立ち位置が隔てるデザインとアート、柔軟な思考がボーダレスを生む
クリエイティブサロン Vol.46 黒田武志氏

多岐に渡るジャンルのクリエイターを招き、その創造の原点や思いを聞くことができる「クリエイティブサロン」。今回は、デザイナーとして、また、造形作家として独自の世界を切り拓いているsandscape主宰、黒田武志氏をゲストスピーカーとしてお招きした。近いようで遠いデザインとアートの世界。その両方に携わる者として、常に疑問や葛藤があったという。果たしてデザインとアートの境界はどこにあるのか。クリエイトとは、仕事とは何か。氏の30年にも及ぶ仕事の変遷を追いながら、その意味を探る貴重な時間となった。

黒田武志氏

創意工夫の80年代、平面の中にも空間や時間がある

82年にデザイン専門学校を卒業後、デザイン事務所等を経て24歳には独立。80年代から既に、パフォーミングアーツのフライヤー等も手掛けていた。“石のチケット”という発想から、100名限定の陶器のチケットや、“まるでチョコレートの様な”茶色とシルバーを使った縦長のフライヤー……それは当時でもユニークなものだ。
「岡山の田舎の兼業農家で育ったということもあって、自給自足で“なんでも自分で作る”ことが根底にあり、専門職だからといって一辺倒な姿勢はおかしいという思考があった」と話す黒田氏。モノ作りの原点はここに由来しているのかも知れない。
程なくして舞台関連の仕事から遠ざかり、情報誌の表紙デザイン、アートディレクションの仕事に専念するようになる。当時画期的だったロゴを縦に配置した「DODA(男性求人誌)」のロゴと表紙デザインも黒田氏の手によるものだ。また、その実績が評価され同社の女性求人誌「Salida」の立ち上げも任されるようになる。ここからもう一つのメインとなるエディトリアルの仕事が増えていく。
「ロックマガジンで時間軸を考えたリズム感のあるページ造りを経験した後、DODAのディレクション、Salida創刊0号の営業ツールをボックス仕様の付録を付けたものにするなど、振り返れば経験を生かした上での新たな試みが沢山できました」
80年代後半になると、アート活動も再始動するようになる。88年には初の個展が京都と大阪で開催された。

「この頃はまだ、デザインとアートの活動は、世間的には分けて見られていたように思います。自分としては向かっているスタンスは変わらなかったんですけどね(笑)」

黒田さんが手掛けた情報誌の表紙

多様性の90年代、自分らしい仕事をしていく

90年代。未だネット環境がない時代に電話やファックス、宅急便だけでどこまで仕事ができるのかという思いもあり、東京・大阪間での音楽雑誌の仕事を始める。同時に演劇のフライヤーの仕事も復活するようになる。
「この頃から劇団の意識も変わってきたように思います。作品作りは舞台だけではなく、フライヤーを作る時から始まっているという考え方になってきた。フライヤー制作もきちんとしたかたちで依頼をしようという姿勢になってきたんです」
また、この頃から“ボックスアート(箱に入ったオブジェ)”の創作も始めるようになる。ボックスにはオルゴールが仕込まれ実際に動かすことができる。触ると砂の音がしたり…体感できるアート作品になっている。
「美術館の作品には『手を触れないでください』なんて書いているじゃないですか。そうではなく、手触りを感じてもらえる“『どうぞ触ってください』展示会”をしたかった。見に来た人が手に取って初めて完成するような」
フライヤーでも、更なる試みをするようになる。もっと絞り込んだターゲット其々に伝わるように一公演でも数種類のフライヤーを作る。映画のフライヤーも、デザインを数パターン作ってほしいと依頼が来るように。映画のジャンルに応じたデザインを制作することでニーズに合ったものを提案。一つのチラシを3つに切り分けるなど、予算がない中でもお金をかけずになにができるかを工夫していく。
それには多様性を求める時代になってきた背景があると氏は考える。
90年代最後のインスタレーションはそれらの集大成とも言えるものだ。
空間に並ぶ机は誰もいない教室を彷佛とさせる。鑑賞者が机に座れば、それはパフォーマーなのか観客なのか分からない。“役者不在の空間で演劇は成立するのか?”といった試みだった。
98年末には、それまでの作品をまとめた作品集『ON THE PAPER』を出版。ハードカバーに穴を開けた、ひとつのオブジェ作品の様なブックに仕上がった。

90年代、緩やかにデザインとアートが融合され、一つの作品に昇華されていく様は黒田氏のワークが少しずつ確立されていく軌跡を残していった。

作品の一部
BOX ART作品(1991〜1993)

ボーダレスへ向かう00年代。そして、未来を育む10年代。

2000年代に入ると、雑誌のリニューアルの仕事に加え、島田荘司(ミステリー作家)の光文社文庫・全作品の装丁にオブジェ作品が起用されるなど、様々なかたちでデザインとアートが密接な関係を持ち始める。90年代に手掛けた“人が手を加えて(あるいは参加して)完成する”アイデアは、演劇のフライヤーのみならずカフェなどのロゴにも反映される。演劇のフライヤーも劇団だけではなく劇場からオファーも来るように。そのなかで、フライヤーだけではなくアートディレクターとして舞台美術も含めたトータルディレクションの仕事の話が舞い込む。
「80年代に少しだけ舞台美術もしていましたが、僕の造形作品やインスタレーションを見て依頼がくるようになりました。ここで、やっとボーダレスなかたちが理解されていくようになったのだと思います」
2008年には、大阪HEP HALLで大規模な個展も行われた。まるで廃校の小学校のような会場にはオブジェ作品が博物館のように置かれている。100年後までずっと忘れ去られたように置かれたオブジェは静寂と共に佇む独特の空間になった。
そして、2冊目の作品集『不純物100%』を出版。黒田氏の00年代の区切りとして、これまでの歴史を象徴するかのような作品だ。
2010年に開催された、岡山県の犬島での「瀬戸内芸術祭」では劇団 維新派の舞台美術とともに劇場に行くまでの約100メートルのスロープが島を彩る作品に。その後、兵庫県伊丹市みやのまえ文化の郷では現存する日本最古の酒蔵での作品展を、2013年には、岡山県のアート事業「廻遊―海から山から」で滞在制作のアーティストとして、またポスターやガイドブックのアートディレクターとして参加するなど、まさにデザインとアートの境界を払拭するかの様にその活動はより幅広くなっている。

維新派「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき」
維新派「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき」(2010年~2011年)

最後に黒田氏はこう語る。
「デザインとアートの違いはクライアントが外にいるか中にあるか、だと思うんです。アートはクライアントが自分の中にある。自分が欲するものを作るわけですね。デザインはクライアントの要求するものを代弁する。しかし、僕が欲しいと思って造ったものがアートと呼ばれない場合もあるし、デザインしたものをアートと呼ぶ人もいる。つまり、見る側の立ち位置がちょっとズレているだけなのではないか? と感じます」
今でこそデザインとアートの境界は曖昧になりつつあるが、黒田氏は常に柔軟な思考でボーダレスな活動を続けてきた。今、ようやく時代が彼に追いつきつつあるのかも知れない。

イベント風景

イベント概要

デザインとアートの境界を超える
クリエイティブサロン Vol.46 黒田武志氏

デザインとアートの境界線は、近年うすらぎつつありますが一部にはまだまだ見えない壁があるようです。
僕が活動し始めた頃には明らかな壁や偏見がありました。
この近くて遠いデザインとアートの世界を、30年間越境しながら活動して来た記録と多ジャンルでの活動の面白さや大変さその意味、そしてこれからについて皆さんとお話しできたらと思います。

開催日:2014年6月25日(水)

黒田武志氏(くろだ たけし)

デザイナー / 造形作家
sandscape主宰

1962年岡山県出身。
ロゴタイプからエディトリアル、数々の劇団のフライヤーやパンフレット等のデザインの他、インスタレーション、オブジェ、映像などアーティストとしても独自の表現活動を続けている。また劇団「維新派」等の舞台美術を担当するなど活動は多岐に渡る。2011年「CREATIVE EXPO 2011autumn」ではクリエイティブディレクターを担当。2013年「OKAYAMA ART LINE 廻遊」にはレジデンス作家兼アートディレクターとして参加。

黒田武志氏

公開:2014年7月24日(木)
取材・文:久保亜紀子氏(Phrase

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。