ヘルスケア分野のイノベーションを大阪から。
I-LABO Vol.3 クリエイター領域からアプローチする“健康医療ビジネス”の可能性

メビック扇町では、クリエイターが持つ創造力や表現力などを活かし、産業や経済、社会などの分野でイノベーションを創出することをめざし、クリエイター自身が各専門領域の知識を修得しクリエイティブニーズを探るとともに、専門家と交流を深める機会として、「I-LABO クリエイターのためのイノベーション創出研究会」を開催している。3回目となる今回のスピーカーは、20年以上ヘルスケア分野の仕事に携わってこられた神戸大学学術・産業イノベーション創造本部客員教授の卯津羅泰生(うずらやすお)氏。高齢化の進展と共にますます活気を帯び、そしてさらに、AI・IoTの展開分野として非常に注目されている健康医療分野に対してどうアプローチすればビジネス展開できるか? 市場参入の可能性やクリエイターの役割についての話題が提供された研究会をレポートした。

卯津羅泰生氏

職場は変わっても仕事はヘルスケアひと筋。

「今度の勤務先は9回目の転職先になりますが、給料の出所が変わるだけでずっとヘルスケア分野の仕事をしてきました。先月までは大阪市内の病院の事務方として病院発ベンチャーのまちづくり会社をつくって地域に展開していました。今回はI-LABOの1回目に登場された伊藤さんの介護レクリエーションの話や2回目に登場された宮下先生のロボティクスの話のまとめになり、次回登場される廣常さんのまちづくりに関する講演につながる話をします。今後皆さんがクリエイターとしてヘルスケア分野においてどのようにビジネスを展開していけばよいかのヒントになれば幸いです」

変わっていないこと、変わってきたこと。

講演では初めに医療業界全体を見渡して変わっていないこと、変わってきたことが紹介された。示されたのは約8,000と約100,000という二つの数字。前者は日本における病院の数で、後者は診療所の数だ。厚生労働省は、十数年以上も前から病院の数を減らそうとしているが、その数はほとんど変化していない。診療所の数もあまり変わっていないのが現状だ。一方、時代と共に変わってきたこともある。以前は街のあちらこちらに有床の診療所があったが、いまの診療所はほとんどが無床だ。また、以前は病院に勤めた後に独立する医師が多かったが、いまはサラリーマンドクターとして勤め続ける医師が増えているという。人間ドックも変わった。10年ぐらい前は健診のバスがたくさん走っていたが、経営が成り立たないため、どんどんそのバスが減り、いまは病院が中心となり、附属で健診部門(人間ドック)を持つようになってきた。
「最近は、小児科の病棟や小児外来にホスピタルアートを取り入れたり、CTスキャンや放射線治療の機械にカラフルなペイントを施したりしている病院があります。スタッフが着るウエアも昔は白が主流でしたが、いまはスポーツ用品やアパレルのメーカーが参入して随分おしゃれになりました。また、昔は薬剤師が病棟を走り回って薬を各病棟のナースセンターに置いていましたが、いまでは自走して決められた場所に薬を届けるロボットを置いている病院もあります」と卯津羅氏は語る。

変化しているものもあれば、依然として変わらないものもあるようだ。
「病院には入院案内というパンフレットがありますが、これを何とかできないかと思っています。入院して手術を受ける方に渡したり事務方が説明したりするためのものですが、高齢者にはとてもわかりにくい。気が動転している人や落ち込んでいる人にわかりやすく伝える技術や工夫がいると感じています。漫画にしたら、とも思うのですがページ数が増えるとコスト増になってしまうので、タブレットで見られる動画を作っては、とも考えています。また、入院する方にスリッパやコップ、パジャマなどの入院セットを販売している病院がありますが、これが味気ない。ホテルのアメニティとずいぶん違います。心が和む入院セットで新しいビジネスが展開できないでしょうか。本人も家族もきっと気になっているはずです」

入院セット

イノベーションが起こりにくい理由。

医療の世界ではイノベーションは起こりにくい、と卯津羅氏は皮肉っぽく考える。こんな事を言うと病院業界から怒られそうだが、非常に閉塞感が強いと感じているようだ。
「医師は決められた薬、決められた方法で医療行為を行います。看護師も決められた指示の下で決められた事をします。それ以外はしてはだめ。それは極めて当然の事で、イノベーションが起こりにくいのは、必ずしも創造性を発揮できる職場環境、産業分野ではないから、と考えています。この世界は、法令を遵守して医学的根拠であるエビデンスベースで物事が進められます。決められたことを適切に間違いなくきちんと行う人たちが仕切っている場所とも言えますが、いまはまさにその場所で創造性が求められています。皆さんのようなクリエイターが入ることで医療の世界はもっと良くなるはずです」

そのコスト、だれが払う?

「なぜ、健康支援産業に参入した企業は苦戦するのか?」という問題は、医療や介護との比較で語られた。
「健康支援産業に参入した企業が苦戦するのは、お金を払う元がないからです。医療保険は生活者にとっては保険ですが、病院にとっては請求の源です。病院や診療所などは医療保険をベースに成り立っているので大いに“食える状態”といえますし、介護ビジネスも介護保険が国からお金が出ているので、関わる人たちも細々とは“食える状態”といえます、一方、健康支援産業は医療・介護に密接に関係しているにもかかわらず、収益源となるセクターが不明瞭です。“誰がコストを払うのか”という点からすると、お金を払う元がない。そのため、ほとんどが“食えない状態”です。そんな中で最近注目されているのが、健康経営の領域。社員のために健康経営を行うとマークがもらえたり、銀行の融資が受けやすくなったりするのに加えて、リクルート活動でも効果があるようです。また、“フレイル”と呼ばれる部分もビジネスのターゲットゾーンになっていますね。“フレイル”とは介護まではいかないが、膝が痛いとか階段を上るのがつらいとか、日常生活機能が弱くなってきている状態を指しますが、ここにさまざまな業界の人が入ってきています」

垣根がなくなり、市場は変わる。

これからヘルスケア市場は大きく変わり、ビジネスに参入しやすくなると卯津羅氏は考える。その理由は、IoTによって他の分野とつながることが容易になり、垣根がなくなってくるからだという。
「いままではモノをつくる、サービスをつくるというマーケット環境でしたが、それがこの1年で大きく変わってきています。その理由は、さまざまなものがネットにつながり、領域の垣根がなくなってきたからです。また、これからは、モノの価値評価は“モノそのものの価値+そのモノが集めるデータの内容と質”になると考えています。企業におけるモノの考え方にも変化が見られます。たとえば、炊飯器。価格や機能、デザインのことだけではなく、炊き上がる時間、炊いた量などのデータを溜めて分析すれば食生活がわかり、それらを利用すれば企業は新サービス提供につなげられます。今年5月には個人情報保護法が改正されてデータが(ちゃんと、それなりの細かな規則はありますが)匿名化されていれば売買しやすくなる方向に向かっています。市場が生活のデータを売る構造になってきたので、この半年で何か新しいビジネスが生まれるのではと思われます。どうやってきちんと集めてどうやって取引するかが次のビジネスの儲け口です。データの売買を仲介するデータ取引プラットフォーム事業も存在します。何歳のデータか? どんな食生活の血圧か? などプロファイリングできる情報が多いほど価値が高くなります」

いま、製品やサービスを世に送り出すとき、大企業ではフィールド実証を行うようになってきている。作りながら変えながら商品化していく、いわゆるリビングラボというスタイルだ。卯津羅氏もこのフィールド実証を行う健康科学リビングラボ設立に向けて活動しているという。
「ヘルスケア分野において課題を産学公民が連携し解決するイノベーション共創の場をめざしています。キャスティングするのは企業、研究機関・大学、行政、生活者・NPOです。場所は梅田や神戸を考えています。たとえば、グランフロント大阪のナレッジキャピタルや大阪工業大学の梅田キャンパス、一般社団法人テラプロジェクトと組んで街の中でロボットを動かしたり、健康チェックをしたり、商品を開発したり。企業の研究者も大学のナレッジを持った人も生活者も対等に参画し、行政もそこを斡旋するような形のリビングラボにしたいですね」

「新たな“モノ”の考え方」の図

大阪を横断するパイプライン構想。

講演の最後に卯津羅氏が考える「大阪ヘルスケアビジネス創出パイプライン構想」が披露された。この構想は、大阪における各産業支援拠点がそれぞれの機能を持ち味として他拠点とつながり、新機軸事業創出のスピードを加速させるというものだ。拠点は6か所。1つ目は、府内全域の中小ものづくり企業のための総合支援拠点“ものづくりビジネスセンター大阪(荒本)”。2つ目は健康寿命延伸産業の事業者を産学金官が連携してサポートする“大阪健康寿命延伸産業創出プラットフォーム(堺筋本町)”。3つ目は、“健康・健康科学”領域のイノベーション創出を体感できる“大阪市立大学健康科学イノベーションセンター”。4つ目は、ロボティクスを中核テーマにして新たな領域に挑む“大阪工業大学 梅田キャンパス”。5つ目は大阪に集積するクリエイティブ関連企業クラスター“メビック扇町”。そして6つ目は、日本最大規模で展開する介護・福祉・健康関連の常設展示場“ATCエイジレスセンター”。「これらの拠点がつながり、新機軸の事業を創り出し、海外に向けてビジネスモデルを発信できればと考えています」と語り、卯津羅氏は講演を結んだ。

卯津羅氏との意見交換

イベント参加者

A氏(Webシステム開発者)

データ活用についてお尋ねします。ITを使うといくらでもデータを作ることができますが、きちんと対策ができるものでしょうか?

卯津羅泰生氏

卯津羅氏

確かに1件しかデータがなくても乱数表等を使えばいくらでもデータを作ることができます。また、たとえデータがねつ造されたものでなくても、フィールド実証においていい加減な計測で得られたものかもしれません。そういう意味でデータの作り方やフィールド実証の仕方を評価する第三者評価機関が必要と考えています。データの取り方が妥当か、データを用意する会社はセキュアな環境か、個人情報保護法に基づいているか、改ざん対策を講じているかなどを、データを売る側でも使う側でもない第三者が評価する必要がありますね。

イベント参加者

B氏(プランナー)

医療関係者の方の食に対する意識は病院によってずいぶん異なるようですが、いかがですか?

卯津羅泰生氏

卯津羅氏

医師や看護師が病院内のコンビニで買ったもので昼食を済ませるのはよくあります。夜勤をする人はカップラーメンやコンビニの弁当、パンに頼らざるを得ないので体に悪いのでは、と思ってしまいますね。

イベント参加者

C氏(Webサイト制作者)

病院がWebサイト制作に力を入れ始めていると伺いましたが、理由は何でしょうか?

卯津羅泰生氏

卯津羅氏

いまは患者さん自身が診療科目をネットで確認するようになっています。コールセンターにオペレーターはいるのですが、クレーム以外で電話をかけてくる人はかなり減りましたね。看護師の求人においても看護師さん同士がLINEなどでつながっていて情報をやり取りしているので、WebサイトやSNSがない病院はちゃんとした看護師は採れないのでは、と思っています。

イベント参加者

D氏(企画デザイン会社代表)

病院のWebサイトのインターフェイスが便利になっているようですが、それでも高齢者には難しいのでは?

卯津羅泰生氏

卯津羅氏

人間ドックの場合はご自身でお探しになって申し込まれますが、介護や終末期の医療においては高齢者ご本人ではなく娘さんや息子さんが問合せをされています。事前にかなり詳しく調べてから問合せをされるので、病院や施設側がきちんと情報発信すればそれなりのレスポンスは見込めるはずです。強化する価値はある、と考えています。

エピローグ

豊富な事例、わかりやすいスライド、ていねいな解説、核心を捉えた視点の提示であっという間に話題提供の90分が過ぎた。時代の変化や最新トレンドの紹介だけでなく、いまさら聞きづらい「病院と診療所の違い」や「老人保健施設、グループホーム、特別養護老人ホームの違い」「調剤薬局とドラッグストアの違い」をはじめ、フィールド実証や現在のリビングラボを大正時代に今和次郎が提唱した「考現学」と比較した考察なども盛り込まれ、参加者を飽きさせることがなかった。
卯津羅氏が「これからの皆さんのビジネスのヒントになれば」と思って挙げた2つのキーワード“インターフェイス”と“シェアリング”は、いまのヘルスケア分野と親和性もよく、特に重要だという。

「技術は進んできましたが使うのは人間です。にもかかわらず、まだまだわかりにくい“インターフェイス”が作られています。ここを商売のカテゴリーとして見てはどうでしょうか?“シェアリング”に関しては、人材の“シェアリング”や器具の“シェアリング”などによってコストダウンを図ることも可能だと考えています」

講演の後には質疑応答や意見交換も活発に行われて、気づきに満ちた研究会は幕を閉じた。貴重な話題と示唆に富むアドバイスを得た参加者にとって、今夜の会は自身の強みの生かし方を考える上でもビジネスアプローチの戦略を練り上げる上でもきっとよい契機になったはずだ。

イベント風景

イベント概要

クリエイター領域からアプローチする“健康医療ビジネス”の可能性
I-LABO – クリエイターのためのイノベーション創出研究会 Vol.3

現状、健康医療分野におけるイノベーション展開は非常に活気を帯びてきております。特に、来年の医療保険・介護保険の同時改定に向けて様々なビジネス開発が行われています。また、関西では、うめきた2期プロジェクト、北大阪健康医療都市(健都)プロジェクトや神戸リサーチコンプレックスなど、大きなプロジェクトも目白押しです。さらに、2025年の大阪・関西万博誘致のメインテーマの1つに健康医療分野が上がるなど、大きな追い風も吹いています。しかしながら、当分野にアプローチしているのは、医療・介護系機関を中心に、モノづくり企業やIT企業、ヘルスケアサービスを提供している企業がほとんどであり、クリエイターの方々が自己の特色・リソースを活かしてビジネスアプローチすることがほとんどありません。この研究会では、クリエイターの視点からどのようにアプローチすればビジネス展開し易いのか、ということに力点を置いてお話できればと思っております。

開催日:2017年10月11日(水)

卯津羅泰生氏(うづら やすお)

株式会社新産業文化創出研究所

民間シンクタンク、市場調査会社等において一貫してヘルスケア分野における技術調査、マーケティングリサーチ、新規事業開発、ビジネスアライアンス支援、産学連携、各種コンサルティング活動に従事。また、大学発ベンチャー、医工連携、中小企業支援等の視点等を重視したイノベーション支援コンサルティングも展開。現在、病院・介護関連施設における新規事業部門としての視点から、ICT、ロボティクス等を活用した医療機関・介護施設発のヘルスケア新規事業の創出や在宅ヘルスケア新規事業開発に取り組んでいる。

http://www.icic.jp/

卯津羅泰生氏

公開:
取材・文:中島公次氏(有限会社中島事務所

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。