変革が進む医療の現場で、さり気なく寄り添う。それがデザインのできること。
クリエイティブサロン Vol.141 加藤良子氏
今、日本の医療制度は大きな曲り角にある。2025年にやってくる超高齢化によって、病院も大きな変革を求められている。今回のスピーカー加藤良子氏は、医療機関においてインハウスでデザインにたずさわる。医療の現場に常駐し、医師や看護師、患者を間近に感じながら、医療にまつわる問題をデザインの力で解決すること。そこには未来に繋がるヒントがあった。
病院のデザインって何だろう。
医療現場で求められるデザインとは。
病院のデザインといわれて思い浮かぶのは、建築やインテリアからサイン環境、ロゴあたりではないか。病院に常駐してデザインを手がける加藤良子氏によると、仕事の内容はそういった派手なものではないという。おもな仕事は「患者向けのチラシ」「手術や治療の同意書」「提携する後方支援病院の紹介」といった書類やパンフレット作成から、ホームページの管理など。特に外注デザイナーと圧倒的に違うのが、スタッフ向けの制作物があること。社会人になるために地方から出てくる新人に向けた資料づくりや、先輩からのアドバイス本まで制作する。さらに患者に配布するチラシは、一人ひとりの状況に合わせて治療内容が異なるため外注では対応できない。それ以外にも細々とした仕事が多く、待合室の扉にマグネットシートでツリーをつくることもあるという。
インハウスデザイナーになったきっかけは偶然からだという加藤氏。製薬メーカーに勤務していた頃からPOPをつくるのが好きで、病院に就職した際にそのことをアピールしたら、いつのまにか仕事になっていた。「どの病院にもデザイナーが常駐しているわけではなく、多くは広報や総務の方が兼任されたり、デザインやイラストを描くのが好きな人がやっているのが現状です」。だから数少ない同業者と知り合ったら病院まで見学へ出かけることも多い。「あるインハウスデザイナーの方の勤め先では、介護施設やカフェも併設している状況で、病院独特の臭気問題をアロマで解決することまで手がけていると聞きました」。このエピソードからも、「病院のデザイナー」という言葉から想像しうる範疇を遥かに超えた活動内容だとうかがえる。
病院は今、大きく変わろうとしている。
「選ばれる病院」になるために。
これまで「病院とデザイン」は遠いところにあった。病院は診療報酬で成り立っているため、患者と接することがないインハウスデザイナーはヒエラルキーの底辺にいるという。「たしかに直接収益を生む仕事ではないです。ただ誰も目を向けていなくとも、価値のあるポジションだと認識しています」
また病院は「治療する場所」であり「いのちの現場」という特殊な世界。そのためまず清潔であり、設備や優秀な医師が揃っているほうが重要と考えられてきた。そんな病院に変化が起きている。私たちの病院選びも変わった。評価や口コミがネットですぐに見られる時代、クレームもSNSであっという間に広がる。誰しも技術的な差がなければ雰囲気の良い方に行きたくなる。「その結果どうなるかというと、病院崩壊につながっていく。4人に1人が75歳以上の時代がやってくる2025年問題を前に、市民病院が潰れるという事態がすでに起こっています」。クラウドファンディングで寄付を募って、医療機器を導入している病院もあるとか。
通常、病院の建物の耐久年数は約39年といわれ、建て替えまで改装などされなかった。それが今は改善できるところから変えていこうというスタンスだという。接遇やマナーにも言及するようになった。つまり病院も「おもてなし」をする時代というわけだ。「接遇面はスタッフの身だしなみ、快適さは居心地。待ち時間の問題も、アプリで簡単に予約できるようにするなど多くの病院が取り組んでいます」。それ以外にもカフェやコンビニの併設、無料巡回バス、不評なことが多い食事も、地産地消、医食同源を意識したものに。体操やヨガ教室といったオリジナル企画を開催して、健康な人も病院に足を運ばせようという動きもある。
交渉術を駆使しながら、クリエイティブを発揮していく。
病院がデザインに気をつかうこと自体、新しい挑戦である。医療現場の大変さ、独自のルールを前提に考えれば、まだまだ超えなければならないハードルは多い。病院のデザイナーという立場に悩んでいた時、アートディレクターの森本千絵氏と話す機会を得て、「歩み寄るならデザイン側から」という言葉をかけられた。加藤氏はそれを心の支えに仕事をしている。同時に「歩み寄ることは、けっして妥協ではない」とも肝に銘じている。
自身がデザインをする時に心がけていることとして、まず挙げたのが「多→少」の考え方。多いよりは少なくを心がけている。たとえば紙媒体に関しては色使い。「よく派手にして目立たせたいと言われるのですが、患者さんには色覚特性の方もおり、色を多く使うより少ない色でまとめたほうが見やすいんです」。また医療従事者の癖として、段落番号など何にでも数字をつける傾向があるという。しかし病状は人によって違い、治療方法や重要項目も進行具合によっても変わってくる。「はじめから数字をつけるとあとで戸惑う原因になるので、削除するようにしています。その代わり看護師が説明する時に、その人にとっての優先順位の数字がつけられるように作成します」。ほかにも毎年同じ予算で新しいものを更新できるとは限らないので、流行は追わずに3年くらい使えるデザインを心がけ、専門用語は極力使わず、わかりやすい言葉に置き換えている。
自分の意見をスムーズに通すためには現状を把握しなければならないし、そのためには細やかなリサーチも必要だ。「言われたものだけを制作していると、患者さんの立場で本当に必要なものがつくれないので、ときには医師にも譲歩してもらえるよう斬りみます」。これだけ大変な仕事であるから、インハウスからフリーランスになる人もいるが、「私のやっていることは現場にいるからできる仕事。看護師や患者さんの本音は、中にいないとヒアリングできないことも多いんです」と語る。話の大半は愚痴に聞こえても、耳をすまし本当の悩みをすくい上げていく。そして制作物を納品して終わりではなく、現場でどのように使われ課題が改善されているのかまで見届けられるのも、インハウスの醍醐味だと語る。
デザインで寄り添うべきもの。
ひとつの回答としての、ホスピタルアート。
今後は「デザインは何に寄り添うべきか」が、求められる時代だという。「寄り添うべきは患者か? 医療スタッフか? 2025年問題か? 今は解決方法を模索している状態」。そのひとつの方法論と加藤氏が考えるのが、ホスピタルアートという選択肢だ。医療の現場では病気との戦いが日々繰り広げられ、検査データ、エビデンスなど論理的な側面ばかり強調される。人材の不足や患者の気持ち、医療者の努力への配慮はまだ低い。そんな無機質な場所を、利用するすべての人が少しでも快適だと思える空間に変えるような工夫が、ホスピタルアートの役割として期待されている。
加藤氏もホスピタルアートに取り組む「NPOアーツプロジェクト(代表:森合音)」の活動に2015年から参加している。これは文化庁の「大学を活用した文化芸術推進事業」に採択された、社会包摂型アートマネジメント・プロフェッショナル育成事業で、講師として森合音氏が手がけた大阪市立大学附属病院放射線科の療養環境を変えるプロジェクトがきっかけだった。「放射線治療は目に見えません。この治療を受ける患者さんが抱える不安や苦しみを、どうやって緩和させるかというのが解決すべき課題でした」。そこで職員と何度も対話し、最終的な形として「祈り玉」プロジェクトが生まれた。これはスタッフ、患者やその家族、たまたまそこを訪れた人、誰でもメッセージを描いて貼ってもいいし、貼らずにお守りのように持っていてもいい。そんな「人を動かすスイッチ」のような制作だった。「デザインとアートは違う、とよく耳にしますし、自分もそう感じることもありますが、解決できる手段に壁をつくらなくてもいいんだと感じました」
ホスピタルアートの活動は、2025年問題や誰に寄り添うべきかという課題を解決するひとつのきっかけになるのではと感じている。「さり気なく寄り添うことはとても難しいし、寄り添うならば、誰も傷つけず、誰かの負担にもならないものをつくりたい。求められる課題の解決法の選択肢が広がることで、快適な病院づくりにつながっていくのではないかと思っています」
イベント概要
デザインの力で医療現場に寄り添ってみると。
クリエイティブサロン Vol.141 加藤良子氏
医療にまつわる問題をデザインの力で解決できるように医療現場に常駐して働いています。医療業界らしい事柄から失敗事例や病院スタッフに言われた一言、クリエイターに知ってほしいことなど「個人的な意見」と「なかの人」の両面で医療のデザイン事情をお伝えします。また、ホスピタルアート活動についても知っている範囲でご紹介したいと思います。
開催日:2017年12月13日(水)
加藤良子氏(かとう りょうこ)
1984年神戸生まれ。神戸女子大学家政学部卒業後、製薬メーカー勤務を経てコピーライターの世界へ。医療用語をそぎ落とした説明文をつくることが好きでイラストの制作は苦手。2012年から病院のデザイナーとしてウェブデザイン、紙媒体の作成、コンセプトづくりや概念を取り扱う仕事に従事。2015年からはアーツプロジェクトの制作にも参加中。
公開:
取材・文:町田佳子氏
*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。