「出会い」が導いた、自身の成長と活版印刷の可能性
クリエイティブサロン Vol.146 野村いずみ氏

印刷の凹凸感やインクの風合いなど、独特な魅力で注目を集める活版印刷。読者のなかにも自身の名刺に使用している人は多いだろう。146回目となるクリエイティブサロンのゲストは、今年50周年を迎えた印刷会社・有限会社山添の代表である野村いずみ氏。廃業寸前だった家業を継いで10年目。さまざまな試みで業績を回復させ、2018年3月には活版印刷を体感できるショップ「THE LETTER PRESS」をオープンした。なにを考え、どう行動し、いかに変わってきたのか。真っすぐな人柄が伝わる野村氏の言葉に、満員御礼の会場は耳を傾けた。

野村いずみ氏

幼い頃から慣れ親しんだ家業としての「活版印刷」

野村氏は大阪市城東区生まれ、城東区育ち。父は地元で小さな活版印刷会社・有限会社山添を経営していた。「子どものころは工場が遊び場で、カッターやロットリングなどの道具が大好きでした」と、活版印刷に囲まれて育ってきたという。幼少期の自分を“引っ込み思案な性格で人見知り”と表現する野村氏だが、現在は父が創業した会社を受け継ぎ、経営者として手腕を発揮している。

そもそも活版印刷とは、木や鉛でできた文字(活字)を組み合わせ、判子の原理で印刷する昔ながらの印刷技法。近年では活版印刷ならではの風合いに注目が集まり、人気を博している。そんな追い風もあってか、山添でもさまざまな事業を展開。印刷業としては、従来からのメインである納品書や名刺などの活版印刷をはじめ、カレンダーやパッケージなどの一般的な印刷物、オフセット印刷と活版印刷を組み合わせたプリンティングディレクションなどを行っている。そのほかにも、オンラインで活版印刷をオーダーできるサイト「活版名刺ドットコム」の運営、オリジナル紙雑貨の製造販売、グラフィックデザイン、活版印刷ショップ「THE LETTER PRESS」の運営など多岐に渡る。

活版印刷
手掛けた活版印刷の事例。版に圧力をかけて印刷することで、活版印刷ならではの凹凸が表面に現れる。

時代と流れと家族の変化
倒産危機の会社を引き継ぐまで

ここまでの話を聞くと、順風満帆と思うかも知れない。しかし、野村氏は「実は、山添は10年前、廃業寸前だったんです」と切り出した。10年前とは野村氏が父から会社を受け継いだ時期。「私事で恐縮ですが…」と控えめな前置きのあと、赤裸々なトークが始まった。「活版印刷の全盛は高度成長期で、その当時は“名刺を刷れば蔵が建つ”と言われていたそうです」。しかし、1980年代にはオフセット印刷の台頭をはじめ、写植やワープロ、OA機器の普及により活字需要が減少し、1990年代にはDTPも一般的となり一気に衰退。1995年の阪神淡路大震災が追い打ちをかけたことで、関西の活版印刷業者の多くが廃業に追い込まれた。

容赦ない時代の流れに加え、社内でも大きな変化が起こったという。社長の父と共に二人三脚で歩んできた専務である叔父が独立。営業として会社のほぼ半分の仕事を握っていた叔父の退職で、多くの仕事を失うことに。そこで、父は大手企業に勤めていた姉を呼び戻し、姉夫婦が中心となって再起を図ることになった。1992年、アルバイトとして手伝っていた野村氏も正式に就職。「活気があっていい時代でした」と、家族一丸となって働いていた当時を懐かしむ。これでハッピーエンドであればいいのだが、事実は小説よりも奇なり。「姉が離婚して2年後再婚、高知へ行ってしまったんです」と、会社を継ぐ予定であった屋台骨の消失に、またも社内は揺れた。抜けた穴を埋めるにも人手がない。そこで野村氏が、姉の担当であった営業として働くことになる。それから数年後、28歳のときに父と連名で代表取締役として登記。そのときの心境を「時代もありますし印刷業界には期待していませんでした。やりたいこともないし、お金もないし、何もなかった。辞める選択肢がないから、我慢してやっていた感覚です」と語る。
肩書は社長。しかし、実際は父が主導権を握っていて意見は通らない。二代目の悩みを抱えながらも、目の前の仕事に追われる日々。「まったく先のことを見ていないし、上手くいくはずがないですよね」と語るように会社は7期連続赤字。ボーナスを払わないと従業員が辞めてしまうと、借入で賄う状態が続いていた。その結果、累積赤字は3000万円超。「毎晩、父と話し合いました。『社員を辞めさせて、家族三人なら何とか食べていける』と父は言いましたが、お客も仕入先もあるし、私や社員みんなで頑張ればなんとかなる!」。いつしか芽生えた責任感を胸に、野村氏が社長として本格的に舵を取ることに。変化はまたもや唐突に訪れた。

活版印刷
活版印刷は活字を一文字ずつ組み上げて版を作るほか、樹脂板やマグネシウム板などで版を作る方法もある。

社長として会社を率いて10年
大胆な改革と心の変化

2008年、名実ともに社長となった野村氏は、仕事を求めてとにかく動いた。そんななか、2009年にメビック扇町を初めて訪れる。「このとき、友達、仕入先、得意先以外の人に初めて会ったんです。私の中で世界が広がる実感がありました」と振り返る出会いは、さらなる人の輪を呼び寄せた。「出会った人が『活版印刷をやってるんだよ』って、いろんな方に紹介してくれて。それから繋がりが一気に増えましたね」。そこから、関西の活版印刷会社と「関西活版倶楽部」という団体を立ち上げてイベントを行うなど、これまでにない活動を展開していく。この頃から野村氏は、「私に何ができるんだろう? 山添には何があるんだろう?」と考えるようになったという。

2011~2012年には、経営の勉強のために大阪産業創造館が主催する「なにわあきんど塾」へ入塾。経営者としての考え方を学び、意見交換ができる経営者との繋がりも得た。また、同年には「活版名刺ドットコム」をオープンし、新たな一歩を踏み出した。矢継ぎ早に改革へ取り組む野村氏だが、父の代からのベテラン社員と意見の相違に悩むことも多かった。2013年9月、父が他界。その半年後、相違があった社員の解雇に踏み切った。改革の一手とはいえど、周囲から非難されることもあったという。

ここで新たな思いが野村氏の胸に灯る。「業績は伸びているが、小さな活版市場だけでは限界がある。別のマーケットに広がりを持たなければいけない。また、オリジナル商品を製造販売することで、発信する側になろうとも考え出しました」。2014~2015年は、解雇による案件の減少で工場はストップ状態。しかし、この空いた時間を活版印刷の研究やオリジナル商品のサンプル作りに充てた。結果として、売上は昨年から1500万円減だったが、経常利益は前年と変わらず、粗利率に関しては8.3%増。「これまでが、いかに安売りしていたかということ。やれば損する仕事ばかりだったんですね」と分析する。

改革はさらにペースを上げる。2015~2016年にかけては、廃止していたボーナスを復活。「社内ブランディングやデザイン案件の受注を目的に2016年4月にはデザイナーを採用しました。今では私の右腕として大活躍してくれています」と嬉しそうに語るほど、素晴らしい人材と出会うこともできた。また、自社サイトのリニューアルを敢行し、その効果もあって翌年には大口案件が増加。オリジナル商品もコンスタントに売れ出し、経営的な数字は全て前年度越えを果たした。直近では、2017年11月に台湾で開催された「POP UP ASIA」出展により初の海外進出。2018年3月には、クラウドファウンディングで資金調達を行った活版印刷ショップ「THE LETTER PRESS」をオープンさせるなど、挑戦は今も続いている。

THE LETTER PRESS
「THE LETTER PRESS」。メビックを通じて出会ったクリエイターと協働して店舗が造られた。

人との繋りによって今がある
“出会い”が生んだ変化の原動力

「何がしたいという訳でもなく、流れのまま、できることを精いっぱいやって来ただけです」と謙虚に語る野村氏だが、にこやかな笑顔の裏に秘められた苦労は想像に難くない。「私は人に会うことで、ここまでやってきました。楽しく仕事ができるようになったのも、人との出会いのおかげです。だから今度は、私が人と出会える場を提供したい。そう思ってオープンしたのが『THE LETTER PRESS』なんです」と、自分を変え、会社を救ってくれた“出会い”に対する思いは強い。「先のことは何も考えていませんが、私たちにしかできないサービスやモノを作るなど、影響力がある会社にしたいとは考えています。そのために何をするか、というのは考えていないのですが」と笑った。

経営者として突き進んできた10年は、“出会い”によって成長した10年でもあった。これからも野村氏の変化とともに、会社は流れるように変わり続けるのだろう。未来の姿が楽しみになるサロンだった。

イベント風景

イベント概要

家業を嫌っていた私がPRINTING STAND「THE LETTER PRESS」を創るまで
クリエイティブサロン Vol.146 野村いずみ氏

思わぬ流れで父が経営する印刷会社の跡を継ぎ、一営業マンの立場で仕事をこなしていた10年間。とうにデジタル化もペーパーレス化も定着した中、スピードと価格しか売ることが出来ず廃業寸前に追い込まれた2008年に一念発起し代表交代。
メビックとの出会いを機に人との繋がりが広がり、思考・行動・結果が大きく変化した10年間を、仕事への取組みと想いを交えてお話したいと思います。

開催日:2018年7月12日(木)

野村いずみ氏(のむら いずみ)

有限会社山添 代表取締役

大阪市城東区生まれ。幼少期から家業の印刷工場で遊び、学生時代は印刷補助や製本作業を手伝う。短大を卒業後、創造社デザイン専門学校でグラフィックデザインを学び、現会社に就職。版下製版、工務、営業を経て代表取締役に就任。先代の引退後の2011年、活版印刷のECサイト「活版名刺ドットコム」を開始。現在は商業印刷、活版印刷の他、「イロムラ印刷」と名付けた印刷技法の提案から、紙の選定や製本・加工といった表現に合わせたプリンティングディレクションを行う。今春、古い活版印刷機と製本加工機が使えるショップ「THE LETTER PRESS」を城東区野江にオープン。新しい領域へチャレンジすることで、印刷会社としてのこれからの有り方を日々考え中。

http://www.yamazoe-p.jp/

野村いずみ氏

公開:
取材・文:眞田健吾氏(STUDIO amu

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。