よりよい社会を問い続ける、哲学とデザインの力
クリエイティブビジネスフォーラム「クリエイティブは旅に出よ。」Vol.5

社会や産業のあり方に地殻変動が起きている今、私たちクリエイターも越境し、「クリエイティブのOS」を鍛え直す対話を始めよう。そんなコンセプトから始まった公開ブレスト企画「クリエイティブは旅に出よ。」、第5回目のテーマは「哲学」。民藝に潜む社会へのまなざし。時代に対するアンチテーゼ。違和感のノイズから生まれるクリエイティビティ。パネリスト3人が自らの仕事を哲学者に批評してもらおうという趣旨から始まった対話は、「答えのない」問いを残しながら領域横断的に広がっていった。

ゲスト

鞍田崇氏

鞍田崇氏

哲学者
明治大学理工学部 准教授

京都大学大学院人間・環境学研究科修了。近年は、ローカルスタンダードとインティマシーという視点から、現代社会の思想状況を問う。著作に『民藝のインティマシー「いとおしさ」をデザインする』(明治大学出版会 2015)など。

スピーカー

江副直樹氏

江副直樹氏

ブンボ株式会社

米穀店店員、工場作業員、釣り雑誌編集者、コピーライターを経て、商品開発や広報計画を柱とするプロデュース会社を設立。農業、商業、工業、観光、地域活性など、多分野においてコンセプト重視の事業戦略提案を行う。

三木健氏

三木健氏

三木健デザイン事務所

話すようにデザインを進める「話すデザイン」と、モノとコトの根源を探る「聞くデザイン」で物語性のあるデザインを展開。今、話題のデザイン教育プロジェクト「APPLE」をまとめた書籍が、英・中・日・韓の4ヶ国語で上梓されている。

服部滋樹氏

服部滋樹氏

graf : decorative mode no.3

美大で彫刻を学んだ後、インテリアショップ、デザイン会社勤務を経て、1998年にgraf設立。クリエイティブディレクターとして数々の空間デザインやブランディングを手がけているほか、近年は地域活性などの社会活動も多い。

現代哲学者が「民藝」を語るわけ

江副直樹氏

江副氏

今日のテーマは「哲学」ですが、実は僕は哲学者と呼ばれる方にリアルにお目にかかるの生まれて初めてなんです。ふだん僕たちはコンセプトが重要だってよく言ってるけど、コンセプトって照れずに言ってしまうと哲学や思想だったりしますよね。そこで今日は哲学者である鞍田さんに、まずは普段どんな仕事をされているのかというところからお話しいただいて、そのあとで今日だけの趣向として、僕たちの仕事の事例と、そのコンセプトをご紹介して鞍田さんに叱られる、ということを予想しています。

鞍田崇氏

鞍田氏

めっちゃ気が重いですね(笑)。僕は大学院まではドイツのハイデガーを中心とした現代哲学を研究していて、論文を書いては学会で発表するということをやってたんですが、院が終わったとたん急に何も書けなくなってしまいました。それまではお仕着せの言葉を哲学らしく語ることに必死で、もちろんそれ自体が修行みたいなものではあるんですけど、気がつくと自分の言葉を見失ってたんですね。院を出た後も引き続き研究を続ける立ち位置ではあったんですが、このままの語り口で論文を積み重ねることにパッションが湧かなくて。当時30歳過ぎでしたけど、デザインや建築のような、具体的に形あるものに触れていく中でおのずと出てくる言葉の方がリアルだと感じていて、自分のことを哲学研究者というのはちょっと違うのかなと思っていました。でも哲学を軸にしながら世の中のことを考えてるのは間違いないんで、おこがましいけど、哲学をアクティベートしてる立場として哲学者と言っていいのかなと開き直ったのが30代の後半です。

鞍田崇氏
江副直樹氏

江副氏

民藝についてもいろいろ発言されてますよね。僕は『民藝のインティマシー』という本を拝読しました。

鞍田崇氏

鞍田氏

地域に潜んでいて、今は素通りされてるかもしれない価値を見つける営みの先駆的なものとして、民藝って面白いなって思います。実はハイデガーと柳宗悦って同い年なんです。ハイデガーはゴリゴリの哲学で、それはそれで刺激的なんですけど、哲学者ってふだん思考の空中戦ばかりやってて、気づくと足元の価値ってなんだったっけ?ってことになっちゃう。ハイデガーが見落としてそうな具体例が民藝の世界にはあるなと思いますね。

三木健氏

三木氏

デザインの場合、経済に大きく左右される要素が多く、地上戦を求められることが多々あります。クライアントにもよるのですが、空中戦をしたくても目の前の課題解決を急ぎすぎ、哲学や理念がついつい置いてきぼりにされるケースがあります。もちろん経営者の資質によるのですが、景気に翻弄されて、企業の慌てぶりが露呈されることもあります。

鞍田崇氏

鞍田氏

思考の空中戦と地上戦、それがクルマの両輪のようにうまくかみ合うと面白いんだろうなと思うんですけどね。

三木健氏

三木氏

柳宗悦とウイリアム・モリスって、時代も大きく違うけど、モリスは産業革命後の、大量生産された粗悪なものに対するアンチテーゼとして、ものを作ろうとしたじゃないですか。柳にはそのモリスの影響ってあるんですか。

鞍田崇氏

鞍田氏

無縁ではなかったと思います。柳は『工藝の道』という本の巻末で、独自の視点の先駆的存在として、モリスの思想と茶の湯の美意識を挙げています。「頭はモリスで目はお茶」と言ってるので、やっぱり意識はしてたと思います。

三木健氏

三木氏

今まで僕は、自分たちの前を歩く世代や社会に対するアンチテーゼと批評の精神をバネに、新しい価値を探していたように思います。ただ、大学で教鞭をとるようになって8年になりますが、学生たちと接するようになって、最近は「共育ち」の思想とでもいうか、彼らの発想の内側にあるコンセプトの種のようなものを外側に押し出すことに興味が湧いてきました。相手を受け入れながら、自分の思想を依頼主の中で芽吹かせるような……まるで跳び箱の踏み台になって、相手を遠くへ飛ばす感じがいいんじゃない?って

鞍田崇氏

鞍田氏

今の話でいうと、僕にとっては鷲田清一さんとの出会いがすごく大きいですね。それまでの哲学が語る一方だったのに対して、鷲田さんは1999年に『「聴く」ことの力』って本を出されて、それまでとは逆の受け止めるアプローチ、他者の言葉を奪うんじゃなくて、相手の次の言葉が出てくる呼び水になるように聴くことが、今大事なんだと言われたんです。実際に僕も30代の頃、前の職場でよくこういうトークイベントの聞き役をやってました。ゲストは建築家とか染織家とか、ものを作る人が多かったけど、そういう人たちが、ふだん感じてることを普通の言葉で語る呼び水になる。それが哲学としても大事なんだってことを後押ししてくれたのが鷲田さんです。一方で、聴くばかりのことがずっと続くと、じゃあお前は何考えてんねんと言われるようになるわけです。ちょうどそのタイミングで明治大学に移ったら、中沢新一さんから呼び出されて、彼が主宰してた「野生の科学研究所」で「民藝のインティマシー」の公開講座を始めました。だからもう一人の恩人は中沢さんなんです。

マルクスとモリス。生産と消費の乖離に対する、それぞれの抵抗

三木健氏

三木氏

graf創設当時のものづくりにも、前の世代に対するアンチテーゼは大きく働いていたよね。

服部滋樹氏

服部氏

僕らが20代の頃って、イッセイミヤケとか亀倉雄策さんの日本モダニズムを復興したデザインと、街のデザインがすごい乖離してたでしょ。社会的に「消費を刺激するもの」をデザインしろってことが使命としてあって、デコラティブでギラギラしたものがあふれている状況に反発心を持ってました。自分たちが必要としてるのはそれか?って違和感をすごく覚えてたんです。でもデザイン史を振り返って、1800年代以降のデザインを意識すると、よき先輩方がたくさんいるぞと思えたんですね。モリスもそうだしジョン・ラスキンもそう。社会学者がやってた研究に引っぱられて、日本で民藝運動が生まれて、カウンターカルチャーとしてエネルギーを持った集団が出てきたのが僕らにとって希望だったというか。だから若くて弱い立場の人間が、社会に対してどういうメッセージを発したらみんなに気づいてもらえるかっていうのはすごく考えてましたね。

イベント風景
鞍田崇氏

鞍田氏

そこに自覚的だったのがgrafらしさなのかなと思いますね。良い社会につながる一歩としての椅子であったり、机であったり……。社会って言っちゃうと急に大きな風呂敷を広げられたように思うけど、極端に言えばこのペットボトルひとつだって社会に何かを託されてつながってる入口ですよね。

服部滋樹氏

服部氏

単純に自分以外全部社会なんだって思ったら、アプローチできることはいっぱいあるんじゃないかって。

鞍田崇氏

鞍田氏

民藝の公開講座で、中沢さんと対話した中で一番印象的だったのは、中沢さんが「マルクスは死んだよね、でもモリスは生きてるよね」って言ったことです。マルクスとモリスってほぼ同時代で、晩年のモリスは社会をよりよくしようと社会主義者的活動にいそしんでました。マルクスが試みた方法は20世紀の終わりにポシャってしまったけど、モリスのやろうとしたことは民藝が見直されたりしてるように確実に生き続けている、その違いって何だと思う?と中沢さんに振られた時に僕が思ったのは、マルクスは制度の側からひっくり返すために革命も辞さないし、急進的に世の中を良くしようとする政治的アプローチ。それに対してモリスがやったことは、1個の机、1枚の壁紙を今よりも良いもの美しいものにすることで、ひとつひとつのものの力は微々たるものだとしても、確実にいい社会になっていく力になる、という信念を実現していくことだったのかなと思ったんです。grafがやってたこともそれに近いのかなと。

三木健氏

三木氏

ブランディングも同じで、「着眼大局」で俯瞰することも重要だけど、一つ一つの部分を丁寧に作っていく「着手小局」も重要でね。鳥の目で全体をつかむだけではなくて、アリになってみんなと一緒に歩くことをおろそかにしてはいけないと強く思います。

鞍田崇氏

鞍田氏

さっきの「共育ち」に通じる話ですね。補足すると、逆にだからこそ今マルクスを読むと面白かったりするんです。消費と生産の乖離ってのが一番マルクスが問題視したところで、ただ買うだけになってしまって、作るという営みが日常から抜け落ちてると。作る側も、生産者が単なる労働者になっちゃってるという着眼点は鋭いですね。

服部滋樹氏

服部氏

昔は家で梅干しを漬けてたのに、今はスーパーで買う。消費者がサービスにお金を払って経済が成り立っちゃうと、作る能力は失われていく。マルクスのいう乖離状態が蔓延して、さあ次どうする?っていうのが今なのかなと。

三木健氏

三木氏

日本製だった服が中国製になりインドネシア製になっていくみたいに、賃金の安い箇所を探し求めてモノづくりを移していくと、日本の産業が空洞化を起こしていく……。指先の延長は脳であり、指先を動かしてものを作ってる人たちの脳にノウハウが蓄積していくと考えると、このままではクオリティの高いものを日本で作ることができなくなってしまう。

鞍田崇氏

鞍田氏

そしていずれインドネシアも豊かになると、またもっと人件費の安いところへ仕事が移行していく。マルクスがすごいと思うのは、消費と生産の乖離が進むと、最終的に地球上のどこでもものが作られなくなると看破したところです。どこかでこの消費と生産の乖離を埋めるような作業をしないとおかしなことになる。

三木健氏

三木氏

それをAIに託すんやろうね。でも発想をジャンプさせるとかアドリブを利かすのは、AIにはなかなかできない。

服部滋樹氏

服部氏

その話で最近僕が面白いと思ってることがあって、CTスキャナで目の前の器をスキャンしただけだと、3Dデータは取れても作り方はわからないですよね。でも陶芸家の指先の動きのデータを取れたら同じ器が量産できるわけなので、今ロボットはそっちの方へ進もうとしている。そういう高度なアーカイブが残れば、失われていく技術をAIを通して学び直すことも可能になるんじゃないかという気はする。

江副直樹氏

江副氏

AIってセンサーの集積だけど、僕らが感じてるものは、もっときめ細かくて謎に近いものですもんね。

服部滋樹氏

服部氏

僕らは五感と言ってるけど、シュタイナーは12感覚と言ってるでしょ。そこにセンサーが追いついてくれたら、もうちょっと違う世界が来るかなと思うから、僕はけっこうAI推進してええんちゃうのって考えてる方です。さっきの話に出た、地球上のどこでもものが作られなくなっていく時代に、レトロスペクティブではない方向で手仕事の価値をとらえ直すというか。

江副直樹氏

江副氏

いつも思うけどテクノロジーは悪者じゃないもんね。テクノロジーって刃物のようなもので、その刃物をどう使うかってことじゃないかと。

本質に目を向ける / 実際の仕事の事例から(江副直樹の場合)

江副直樹氏

江副氏

さあ、それではここからは、僕らが普段やってる仕事を鞍田さんに見ていただいて、批評いただこうという趣向です。じゃあ露払いで僕から。これは九州の一番最南端にある佐多岬を抱える南大隅町から、おみやげをつくってほしいというありがちな依頼から始まりました。代理店もからんでて、20代の若い女性をここに呼びたいというんですけど、鹿児島市内から陸路で1時間以上かかるこんなところに若い女性なんて来ないでしょ?って。でも誰もそんなこと言わないんです。それに、たとえたくさん人が来ても現地にお金が落ちる仕組みがないなら、活性化にはなっていませんよね。極論をいうと、表向きは何も変わらないけど、そこの産物がネット通販で静かに売れつづけて住民は豊かになるっていうのと、大規模なイベントに人が押し寄せるけど終わったらゴミしか残らないっていうのと、どっちがいいかと言ったら当然前者じゃないですか。

佐田岬
佐田岬の風景
江副直樹氏

江副氏

そう考えると、ここのリソースは海なんです。外洋に面してて、海釣りのフィールドとしてすでに有名。だから苦肉の策ですが、海の豊かさをマニアックな連中に認知してもらい、狭い間口から広げていって、海産物のブランディングにつなげていこうと考えました。そこで僕が提案したのがルアー。地方自治体と釣り用品メーカーがコラボして製品をつくるのはたぶんこれが初めてです。でも役場でこれを理解した人は1人だけでしたね。ベースとなるルアーは、ヒラマサとかヒラスズキといった大物が釣れる、非常に実績ある商品で、そこに色を乗せてオリジナル化しました。今年の1月に、その釣り用品メーカーのウェブサイトで、完成品のルアー70本のテスト販売をしてみたら、事前告知が効いて開始後2分で完売。アクセス解析したら、レジが開いた瞬間に700人が殺到してたんです。それでまちの人の反応がガラッと変わりました。

ルアー
釣り用品メーカーのジャンプライズ社とコラボした「佐多ブルー」のルアー。
江副直樹氏

江副氏

こんな感じで、提示されたコンセプトがあいまいな時は、迷わずそこを突いて、でも否定するばかりではなく、相手を取り込む感じに持っていけるよう、状況を変える努力をしています。

鞍田崇氏

鞍田氏

叱るところないじゃないですか(笑)。午前中大学でやってた授業でも、地域に潜んでる新しい価値を見つける技について話してたんですが、「みんなにウケる」っていう最大公約数的なものの見方ではなくて、ニッチな部分を掘り下げていくことの方が大事なのかもしれませんね。たとえオーダーがそうだったとしても、入口を広く薄くっていう発想じゃなくて、細く濃くっていう方が確実に次につながっていく……。

服部滋樹氏

服部氏

江副さんって、そういうマニアックな人がくすぐられる言葉をうまく使うんですよね。

鞍田崇氏

鞍田氏

リサーチとか、かなりされるんですか。

江副直樹氏

江副氏

あんまりしないです。視察も否定派で、ひたすら内省する方が答えは出ると思っていて。僕らも生きてるわけなので……。言い換えるとふだんからリサーチしているという感じです。

気づきに気づく / 実際の仕事の事例から(三木健の場合)

三木健氏

三木氏

では次、僕行きますね。古代ギリシャのソクラテスが「無知の知」という言葉を残しています。自分が「知らない」ことに気づいた人こそ学ぶ力がある、ということですね。今からお話しする「APPLE」というプログラムは、芸大で初めてデザインを学ぶ大学1年生に、何をどう教えればいいんだろうと本当に七転八倒しながら、りんごを使って始めたものです。デザインの楽しさや奥深さが体験できて、授業そのものをもデザインするような新しい形をつくれないだろうかと考えました。なぜりんごかというと、アダムとイブはりんごを食べて人間になったと言われてますし、のちにニュートンはりんごから万有引力を発見しました。僕らの青春時代にはビートルズがアップルレコードを立ち上げ世界を熱狂させたし、あとはやっぱりAPPLEのスティーブ・ジョブズ。いろんな発明や発見の陰にりんごがあるんじゃないかという仮説を立て、14のプログラムを作りました。

「APPLE」14のプログラム
授業のテーマは、「Learning to design, design to learn(デザインの学び方、学び方のデザイン)」。
三木健氏

三木氏

ここでは「気づきに気づく」がコンセプトです。りんごの周囲の長さや面積を、身体感覚をもって測ってみたり、りんごの色を観察して、自然の摂理に触れながらりんご色見本帖を作ってみたり、学生たちが自分の目で見て、自分の身体で経験し、頭でまとめたことを、自分の言葉で表現してもらう。そうやって授業が進むほどに、自分の作品だけでなくみんなの作品もファイルされて、世界でたったひとつの「りんご」の教科書ができるという仕組みです。この一連のプロセスをもっと社会に開いていこうと、「オープンエデュケーション」なるものを提案したら、いろんな方が共鳴してくださって、書籍の出版につながり、今では大阪芸術大学の図書館の中に「APPLE」の施設ができています。

りんごデザイン研究所
大阪芸術大学のキャンパス内にオープンした「りんごデザイン研究所」。
三木健氏

三木氏

デザインとは何かということが細かくひもとかれていくプロセスをまとめると、①に「理解」。ここがおろそかなケースが多いですね。②に「観察」。“知ってるつもり”が最も危険です。③に「想像」。仮説を立てることです。④に「分解」、もう一度勇気をもって再構築して、⑤で「編集」。物語化していきます。そして最後⑥が「可視化」。ここでようやく理念がデザインというカタチになるのです。デザインは理念の顔、また名前は理念の声と捉えることができます。これらすべてのプロセスで、気づきを探すことがデザインなんだと学生たちに伝えています。

鞍田崇氏

鞍田氏

すごいなあ。知ってるつもりになってるところを崩していく楽しさが伝わってくる。世間では、ともすると知らないこと・わからないこと・できないことがネガティブにとらえられがちです。でも三木さんの授業が面白いのは、知らないことがどれほど豊かでクリエイティブなのかを体感できるところ。そのポテンシャルを引き出してくるのもデザインの大切な役割ですね。僕もよく言うんです。「いたずらにわかりたがる必要はない」って。むしろ、わからないことにどれだけ気がつけるか、で、僕は最近それをノイズと言ってるんです。今僕らがしてる話も、あるコードのもとで共通理解を維持してるんですけど、わからないことは言葉にならないし、コードの中に位置づけようがないですよね。でもデザインとか哲学って、そのノイズのような、わけのわからないことを拾い上げていくことでもあるんだろうな。ノイズの音色を聴くというかね。

江副直樹氏

江副氏

面白いなあ。デザインって感覚に働きかける仕事で、ノイズの集合体を領域にしてますよね。言葉にならないものを可視化するという……。

服部滋樹氏

服部氏

共通キーワードで事足りてしまうと新しさを感じないから、ノイズを求めるんでしょうね。ノイズがあるからその存在を意識するし。

鞍田崇氏

鞍田氏

ただ、一方通行じゃないと思うんだね。ノイズの中に身を置いて、それをわかる方向へとトランスレートしながら往還しているのが三木さんらしさで、そこにはノイズをくぐってきた、したたかなチャーミングさが生まれるというか。

三木健氏

三木氏

チャーミングっていいね(笑)。ところで、今日はここに、同志社女子大学で学びの建築に取り組んでいる上田信行先生が来られてるんです。上田先生、「憧れの最近接領域」の話をちょっとだけしていただいていいですか?

上田信行氏
同志社女子大学 現代社会学部現代こども学科教授 上田信行氏
上田信行氏

上田氏

先ほどノイズの話が出ましたが、僕が取り組む学習環境デザインでは、プレイフルノイズって言ってるんです。プレイフルっていうのはただ楽しいだけじゃなくて、本気になってものごとに取り組んでいる時の、あのワクワクドキドキする真剣勝負の面白さです。違う考え方を持った人間同士が対立する時、そこでケンカするんじゃなくて、プレイフルにクラッシュ(衝突)させて新しい意味を創出する。自分がわからないことって、最初ノイズに感じて気持ち悪いんだけども、意味をネゴシエートしてるうちに、だんだん自分の言葉、生きて使える言葉になっていく感じがするんですね。人と接触することでポテンシャルが敏感になって、何かの拍子にふっとわかるようになる。今日は僕もみなさんの言葉に刺激されて、今までわからなかったことがアッとわかるかもしれない。だからこういう場に来てるんですね。このような場を、憧れとか希望に向かっていくという意味を込めて、僕は「憧れの最近接領域」と呼んでいます。ノイズ同士が闘いあって火花が散ってアンサンブルが起こるような場を、いかに提供するかが教育の大きな仕事だと思います。

鞍田崇氏

鞍田氏

「ノイズのアンサンブル」っていいですね。ノイズって本来共鳴しないはずのものなのに、それが共鳴する、ってすごいことです。

江副直樹氏

江副氏

最初はざらっとして聴こえたものが、だんだん身の丈に合っていくというか。

鞍田崇氏

鞍田氏

通りいっぺんの「わかったつもり」よりもずっと、ずいぶん前から友達だったみたいな、そんな気分にもなれるのがノイズのアンサンブルじゃないかな。

考える行為を取り戻す / 実際の仕事の事例から(服部滋樹の場合)

三木健氏

三木氏

じゃあ次、服部さん行きましょう。

服部滋樹氏

服部氏

僕らgrafがデザインで何を語ってるのかを伝えるために一つ例をあげるなら、このTROPE(トロープ)シリーズです。20世紀に消費の細分化が起きて、便利なものがあふれた結果、人間の「考えて暮らす」という能力が鈍感になってしまいましたよね。僕らも、こんなにものがあふれてる時代に、もうもの作る必要ないんじゃないのっていう思いにさいなまれることがよくある。でもやっぱり僕ら作って生きていかなきゃなって考えた時に、みんなにどういうメッセージを伝えていけば、ものづくりとして正しい形になれるかなって考え出したのがTROPEです。なぜだか売れてて、僕らが想定してた以上の使い方をしてくれる人がいっぱい出てきてます。そのフィードバックがまた僕らのものづくりを次のステージに上げてくれるという、そんな存在になってますね。

TROPE
パーツを組み合わせながら、自分だけの使い方を模索できるTROPE。
鞍田崇氏

鞍田氏

あまねく商品は完成形であって、ある種ゴールだと思うんですけど、TROPEは手に入れたところから始まる、むしろ何も完結してなくて、どっちかというと自分自身が使い方を工夫するプロセスを入手するという感じ。もちろん、買ったらすぐ使えるような完成した製品も必要なんですけど、今のユーザーが求めてるものって未完のもの、体験の機会を得る道具なのかもしれません。

三木健氏

三木氏

これのデビューイベントですごくおもしろかったのが、舞台で役者が商品のパーツを使って、家具における身体性みたいなことをパフォーマンスで表現したんです。この家具が舞台美術の道具みたいに使われて、一切広告しないで終わって、最後に気がつくとTROPEが販売されてた、っていう。

服部滋樹氏

服部氏

三木さん見に来てくれましたよね。鞍田君も民藝を語る本の表紙にTROPEを使ってくれたし。

TROPEのイメージ
鞍田氏の著作『〈民藝〉のレッスン つたなさの技法』の表紙に使用されたTROPEのイメージ。
鞍田崇氏

鞍田氏

すごく今の民藝っぽいなと思ったんです。

服部滋樹氏

服部氏

毎日考えることができる生活こそ楽しいはずなのに、機能的に作られたものばかりに囲まれてると、考える時間がなくなっていく。考える時間をどうすれば提供できるかな?って考えたらこういうアプローチになったんです。僕はデザインにおいて、80%の完成度ってよく言っていて、それは未完成なんじゃなくて、人が関われる20%のすき間をどうデザインするかを考えておこうということ。ものを作るとかデザインするってコミュニケーションだと思うので、その幅をどんどん広げていけたら理想だと思ってます。

江副直樹氏

江副氏

作り込みすぎると汎用性がなくなるし、便利だけど退屈になってしまう、みたいなことに対するアンチテーゼですね。

鞍田崇氏

鞍田氏

鷲田さんと対談やらせてもらった時に哲学の話になって、鷲田さんがおっしゃったのが「哲学が椅子になったらあかんで、哲学は座布団やで」と。それTROPEに近い話じゃないかな。椅子って一義的に目的が設定されて、その目的に応じていろんな形にデザインされてて親切ですよね。でもそれって、作り手の意図に従わされてて、20%の余白がない状態。座布団はそれに比べるとどっち向いて座ってもいい、重ねてもいい、折りたたんで枕にしてもいいっていう融通無碍なところがある。哲学も親切になりすぎて「こう考えたらいいですよ」みたいになると、本末転倒やでと言われました。これってきわめてデザイン的な指摘でもありますよね。

三木健氏

三木氏

僕のAPPLEのプログラムでも「不自由さに学ぶ」というのがあって、爪楊枝だけで絵を描くことを課すんです。筆なら、平筆とか面相筆とか、用途に応じて作られた便利なものがいろいろあるけども、爪楊枝で描けっていうと学生たちも考えるんです。ベタを塗りたい時は爪楊枝をゴムで束ねて使うし、繊細なところは1本で点描のように、というふうに。そうすると、不自由さがいかに僕たちに知恵を与えてくれるかがわかる。

服部滋樹氏

服部氏

それを昔は、生活の中で誰もがやってたと思うんです。さっきのノイズの話に重ねてみると、ひとつのものを幾通りにも使いこなすってノイズの塊やと思うんですよ。常識とは別のアプローチからトライしていくところに、生活の面白さがあるはず。僕はライフスタイルという言葉が大嫌いなんですが、いま言われてるライフスタイルって収まるポケットを用意されてるみたいでしょ。ほんとはライフスタイルを作ることを我々は支援していくべきなのに、収まるってことをデザインしちゃったんで、消費に直結する言葉になってしまった。

「図」ばかり消費することに慣れてしまった時代に

鞍田崇氏

鞍田氏

「ルビンの壺」ってあるじゃないですか。真ん中に壺が描かれてるようでもあり、両端に人の顔が描かれてるようでもあって、「図」と「地」がたえず反転する、という。言い換えると「地」がないと「図」が浮き上がってこないって話ですが、今のTROPEやノイズの話は「地」なんだろうなと思います。つまり「図」を消費したり享受することに慣れてしまってるのが今の僕らで、本来は「地」を同時に見てるから「図」がわかるはずだったのに、気づいたら「図」しか見なくなってしまった。背景にある「地」を掬い上げてくるのが、今日言ってるノイズだったり、TROPEみたいな不自由さが潜んでる場所だと思うんです。でも、じゃあ白い方を見ればいいのかというと、そっちに目を向けたとたんそっちが「図」になってしまう。ライフスタイルの話もそうだと思うんです。最近思うのは、要は「地」を「地」のままにつかみたがってるから、デザインはそれを形にしようとし、哲学は言葉でそれをなんとかしようとしているのかなと。

「ルビンの壺」
20世紀初頭に、デンマークの心理学者エドガー・ルビンが考案した多義図形「ルビンの壺」。
英語版ウィキペディアのJohn smithson 2007さん [Public domain]
江副直樹氏

江副氏

物語が後ろにあるから主人公が浮かび上がってくる。いきなり造形に行くんじゃなくて、コンセプトっていう背景の「地」があるからってことですね。

鞍田崇氏

鞍田氏

「図」にしていく作業はどんどん巧みになっていくけど、仕事の面白さは裏側にこそあるんじゃないかと思うので、そこに介入できてるかどうかですね。

服部滋樹氏

服部氏

「地」と「図」のあいだに、どれぐらいレイヤーが重なってるかというのが見えなくなってるのが今なんだろうな。レイヤーには開発・製造から流通まで、介在してる人たちがたくさんいるのに、ネットで買うからいきなり図だけが飛んでくる。そう思うと「地」と「図」のあいだに何があったかを伝えて繋いでいくのがデザインなのかな。

三木健氏

三木氏

デザインって図案と言って「図を案じる」ってことですけど、漢文的にみると「案を図る」ってことで哲学的ですよね。今は案を図る時代じゃないかと。でも案ばかり図ってると、図が見えてこないから、図と案を行き来しているような……。

服部滋樹氏

服部氏

最近、縄文に興味あるんですけど、1万年続いた縄文時代って、初期・中期・晩期の3つにわけられていて、それは器のデザインを見てたらすごくわかるんです。初期はまず食べるという行為を考えた機能的で便利なデザイン。中期になると気候が温暖になって、人口も爆発的に増えたので、個性が必要になって器のデザインがデコラティブになっていく。これがみんなの知ってる縄文式土器ですが、その後災害でたくさんの人が死んだ時期を経て、器も神に捧げるためのデザインに変わっていく。そこで晩期は、もう一回原点に立ち返るように、機能性と装飾性のバランスがとれたシンプルなデザインになっていくんです。僕らの20世紀の100年間にも同じことが起こったんちゃうかって思います。戦争があって高度経済成長があってバブルがあって震災があって、もう一回原点に立ち返ろうとしてる。今僕らが民藝をあえて語ってることも、今その時代にさしかかろうとしてるんじゃないかという感じがすごくしてて。

江副直樹氏

江副氏

コンセプトは、デザインの非常に重要な要素ではあるけど、造形そのものではないですよね。学生はヘタすると造形にばかり意識が行ってしまうけど、それだけだとコピーはできても、ものはできていかない。なんとなく僕らは直線的に進化しているように思いがちだけど、一方ではこういう話をしてると、「地」と「図」が反転するような瞬間があって、AIがこうなってああなって、って想像してるのとは違う未来が突然来るようなワクワク感があります。

服部滋樹氏

服部氏

アルゴリズムの中に収まらないのがノイズってとらえると、ノイズが生きてる社会って普通に健全なんじゃないですかね。一方でアルゴリズムはシステムをうまく回しといてくれたらいいかなと思います。

鞍田崇氏

鞍田氏

気づきとか記憶って個別的なことで、ノイズは自分自身しか引き受けられないものだと思うんです。その極私的なノイズをアンサンブルにしていけるっていうのが面白かったな。

服部滋樹氏

服部氏

不協和音に出会った瞬間ってフレッシュですよね。そういうのを求めてるんやろうな。

江副直樹氏

江副氏

僕は、感覚領域に働きかけるデザインの力が、今ようやく重視され始めた気がしています。感覚があいまいで抽象的だから後回しにされてるってのは、単に科学が成熟してないからで、AIとかがもっと進化すれば、そういった感覚的なものがちゃんとみんなにわかるように説明できたり活用できたりすると思うんです。ところで鞍田さんは、世の中のデザインワークどう思ってますか?

鞍田崇氏

鞍田氏

個々のデザインをどう思うかはあまり考えたことないけど、社会とか世界に対するふるまい方は、哲学とデザインってすごく似てると思うんです。デザインを深めればおのずと哲学的なものが宿ってくるし、哲学も哲学に甘んじずにデザイン的な可視化の作業を絶えず意識してないと、追求すべきことが深まらないないんじゃないかな。デザインと哲学がコラボレートしていく場を積極的に作っていくと面白いと思いますね。

服部滋樹氏

服部氏

哲学を意識すると、もっと別の世界へ行けそうな気がしますよね。たとえば、医療の世界に哲学が入ったらどうなるかとかすごく考える。医学に必要な「言葉」を処方するってことになるんちゃうかな、とか。

そのデザインに問いは潜んでいるか?

鞍田崇氏

鞍田氏

哲学って、端的に言うと「問い」だと思うんです。「そのデザインに哲学はあるか?」を言い換えると「そのデザインに問いはちゃんと潜んでいますか?」ということ。ともすれば我々は答えを出すことにばかり汲々としてしまって、デザイナーは答えを与えることに必死だし、ユーザーも答えを与えてもらうことに慣れてしまってるけど、一番大事なのは問いを共有することかもしれません。

三木健氏

三木氏

「学問」とは「問いを学ぶ」と書きますね。法律を学んだ学生全員が法律家になるとは限らないし、デザインを学んだからといって全員がクリエイターになるとは限らない。単に専門家になることが目的ではなく、むしろ学問の本質は自らの問いを見つけ、それを学び続けることなのだと思います。

鞍田崇氏

鞍田氏

学生を見てると、みんな仕上がりたがるんです。まだ迷ってるからとか、就職先決まってないから会えません、みたいなところがあって……。彼らからすると1個1個答えを出したところを見てほしいというのはあるんでしょうけど、僕なんかはむしろ不器用なまま右往左往してるところを共有するほうが豊かだと思うんです。さっきの「プレイフル」の話もそういうことですよね。

江副直樹氏

江副氏

何かご質問ある方いらっしゃいますか?

イベント参加者

質問者

プロダクトに問いがないと、というお話でしたが、先人の作ったもの、北欧や欧米の有名デザイナーが作ったものに、問いはちゃんと潜んでいたんでしょうか。

服部滋樹氏

服部氏

まず、木で作るという行為がまさに問いだと思いますね。なぜかというと木の椅子を買って長年連れ添おうと思うと、メンテナンスの方法や座り方も知らないといけない。ともに向き合っていく意気込みがあるというか、楽しく前のめりに関係づくりをしていきたいと思う人じゃないと付き合っていけないものを先輩たちは作ってきてると思うんです。デザインのシェイプにそれがあるかというと必ずしもそうではないかもしれないけど。

鞍田崇氏

鞍田氏

時代に対する違和感から生まれたメッセージが、プロダクトを通して形になる場合もありますよね。暮らしの在り方・社会の在り方に気づく引き金になるようなプロダクトには、あからさまな問いでなくてもメッセージ性があると思います。

三木健氏

三木氏

Yチェアで有名なウェグナーが晩年、自身の入居する老人ホームの部屋に持ち込んだ唯一のチェアがベアチェアです。座るだけでなく寝っ転がるとかもたれるとかいった自由度をユーザーに与えるような椅子です。とても美しく座り心地のいいYチェアよりも、包容力のあるベアチェアを選ぶウェグナーに、ある種の哲学を感じます。
もうひとつ1859年に制作されたトーネット社のNo.14という椅子。パーツごとの分解状態で工場から出荷され、1m2に36脚分の椅子のパーツが収められ、世界中に輸出されました。その後、販売店で組み立てられるという仕組みを作ったのが画期的。椅子を完成させてから移動させると空気を運んでいるようなものだから。よって問題解決や問いを優秀なデザイナーはずっと意識していると思います。

イベント参加者

質問者

よく「デザイナーは問題解決のために徹底的にリサーチせよ」と言われますが、そこに座布団の話が出てくると、答えを見つけるべきなのか、答えを見て見ぬふりするべきなのか、それともヘタウマなまま絵を描けと言われてるのか……。

服部滋樹氏

服部氏

なるほどね、確かに混乱するよね。

三木健氏

三木氏

こういう言い方が正しいかどうかわからないけど、日本には一つの器を多目的に使うような多様性を受け入れる文化がある。西洋は皿も器も使用目的がしっかりと定められている。言い方を変えれば日本は使用方法がグラデーション的で曖昧。西洋はひとつひとつに役割がありロジカル。僕は、今の社会では、座布団の価値に椅子が寄り添うような意識の中に、グローカルな視点を持つデザイナーが求められているように思います。

江副直樹氏

江副氏

さっきの質問に僕なりに答えると、問いがあったものもあるし、なかったものもあったと。ただ、その中でも普遍的になりえたものが名作として残ってると思います。つまり時代が変遷して環境が変わると、その問いは問いじゃなくなっていって、だから僕らはそれを使い続けていく。

三木健氏

三木氏

疑問すらなくなって普遍のものになるというわけね。

江副直樹氏

江副氏

なじんでいくというかね。そろそろ時間になりましたが、最後にいい質問をいただきましたよね。

服部滋樹氏

服部氏

ちゃんと答えになってたんかな?

鞍田崇氏

鞍田氏

いや、逆に答えになってない方がいいんじゃない?

江副直樹氏

江副氏

問いを考え続けよう、というわけで、今日もいい旅でした。どうもありがとうございました。

イベント風景

イベント概要

そのデザインに哲学はあるか?
クリエイティブビジネスフォーラム「クリエイティブは旅に出よ。」Vol.5

これからの若いクリエイターが競争力を持って活発に活動していくためには、自分自身の殻を破って、積極的に異業種・異分野との関わりを持ち、互いに知の共有や技術の融合等を通して、新しいビジネスや事業を生み出していく姿勢や能力が必要となります。

「クリエイティブは旅に出よ。」は、クリエイティブの世界で発信力を持つ3人のスピーカーと、異分野・異業種で活動するゲストとのトークセッションです。
このセッションを通して、クリエイターが異業種・異分野と関わる際に必要な意識や行動様式等についてヒントを得るとともに、異業種・異分野の人々とのリアルなコミュニケーションを深める場になればと考え、継続して開催しています。

第5回のテーマは「哲学」。

明治大学理工学部准教授で哲学者の鞍田崇氏をゲストに招き、三木健氏、服部滋樹氏、江副直樹氏の3人がこれまで手がけてきたプロジェクトを紹介しながら、そのプロジェクトの底流に潜むデザインの「哲学」について、鞍田氏とのディスカッションを通して、クリエイティブの現場で多用されるコンセプトを検証します。

開催日:2019年10月24日(木)

公開:
取材・文:松本幸氏(クイール

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。