僕が生きている存在価値は、勇気与える写真を撮り続けていくこと
レンジャー前田氏:studio model K's

レンジャー前田氏

カメラマン、3DCG、建築、グラフィックデザイナー、役者商品写真、フォト撮影分野で幅広く活躍する、レンジャー前田氏。元陸上自衛隊レンジャー課程修了を経て、除隊後は硝子建築、硝子アート、建築に携わるなどさまざまな分野で活躍してきた。「クリエイターサロン」では、レンジャー前田氏による人生論、現在までの仕事、今後について話を聞いた。


12月2日に開催されたクリエイターズサロンの様子

原点となったのは「克己」


陸上自衛隊時代を熱く語るレンジャー前田氏

「こうみえてもね、子供のころはいじめられっ子だったんですよ」。
鍛え上げられた身体つきで温和な笑顔を見せ、前田氏は子どもの頃の思い出を語る。姉と妹の3人姉弟、おとなしい性格だったことから、近所のガキ大将にいじめられてきた。ところが小学4年のとき、グリコのマークのモデルになっていた元オリンピック陸上選手と出会い、彼から聞いた「克己(こっき)」という言葉に衝撃をうけた。
「人に勉強で勝つのもスポーツで勝つのも、己の心に打ち勝たないと勝てない、という言葉が目からウロコでした。“今まで僕は自分に負けてたんや”って」。
一念発起し、いじめっ子を一週間でやっつけた。運動も一番になった。中学、高校では他校から来る不良もやっつけた。性格が変わった。強いものにビビる心が自分に負けていると思ってきた。高校卒業後は、すぐに家業を継ぐのがいやで、自分を鍛えたくて陸上自衛隊に志願した。入隊1年目にして一等陸士でレンジャー養成訓練に参加、駐屯地始まって以来の若年隊員での訓練参加となった。1ヶ月目は基礎体力訓練、2ヶ月目は山岳訓練、3ヶ月目は想定訓練と、過酷な3ヶ月間の訓練を経てレンジャー過程を修了した。

陸上自衛隊を除隊後、ガラス職人、現場金物、建築、店舗デザイン…と経験

そんな矢先、父親のガラス屋を継がねばならなくなり除隊、家業を継いだ。ガラスの技能訓練校に行き、技能検定を習得、グランプリにも出場し2位に輝いた。その後、家業を離れて現場金物の仕事を経験。だが、40歳を過ぎた頃、腕には自信があったものの、これから先もこんなことをしていくのかと不安になり、これは違うと思いはじめた。「いつまでも職人をできるのか?近代の名工や匠と呼ばれる人も、体力や視力となると、やっぱり年齢には勝てないと思いはじめたんです」。何をしたいかわからないけど、とにかくやめないといけないと思い、建築、リフォームの職に就いた。この頃、チラシを制作するため独学でパソコンを勉強。ガラス屋をしていたときは達成感が少なかったが、金物に携わった頃から物が出来上がっていく楽しさに気づき、店舗デザインも手がけるようになった。絵の個展も開いた。でもこれではご飯をたべていけない。他に何か天職がある気がしてならなかった。

カメラをかまえた瞬間、これや!と思いました

ある日、知人のデザイン事務所とパッケージデザインで大衆演劇の箱を作るため、共に劇団に入った。そんな中でひょんなことから前田氏は大衆演劇の写真を撮影する機会に恵まれた。「カメラもった瞬間、これや!と思いました。初めて撮った作品を見てみんな驚き、座長にもすごく喜んでもらえたんです」そうして前田氏のカメラマン人生がスタートした。いまや彼は大衆演劇のカメラマンとしては第一人者だ。
どんな仕事でもブランディング化が大切、レンジャー部隊にいたことから「レンジャー前田」と名づけられた。ブログをたちあげ、自らが撮った写真を乗せるとファンがつきはじめ、次第に有名になっていく。「僕の場合、言ってしまえばブログに載せるために、カメラを使うようになった。すると、今まで気づかなかったことが目に入ってくる。草花の名前はずいぶん詳しくなりましたし、Facebookやブログにのせるためにも何かと調べるようになりました。季節感や人のしぐさ…それを理解できるのが感性じゃないかな」
Facebookには自分の生き様として毎日、きれいな写真をのせている。「これがあるから生かされていると思っています」
前田氏は二度、命に及ぶ病を経験している。脳下垂体腫瘍、半年後には脳の海面静脈瘤に腫瘍ができていた。手遅れだとの宣告にも関わらず、奇跡的に切除できて救われた。「自分はどうして助かったのかを考えたとき、明るい写真を見て元気が出たというコメントをいただいたんです。“俺が生きている存在価値はこれや!”と思いましたね」。写真をただ見せるではなく、みんなに元気と勇気、感動を――そして、小さなことでも人に影響を与えていく自分になりたいと前田氏は決意した。


いまや大衆演劇カメラマンの第一人者として活躍

時空を超えて、おじいちゃんと俺の2人展

前田氏は祖父が戦前の昭和初期に撮っていた写真と同じ場所に行き、ピンポイントに構図をあわせて撮った作品を「おじいちゃんと俺の2人展」というタイトルでブログで紹介していた。「おじいちゃんが70年前に撮影した場所に行っておじいちゃんが立っていた位置から写真を撮る。すると、時空をこえておじいちゃんと一緒にいるように感じるんです」。
景色が変わりすぎて元々の場所がわからない写真がほとんど。手術後、図書館や歴史博物館に通いながら、祖父の写真の場所を探して回った。写真に写る川や山などの風景を頼りに徹底的に調べた。どうしても、祖父と同じ場所、同じ位置で同じ写真を撮りたくて、Photoshopのレイヤーで合わせながら、ぴったり合うまで撮り直しをするというこだわりようだ。「今昔写真ってたくさんあると思いますが、僕ほどぴったりなものは他にないんじゃないかな。長野県の善光寺も千葉県の成田山専称寺も見つけたし、文献でわかりようがない場所も見つけることができたのは、まさにおじいちゃんが助けてくれていたと信じています」この「おじいちゃんと俺の2人展」はブログから話題を呼び、NHKや毎日新聞をはじめとする各メディアでも取り上げられた。


1枚1枚に魂をそそぎこみ撮影

死ぬまで感性磨き続けていきます

近年、デジタルカメラの進化で、素人でもそれなりの写真が撮れるようになってきた。「これではあかん」と前田氏が次に取り組みはじめたのはCGだ。「昔は車の写真でも鏡面のものや球体を撮影すると、撮影者が移りこんでしまうため苦労しました。そういったことを考えるとCGにせなあかんと思った。最近の大手カタログはほとんどCGです。けど、工業デザイナーに言わせるとそんな簡単に技術を修得できるものではないといわれましたね」
前田氏はとりあえずいろんなソフトを探して勉強した。Illustrator、Photoshopはわかっていても、CGは概念がわかりづらく、門をたたくまで3~4日かかった。必死でネットで調べても確実なことがわからない。「けどね、3ヶ月目には仕事を取れるようになりましたよ。どうしてこんなに簡単にできたのかというと、僕には土台があった。CADやパースを書いていたし、写真のベースが生かされたんです。こういう世界では自分の中でどんどん感性が広がり、3ヶ月前の自分とは毎日違う。カメラ歴9年、CG歴1年、死ぬまで感性磨き続けていきます」
感性の磨き方は?と聞いてみると「まずやってみること。わからないことは調べる。そうすれば自分のものになり、陣地を増やして行くと今度は応用ができる。そうすると次々と組みあがっていくんです」
悩みにぶち当たったときは必ず何かが起こると信じている。仕事がない時期でも、今よりも絶対に幸せな仕事を呼ぶ確信があるという。「あかんって思っても、何とかなるって思っても、同じひとときを過ごすわけだから、いいように考えていく。常にポジティブにいかないとね」
今後の目標は「いろんな人と知り合い、きれいな写真をみてもらえるよう、レンジャー前田という名前を売っていきたい。自分の生きている存在価値を大切にしていきたいです」


3DCG分野も新たに開拓

公開日:2013年12月27日(金)
取材・文:堀内優美氏