「Web活用で地域の仲間とずっとつながる」をコンセプトに、主に中小企業のWebサイトを手がけている。

アパレル店の店長からWebマスター、やがて孤独に。

20歳になったころ、「そろそろ一つの仕事に集中しないと、一生バイト生活」と思い、アパレル店の販売員のみに絞った。「飲食店などで働いていたおかげで、口だけは達者だった僕は、販売成績もよく、一年後には奈良市内の新店舗の店長を任されました」と、やりがいを感じ働いていた元兼氏であるが、翌年、同じ会社の先輩に「アパレル店を開業するので、通販サイトを任せたい」と誘われ、2人で起業することに。サイトの立ち上げだけは外注したものの、更新作業や撮影、仕入から発送、在庫管理まで一切の業務を一人でこなしていくことになる。そんな状況で仕事は順調に進んでいたが、実店舗のトラブルで、大和高田から土地勘もコネもない大阪の藤井寺に移転し、業績は急降下。マンションの一室で生活しながら通販サイトを運営するという生活を続けていた。

そんなある日、周りの人たちから「いつまで、そんな遊びみたいな仕事してるの」 と言われたことが大きなショックだったという。その後、Webの運営・制作に携わる氏にとって、「遊びで終わらせてたまるか 」との思いを強くするきっかけになった。

「Motto Design」ウェブサイトトップページ
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月亭八方師匠の言葉に助けられる。

何をやっても成功しないという負け犬マインドに、将来への不安や焦りが加わり、気持ちは落ち込み悶々とする毎日。そんなとき、通販サイトを立ち上げてもらった制作会社の担当者が、あるアパレルメーカーのWebマスターの仕事を紹介してくれたのだ。その会社で正社員として働きだした元兼氏は、幹部からの指示に対して結果を出そうと、一つひとつの仕事の質にこだわり、全力で取り組んだ。その反面、「むちゃくちゃ尖っていました」と笑う。

「生ぬるい仕事をしている社員は全員、敵。他人の仕事にはケチをつけまくっていたので、職場の同僚や後輩からは煙たがられ、社内では完全に孤立していました。このままではダメだ。人との接し方を変えて、やり直そうか。しかし、マイナス状態から人間関係を構築するのは大変だぞ」と悩んでいたところ、「壁なんか迂回したらええ。迂回した先でしか出会えない人や新しい発見もある」という落語家の月亭八方師匠の言葉に出会う。

「その通りかもしれない」と思い、28歳で会社を退職。35歳で独立という目標を立て、そのために足りないスキルを身につけられる会社に絞り、就職活動を開始した。そして大阪市内のWeb制作会社で、ディレクションや顧客折衝、新規開拓営業、制作作業、チーム管理などに携わり、眠る暇もない仕事中心の生活が始まる。

そして4年後の32歳。今度はプログラミングスキルを身につけようと、大手システム開発会社に転職し、勤務の傍ら、前職の後輩から依頼されたWebデザインの仕事を副業で手掛けるようになった。そのうちに副業が本業の収入を上回り、2018年に独立することになる。

「今から考えると、僕はいつもギリギリのところで多くの人に助けられてきたように思います。廃車を紹介してくれたおじさんや、スナックのママ、Web制作会社の人も、僕を見てほっとけなかったんでしょうね。そんな人たちに受けた恩を返せるように、自分なりに頑張っています」と自身の半生を振り返る。

すべての仕事はクリエイティブ。

「ここまで話してきましたが、クリエイティブの話はほとんど出てこなかったですよね。僕は美大やデザインの専門学校を卒業したわけでもなく、師匠もいません。デザインに専念した時期もありません。自分はクリエイターなんだろうかと考えることがあります」。
しかし、どんな仕事をしていてもクリエイターではないかという元兼氏。「工場でバイトしていたときに、はんだごての作業効率をあげる方法をみんなで考えて、1.5倍のスピードアップを実現したことがあります。それも立派なクリエイティブですね」

そんな元兼氏が考えるデザインとは。「使う人のために、さまざまな思いを込めて工夫すること。人のことを思い、設計することがデザインだと考えています」と答える元兼氏。多くの人との出会いや、かけられた言葉の数々、さまざまな職業経験が血と肉となり、今の元兼氏をつくり、作品づくりに生かされているにちがいない。そして、元兼氏が冒頭で話したクリエイティブサロンの“始球式”のボールは、参加者の心にズドンと響いたことだろう。

イベント風景

イベント概要

「出会いと想い」が僕のクリエイティブの原動力
クリエイティブサロン Vol.174 元兼正義氏

ロクに学校も行かず、家にも帰らず、やりたいことも見つからずの悶々とした日々を10代〜20代前半まで過ごしていた僕が、たくさんの出会いや回り道を経てWeb制作の道に足を踏み入れてから10余年経ちました。
大した学歴も大手事務所で働いた経験も無い一人のフリーターが、クリエイターとして独立に至るまでの話を軸に、ちょっと変わった経歴を通して出会った「かなり変わった人達」との心温まる(もしくは背筋の凍る)エピソードなどを交えてお話しさせていただきます。
「こんなクリエイターもいるんだね」くらいの感覚で楽しんで頂ければ幸いです。

開催日:2020年8月4日(火)

元兼正義氏(もとかね まさよし)

Motto Design

1984年、奈良県生まれ。その日暮らしのフリーターから、アパレル通販サイト運営、小さなデザイン制作会社、システムエンジニアなどを経て2018年に独立。
企業や団体のHP制作、中小企業の採用サイト制作、ランディングページ制作、WordPress導入、LINEbot開発など、Web制作をメインにお仕事をさせて頂いてます。
畑違い出身の経験や視点を大切にしながら、日々お客様の想いと向き合っています。

https://mottodesign.jp/

元兼正義氏

公開:
取材・文:大橋一心氏(一心事務所)

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。