プロダクトの企画からグラフィック制作まで、一貫して関わる中で見えること
クリエイティブサロン Vol.87 ゴトウシュウ氏

「一体何をされている方なんですか?とよく尋ねられるんですよ」と、はにかみながら自己紹介をするのは、今回87回目となるクリエイティブサロンのスピーカー、ゴトウシュウ氏。現在、株式会社コンピューター・コントロールの代表としてグラフィックデザイン制作の仕事をする傍ら、スニーカーやバッグのブランドディレクション、企画展「100人の日用品展」のアートディレクションに関わるなど、活動の幅はグラフィックに留まらない。今回ゴトウ氏が掲げたテーマ“デザインを中心にして学んだ視点”とは、ゴトウ氏がクリエイティブの世界に入ってから現在まで、人との出逢いの中で学びを重ね、悩みながらも着実にステップアップしてきた経緯そのもの。参加者は共感しながら耳を傾けた。

ゴトウシュウ氏

「デザインは自分で学ぼうと決心した」それがこの道へのはじまり

「最初からデザイナーになりたいと思っていたわけではないんです」と語り始めるゴトウ氏。父母、兄ともにプログラマー、幼いころからパソコンが家にあるという環境で育ったシュウ少年は、自身も自然とプログラマーの道を志していた。ところが広告業界にいた親族の話を聞き、興味は広告デザインに。「プログラミングの世界は、いつもきっちりした答えのある世界。一方、デザインには答えがいく通りもあり、その曖昧な感じに惹かれたんだと思います」

まずデザインワークのためのパソコン技術を習得しようと、コンピューターの学校に通うことにしたというゴトウ氏。デザインについては「自分で街の中にあるものを見て学ぼうと決心した」という。決心は、その後出逢う多くの人からの学びにつながっていく。
ステップアップの一つ目は、学校に通いながらパートタイムで勤務していた広告制作会社の社長との出逢いだった。「社長からは、“デザインとはサービス業である”ということを教えていただきました。相手のやりたいこと、こちらの表現したいこと、お互いの“都合”を調整しながら努力をした結果、いいものが完成する。ビジネス全般に通用する基本を教えていただいたと思っています」

次に就職した会社では、クライアントだった大手広告代理店のディレクターと出逢い、大きな影響を受けた。
「当時の私は、“見栄えのいいデザイン”ばかりを追っていたように思います。そんな時に、彼は“普通の人が普通に理解できるデザイン”が大切だと教えてくれました。完成度を求めすぎて自己満足に陥ってはいけない。分かりやすく、人が喜ぶデザインが世の中のためになる。今から思えば当たり前のことですが、その頃の私にとっては新鮮な視点でした」

会場風景

小手先だけではない、コンセプトを持ったデザインを

最初の就職から6年目。順調にデザインワークをしつつも、“顔が見えない中でデザインが消費されていく”状況に、このままでいいのかという漠然とした不安を持つようになったというゴトウ氏。時は2000年代前半、クラブ全盛期。仕事のかたわら、クラブイベントの自主企画・運営を楽しんでいたというゴトウ氏は、思い切って広告会社を退職。その仲間たちと株式会社コンピューター・コントロールを設立した。
「仲間と3人で立ち上げました。クラブイベントの企画と、そのクリエイティブワーク、その他のデザイン制作を請け負う会社のつもりでしたが、立ち上げ当初は思うように仕事がなく、飛び込み営業もしました」と笑う。そんな中で、当時事務所をシェアしていたデザイナーから多くの刺激を受けたという。
「彼はアパレル関係のデザイナーだったのですが、手を動かしてものを作ることの大切さを教えてくれました。グラフィックデザイン制作はついパソコンの中だけで完結してしまいがち。でも実際に鉛筆で線を描いてみると見えないことが見えてくる。パソコンワークは手段に過ぎず、大切なのはその思考なんですね。さらに彼とのオフィスシェアの中で、アパレル業界の流れや、服飾素材のおもしろさなど、グラフィックの世界だけでは知り得なかったことを知ることができました。それは現在、スニーカーやバッグのブランドの企画をする際にも役立っています」

こうして、出逢った人から多くを吸収しながらステップアップを重ねてきたゴトウ氏。会社設立から2年目に、さらなる大きな出逢いがあったという。
「会社を設立してしばらくして、大手パソコン周辺機器メーカーの広告の仕事をするようになりました。主に家電量販店の什器パネルなどを作らせていただきましたが、その会社の担当者の方から “点でものを見てデザインするな。もっと広い視野を持ってデザインしろ”と言われ続けました。それはつまり、デザインは小手先の技術ではなく、コンセプトが大切だということです。厳しい方でしたが、その言葉は今でも忘れられません」

パソコン周辺機器メーカーの広告

商品作りに深く関わることで広告のあり方が見えてくる

こうして会社の経営もグラフィックの仕事も軌道に乗ってきた頃、「このまま受注制作をつづけていていいのか」という疑問が、ふつふつとわき上がってきたというゴトウ氏。そんなタイミングで出逢ったのが、プロダクトデザイナーの渡利ヒトシ氏だ。
「グラフィックデザインとはクライアントの商品やサービスがあっての仕事。その基となる商品(モノ)が作れないか。そんなことを考え始めていた折に、瀬戸内海の孤島でのアートイベントに参加しました。そこで数名のクリエイターと共同生活を体験したことが、渡利氏との出逢いでした」。同じデザイナーであり同世代の渡利氏。互いに次へのステップを模索し始めていたという点で意気投合。プロダクトと広告をつなげるという、現在のゴトウ氏のスタイルにつながっていった。
「渡利氏はプロダクトデザイナーとして、自分のデザインした製品をエンドユーザーにまで届ける手応えがほしいと考えていた。私はグラフィックデザイナーとして、商品そのものを作ることに興味を持っていた。そんな二人の考えがタイミングよく合ったんだと思います。2011年に渡利氏とともにスニーカーブランド“blueover”を立ち上げ、アートディレクターとして関わることとなりました」

その後、2012年には渡利氏のバッグブランド“WONDER BAGGAGE”の設立にも参加し、2014年にはプロダクトデザイナー・南大成氏とともに合同会社アルルカンプロダクトを設立するなど、活躍の幅を広げてきたゴトウ氏。商品企画から広告ディレクションまで深く関わるスタイルは、これまでの経験の集大成でもあり出発点でもあると語る。
「例えば、この商品はどんな人がどのような考えでデザインしたのか。市場でのポジショニングやエンドユーザーはどう想定するのか。価格はどれくらいがふさわしいのか。それらを企画から考えることで、広告はどのようなものであるべきかが見えてきます。商品の本質をしっかり理解して広告を作る。商品企画から関わることで、作り手と買い手をつなぐ“伝え手”としてのあり方に気づくのです。それがまた、日々の仕事に活かされていると感じています」

自らのことを「誰とでも親しくできる性格ではない」と話すゴトウ氏だが、素直でおだやかな人柄が人を呼び、その中で試行錯誤しながらステップアップしてきたのだろうということは、話しぶりから伝わってくる。「デザイナーとして大切にしていることは、尊敬できる人物にいかに出逢い、そこから何を学ぶかということ…これはデザイナーに限ったことではありませんね」と笑うゴトウ氏。熱気のこもった会場に、ひとときさわやかな空気が吹き抜けた。

スニーカーブランド「ブルーオーバー」ビジュアル

イベント概要

デザインを中心にして、学んだ視点。
クリエイティブサロン Vol.87 ゴトウシュウ氏

始めからデザイナーを目指してきたわけではありません。
しかしながら、グラフィックデザイナーとして15年、会社を興して10年と、デザインを中心にすることで、多くの学びを経て今があります。
その節目節目で出会ってきた人や、そこから学んだ視点など、これからデザイナーを目指す人、デザイナーで独立したい人、企業の中でデザインという視点を持ちたい人に向けて語れればと思います。

開催日:2015年10月02日(金)

ゴトウシュウ氏

株式会社コンピュータ・コントロール

1979年、神奈川生まれ。株式会社コンピュータ・コントロール代表 / アートディレクター。
専門学校卒業後、デザイン会社を経て2006年、株式会社コンピュータ・コントロールを設立。アートディレクターとして、企業のブランディングから広告 / Web制作までのトータルを手掛けている。2011年よりスニーカーブランド「blueover」、2012年よりバッグブランド「WONDER BAGGAGE」のメンバーに参画。2014年にはプロダクトデザイナー南大成氏と共同で「合同会社アルルカンプロダクト」を設立するなど、単なるグラフィック / Webデザインの枠を越えた関わり方を行っている。

ゴトウシュウ氏

公開:
取材・文:岩村彩氏(株式会社ランデザイン

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。