自分から何か発信できるコンテンツで勝負したい。
西村 基樹氏:西七製作所

高校の頃からコンピュータを駆使して、音楽のエディタで音源を制作したり、ゲームをつくるのが好きだったという西村さん。ずっとプログラムをつくるのが好きではじめて飛び込んだweb業界のことや今思うことなどを、今回おうかがいしました。

社会人も出場するコンペで学生ながら準優勝。

ちょうどITブームがはじまり、大学でもコンピュータをそろえているところが少ない時代に、関西大学の総合情報学部に入学した西村さん。「ホームページの基礎の基礎から勉強していました。その頃ってまだ、webがすごく特殊な技能だったんですね」。

西村氏

在学中に個人でホームページ制作のバイトを行っていた。
「企業のサイトというより規模の小さな個人商店のサイトなどを制作していました。思い出に残っているのは京都のある高級料亭のホームページを制作したことです。お品書きも何もない店でごちそうになり、これが料亭なんだ、という感じでした」。

得意分野はフラッシュ。95年頃にインターネット上で簡単にアニメーションを作成できるツールとしてフラッシュが登場した。
「当時はアニメーションってGIFぐらいしかなかったんですが、マウスの動きで何かボールがついてきたりとか、そういうリッチな表現ができるんです。面白いなと思ってはじめたのが最初のきっかけでした」。

2000年を過ぎたころからフラッシュがメジャーになり、企業のサイトでも使用されるようになり、一般的な認知度があがってきた。バージョンがあがるにつれて表現の幅も広がる。西村さんはどんどんのめり込んでいった。

「例えば掲示板をつくったりとか、サイトをまるごとフラッシュで制作できるスキルが身についてきたんです。自分のホームページで複雑な作品を発表するようになったんです」。

そして2001年に日経デザインの主催するコンペに出場する。
「ちょうど家電メーカーのスティックメモリーが題材だったんですが、そのサイトのトップページのフラッシュを制作するというコンペだったんです。一等の100万円に目がくらんで(笑)」。
一般のweb制作をしている社会人が出場する中、学生ながら2等を獲得。大きな自信となった。「当時はよっしゃーって感じでしたね」。

もっと大きな案件に携わりと考え、webの制作会社に入るための就職活動を行った。
「たまたまコンペの作品を知っている会社に出会い、就職することができました」。

デザインの知識がまるでなかった。必死だった。

「役割としてはデザイナーとして入ったのです。今でこそフラッシュのオーサリングエンジニアという職種があるんですけれど、その頃はポジションとしてそういうのがなくてデザイナーが兼任していました。そこでそもそもちゃんとしたデザインの勉強をしていなかったんです。独学で通していた部分があって」。

そこで大きな壁にぶちあたった。最初に任された仕事が、某鉄道会社の英語版のサイトだった。
「苦労しましたね。先輩からダメ出しをひたすら受けて。帰ってからもいろんな本を読んで勉強して。何も備わっていなかったと感じました。写真の使い方であるとか、文字組であるとか、きりがないほど何もできなかった。そこからですね、本当の意味でデザインの勉強をするようになったのは」。

Kiwi Tapキャプチャ
Kiwi Tap

会社で仕事としてやるにはレベルが足りなかったと痛感したが、ゆっくりと勉強をしている時間はなかった。
「次に某電話会社のブランディングサイトを担当したんです。その会社の事業部が展示会を毎年やるんですが、その展示会をインターネット上でバーチャルに魅せる。それをまるごとフラッシュで構築する仕事でした。建物があって、人が動いていて仮想空間上を移動できるというものです」。

現在はそういったプロジェクトをする場合の構成としては、ディレクター、デザイナー、プログラマがいて、プログラマにわかるように指示をするのがデザイナーの仕事。しかし当時はそのプログラムの分野もデザイナーが担当していた。

「デザインができないとプログラムはつくれない。フラッシュの特殊なところは動きを考えたデザインを考えないといけない。そしてこういう動きをするのはこういうプログラムが必要と知っていなければいけない。それをやるにはどっちの知識も必要で、デザインのスキルが覚束ないから必死でした」。

できることの幅を広げたい。

5年間キャリアを重ね、退職する前は社内でも上の立場にいた。しかし会社でできることは限られていたと語る。
「例えば顧客とのやりとりであるとか、そのあたりはディレクターの仕事として固定されていたんです。コストの管理能力であるとかも勉強したいけれど、デザイナーとしてずっとやってると肌で感じられなくて。いろいろ1年ぐらい悩みましたけどフリーでやるとなると、コネクションって必要じゃないですか。あてもないけれど、そういう部分をつくるところから勉強になるなと思って退職したんです」。
もともと自営業の家に生まれて、建築家である親の背中を見て育った。だからいつかは独立して事務所を持ちたいと考える。

取材風景

「今までは受注した案件のフラッシュを制作するって体制がメインやったんですが、できたら今後は自分から何か発信できるコンテンツをつくりたいと思います。クライアントから受けてつくるという体制ですと、それ以上のお金にならないし広がりもないし。自分で何かアプリケーションをつくって世の中に出すという方向を模索していきたいです。webのサイトって全部自分でつくろうと思ったらつくれるし、すぐにフィードバックが帰ってくるところが面白いんです。制作したサイトが雑誌に掲載されたり、はてなブックマークやデリシャスのようなサイトでブックマークされていると評価されているとわかる。そういうところがうれしいですね」。

公開日:2009年01月06日(火)
取材・文:狩野哲也事務所 狩野 哲也氏
取材班:株式会社ドライブ  芦谷 正人氏 /  山下 朋子氏