点から線へ。どうデザインするかは、どう生きるかということ。
クリエイティブサロン Vol.136 小出真人氏

マロニエファッションデザイン専門学校を卒業後、2001年より渡伊し、15年に及ぶ海外生活を経て、2015年に帰国した小出真人氏。現在はフリーのファッションデザイナーとして大阪を拠点に活動し、母校で講師もつとめる。滞伊中の2012年より、パートナーの岩井梓氏、プロダクトデザイナーの鈴木康祐氏と共に、現代のファッションビジネスへのアンチテーゼともいえる「made in me project」もスタートさせた。長年、ファッションビジネスに携わりつつも、めまぐるしく移り変わる流行、そして消費の対象としてのファッションにアンビバレントな思いを抱き続けてきたという小出氏。イタリアで得た様々な気付きを中心に、デザインという仕事について思うことをお話いただいた。

小出真人氏

ファッションの現場で学んだイタリア留学

高校2年生だった17歳の時点で、将来はファッションの道へ進むと決意していたという小出氏。筋金入りのファッションフリークかと思いきや、意外にも奇抜な服装で自分を表現したり、最先端の流行を追うことには気後れするタイプだったという。

「内向的な性格だったこともあり、自意識をストレートに表現することに気恥ずかしさを感じていたんですね。でも、自分なりに何かを表現してみたいという気持ちはありました。わからないなりにもっと知りたい、変えてみたいという気持ちから、この世界に飛び込んだように思います」

在学中に応募したあるコンテストで賞を獲得したことがきっかけとなり、海外留学への道をつかむことになる。当初希望していたのはロンドンやパリなどの刺激的な都市だったが、予想に反して留学先は第三希望だったイタリアに決定した。

イタリアのファッション=実用的で変化に乏しいイメージがあり、実のところ、さほど興味を感じていなかったという小出氏。現地ではまずミラノの語学学校に通い、その後、実践的にファッションを学んだ。翌年からは現地で応募したコンテストがきっかけとなり、「ロベルト・カヴァッリ」*1での研修も体験。

「メンズ、子ども服、刺しゅうなど、ひと通りのセクションを体験させてもらい、雑用をしながら現場で学びました。大企業だったので、社内で染色ができたり、設備はかなり整っていましたね。ショーの舞台裏なども体験し、ここで吸収したものは大きかったと思います」

イタリアで参加したコンテスト
ドレープ感のあるやわらかい布が、重力で次第に落ちていく。あらかじめ固定されたフォルムより、その自然な落ち感におもしろさを感じて制作した作品。布の種類が違うものを3体つくって展示した。

衣食住すべてがデザインにつながっている

研修を終えて一時帰国した小出氏は、ひとつの転機を迎えることになる。「その頃の僕には、自分がつくる服をビジネスとして成立させ、なおかつ継続させていくというビジョンがまるで欠けていた。そこで、再びイタリアに戻って仕事をしようと思ったんですね」

母校の同期でオートクチュールを学んでいた梓さんも共にイタリアに渡ることになり、24歳という若さで結婚。半年の就職活動を経て、小出氏はアルプスのふもとにあるビエッラという自然豊かな町を拠点とする「hLam(ラム)」*2というピエランジェロ・ダゴスティン&グン・ヨハンソン夫妻が手掛けるブランドで働くことになる。梓氏はミラノでパタンナーとして活躍し、小出氏は同ブランドのアトリエに住み込み、週末にミラノに戻るという別居婚を1年ほど続けたという。

ビエッラで夫妻の生活を目の当たりにした小出氏は、食やインテリアなど暮らしそのものを独自の美意識で整え、自分たちのスタイルを自然体で楽しむありように感銘を受けたという。

「アトリエと住まいが隣接していて、畑では無農薬野菜をつくってたり、いろんな果物の木もありました。ミラノで開催される展示会でも空間演出はもちろんのこと、流す音楽や、もてなしの料理にいたるまで、服づくりと同じクオリティでこだわるんです。一方、僕は服のことだけを考えていて、食事をすることは別次元のことだと思っている。住空間や聴く音楽についてもそう。自分自身の暮らしとものづくりがバラバラに点在していて、ひとつの線としてつながっていなかったんです。そこが最も自分に欠けている点だと痛感しました」

装いには哲学や歴史への敬意が秘められている

黒いボタンの表裏
「hLam(ラム)」のオリジナルボタン。通常は表面に入れるブランドロゴを、あえて裏面に入れている。

たとえば、「hLam(ラム)」ではスーツなどに付けるブランドオリジナルボタンにも、こんな仕掛けを施していた。

「その服を着た人が着脱するときにしか見えない、ボタンの裏面にブランドロゴを入れてるんです。こういう服を着てるんだとステータスとして対外的に示すのではなく、自分自身の幸福感、喜びのために着る。そういうメッセージを表現しているわけです。同様の考え方で、彼らの服づくりは、表と同じくらい、裏にも非常に凝るんですね。糸でボタンを留める方法についても、オーダーメイドの伝統である、矢印の形にしていたり……。最初は見た目がカッコいいからかな?と思ってたんです。ですが、次第にこの留め方だとボタンがちょっと傾くので指に引っかかりやすく、着脱が楽になるというのがわかってきた。長い歴史のなかで残っている手法には、やはり理由があるわけです。そこに気付いてからは、移り住んだのがイタリアで良かったなと思えるようになりました」

無理のない循環を生み出し、ファッションの新たな地平へ。

透明なトートバッグ

滞伊中より、仲間たちと3人で“わたしの中でつくられた”をコンセプトにスタートしたのが、「made in me project」だ。手始めにリリースした透明なトートバッグ「Transparent Bag 360°」は、ユーザーが自ら工夫し、手を加えることで初めて完成する趣向である。2012年春、イタリアのミラノサローネ期間中に開催される「トルトーナデザインウイーク」の一貫として展示会も開催した。

「シーズンや流行で消費を繰り返すのではなく、アイテム自体が柔軟なものであれば、人の気持ちが変わってもフィットするんじゃないか、という考え方ですね。展示会では子どもから老人まで200人以上に参加してもらい、自分らしくアレンジしたバッグの画像を壁一面に展示しました。アクリルガッシュ絵の具をあいだに入れ込むことで、使っているうちに自然と抽象画のような模様になるものなど、僕らも驚くような発想のバッグが多く生まれました」

今後はバッグ以外にも服のラインを新たに立ち上げ、学生時代から感じていたファッションビジネスへの違和感を新たに見つめ直し、インダストリーとオーダーメイドの間を自由に行き来するようなものづくりをめざすという。

「大量生産より前の時代は、日本でもオーダーメイドが主流でした。洋服が欲しいと思ったら、仕立て屋さんで注文するか、家庭でミシンを踏んでつくるしかなかったわけです。みんなが既製服を着るようになった理由というのは、手間が省けるというのもあるんですけど、いちばんの理由は経済だと思うんですね。たくさん利益をあげるためには、たくさん売らなければならない。しかし10着つくったとしても、10人が買うとは限らないので、必ずものが余るという構図になっている。理想はインダストリーでありながら、ひとつひとつ、違うものができるということ。たとえばいま、ホールガーメントという、SHIMA SEIKIがつくっている編み機があるんですが、裁断や縫製の手間が省け、必要な分の糸しか使わないので非常にエコなものづくりができます。そういう新しい技術も視野に入れながら、量産でものが余るという構造から、新たな可能性を探っていけたらと、いまはそう考えていますね」

会場風景

イベント概要

目に見えないファッション
クリエイティブサロン Vol.136 小出真人氏

ファッションとは、身に纏うということもあり、表面的な要素が重視されます。僕がファッションの道に進む最初のきっかけは、反発的な好奇心が動機になるのですが、表面的で流行的なファッションに対する嫌悪感がありました。
0からファッションの勉強を始め、その後イタリアでの15年の生活と仕事の経験など、今まで感じてきたファッションについてのお話をしたいと思います。

開催日:2017年10月03日(月)

小出真人氏(こいで まさと)

Atelier M/A

Noma experience studio 代表 ファッションデザイナー / マロニエファッションデザイン専門学校 非常勤講師
1979年生まれ。大阪の服飾専門学校を卒業後、2001年、渡伊。ミラノのマランゴーニ校で学ぶ。ロベルト・カヴァッリでの研修を経て、ピエランジェロ・ダゴスティン、グン・ヨハンソンに師事。彼らのオリジナルブランド、ラムのほか、ドルモア、ジェイ・リンドバーグ、ミラショーン、カリアッジなどの仕事に携わる。2012年、独立。2015年、大阪に拠点を移す。

https://www.atelier-m-a.co/

小出真人氏

公開:
取材・文:野崎泉氏(underson

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。