メビック発のコラボレーション事例の紹介
昭和から受け継ぐ想いを、これからのつながりに変えて
文化複合施設のWebサイトリニューアル
印刷会社じゃない、人をつなげる印刷所
第二次世界大戦後、空襲で焼けてしまった印刷会社の一従業員が、困った得意先の人々の声に応えるべく印刷所を立ち上げた。京橋にある鶴身印刷所である。かつては石版印刷の第一工場として稼働していたその建物は今、創業者の曽孫である4代目の鶴身知子さんが継ぎ、名前と当時の面影を残したまま、リノベーションによって新しい空間へと生まれ変わっている。
ものづくり精神も受け継いだ鶴身さんが並々ならぬ情熱で創り上げたのは、ものづくりをする人が集まる文化複合施設。アトリエや古道具屋、クリエイターが入居する貸室、貸し台所などがあり、イベントのたびに人が集まる。ただ、2018年4月、施設オープンと同時に公開したWebサイトに頭を悩ませていた。「会社を継承して以来、考えをまとめる間もなく走り続けてきました。ホームページも整理できないまま更新を続けてきて、私が本当に伝えたいことと内容がずれてしまっていたんです」
オープンの翌年、メビックが主催するセミナー「総合デザインとプロデュース」への参加をきっかけに、改めて「プロの手を借りてつくり直そう」と決断。同セミナーに参加していたコピーライターの林弘真さんに相談を持ちかけた。林さんは、メビックのコーディネーターとしても以前から印刷所を訪れ、鶴身さんや入居者とも親しくしていたという。その後、二人と繋がりのあったWebデザイナー兼エンジニアの中瀬芳邦さんにも声をかけ、3人でのWebサイトリニューアルが始まった。
時間をかけて丁寧にこじれた想いをひもとく
「ちゃんと伝えたい、でも自分の想いを言葉にしきれない。それがずっと辛かったんです」。最初の打ち合わせで、鶴身さんはこう訴えた。中瀬さんは「『今よりもっと、ホームページを好きになりたい』という言葉が胸に刺さりました。見る人に伝わるだけでなく、本人が日々の更新を楽しめるシステムにしなければと思いました」と当時の印象を話す。また、林さんは「ただWebサイトをつくるだけではもったいない」と考え、まずはもやもやした想いを整理することを提案した。
それから1ヶ月以上は、絡まった想いをひもとくことに専念した。最大の難関は、なぜこの場所をつくったかを伝えること。提供するモノ・コトが幅広いため、何のための場所か分かりにくかったからだ。しかし、打ち合わせの中で鶴身さんが見せてくれた大きな額縁をきっかけに、ぼんやりとした輪郭がはっきりとし始めた。祖父が遺した座右の銘である。並んだ言葉の中でも、鶴身さんがとくに大切にしているのが 「損得だけを考えて行動すると人間であることの尊さを失う」という言葉。印刷所を継いだとき、収益性の高い方法で活用することもできた。しかし、鶴身さんは「伝えたい想いを持っている人を応援して、それがいろんな人たちに伝わっていくのがたまらなく好きなんです」と熱く語る。戦後、曽祖父が人のために印刷所を立ち上げたように、自身もまた、利益よりも人のためにこの場所を創ることを選んだ。「この想いこそが鶴身さんの人間的な魅力。ここを素直に丁寧に伝えればきっと見る人にファンになってもらえると感じました」と林さん。大切なのは、ものづくりを通した人と人、人とモノとの出会い。そこにアンカーを打ち込み、コンテンツへと落とし込んでいった。
“らしさ”を大切に空間の魅力を伝える
「鶴身さんの希望は、この建物の静けさを伝えること。同時に、人がつくったり表現したりする“動”も大切な要素です。両方が伝わるように見せ方を工夫しました」と中瀬さん。とくに注力したのは、写真とキャッチコピーで構成されるトップのスライドだ。写真に加えたノイズや古ぼけた背景色などで、建物と同じ静かな佇まいを表現。写真の構図や明るさ、トリミングにまでこだわり、1ヶ月の期間をかけてつくり上げたという。また、トップページにはおすすめのコンテンツを並べ、その下には注目の最新情報を伝える「流れるニュース」を設置。ワクワクするような「動」も表現した。ちなみにこの「流れるニュース」には、鶴身さんのつぶやきがぼそっと流れることもある。本来の使い方とは違うが、そこが鶴身印刷所らしい。
「“あの人”紹介」のページもまた、“らしい”。これは、貸室に入居するクリエイターや印刷所に集まる人たちをインタビューして紹介するページで、林さんの文章と鶴身さんの文章の2部構成になっている。「鶴身さんの文章には情感的な魅力があるんです。まずは第三者の視点からしっかりとした紹介文を入れ、ではどうぞとバトンを渡すことでより伝わりやすくなると考えました」と林さん。客観的な情報が前段にあることで、鶴身さんの“あの人”へのあたたかい視点や熱量あふれる文章が鮮やかに生きる。
また、記事を自動でカテゴリ分けできるオリジナルの編集画面を作成し、ごちゃまぜになっていた記事をすっきりと整理。操作性も格段に向上させた。鶴身さんも「今までは重い腰を上げていたのが、今は『書きたい!』と思えるんです」と晴々とした笑顔。「更新を楽しめるWebサイトに」という目標も果たせたようだ。
1年間の紆余曲折を経てWebサイトがオープン
昨年の緊急事態宣言時には、林さんが持続化補助金の申請を提案。中瀬さんが手続きをサポートした。「この頃には僕らも鶴身印刷所を大好きになっていたので、応援したい!という気持ちでいっぱいでした」と林さん。見事採択されたときは、3人で大喜びしたという。
とはいえ、“仲良し”だけで良いものはつくれない。プロとしての視点から、より伝わる言葉とデザインをめぐって議論を重ねたし、時には意見がぶつかることもあった。だからこそ鶴身さんも「二人が印刷所のいいところを探してたくさんアイデアをくれるから、私も最後まで伝えないと!」と言葉を絞り出したという。こうして約1年をかけて遂に、ありったけの想いを描いたWebサイトがオープンした。これから、このサイトを通してさまざまなコト・モノが発信され、多くの人をつなげていくだろう。
鶴身さんの考えに林さんと中瀬さんが共感し、「大事な想いを伝える」ことを叶えた今回のコラボレーション。想いを通して人がつながること、人のつながりから生まれるもの。そのあたたかさや力強さが、今も昔も変わらない鶴身印刷所と重なって見えた。
公開:2021年5月17日(月)
取材・文:山本佳弥氏
*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。