出会いのなかで「転機」が訪れ、人生が動きはじめる
クリエイティブサロン Vol.170 内之倉彰氏

ニューヨークでフリーのクリエイターとして活躍、CMや企業PV制作を手がける……と聞けばハイキャリアを爆走したスタークリエイターをイメージするかもしれない。今回登壇した内之倉彰氏もそうしたキャリアを通ってきたが、道のりは順風満帆ではなく、「失敗だらけの人生」だという。では、どうやって「失敗」を乗り越えてきたのか、その軌跡について語ってもらった。

内之倉彰

お受験に挫折しながらも、NY留学、そしてクリエイターの道へ

「Don’t give up! 吐き出して目的へ進む話。」をテーマに始まったサロンだが、スライドが投影されるはずのスクリーンは白紙のまま。実は、当日の朝、歯を磨いていたとき、スライドを制作しデータが入っていたiPhoneが手元を滑り、洗面台に水没してしまったのだ。残念ながらバックアップは無し。「画面の通り、真っ白な状態から始めます」と恐縮しつつ、気を取り直し、まずは自己紹介から。

「今年で37歳。A型っぽいといわれますが、B型の超マイペースで、だいぶワガママな人間」と自己分析。小・中・高校は、お受験にことごとく失敗。大学は関西外大の短期大学部の夜間主コースへ。昼間にアルバイト、そして四年制に編入するための勉強をしながら通学。もともと、外国の言葉や文化に興味があったが、外国人の先生から影響をうけ、留学を決意。四年制大学に編入し、1年間の留学プログラムを利用したところ、ニューヨーク留学となった。目標を定めたら、策を練り、行動する姿勢はこのころから片鱗をみせていた。

「自由の女神が!と言いたいところですが、留学先はNYシティからバスで3時間かかるオルバニーという、いなか町でした」
そこで、休日にはNYシティに赴き、最先端都市の空気を満喫。そんなとき目にとまったのがレストランやバーにあった、ポスター、フライヤー、グラフィックだった。
「ポスターやCDのジャケットとか『こんなことを仕事にできたらなあ』と。簡単ではないかもしれないけど、その世界に踏み込むことを決心しました」

一旦帰国し、大学を卒業して半年後にはNYにカムバック。アートスクールに進む前に、受験に必要な英語力をつけるべく語学学校に通ったが、その際に1つ目の転機が訪れた。
「語学学校に通いつつ、独学でポートフォリオを作っていると、日本の大手企業でインハウスデザイナーをされていた方との出会いがありました。幸運にも作品を見てもらい、アドバイスをいただきました」
クリエイターとして右も左もわからない彼にとって刺激的な出会いとなったのはいうまでもない。1年間、語学学校で学んだ後は、NYのSchool of Visual Artsへ。ここでも「待った!」がかかった。TOEFLの点数が不足したのだ。「1年通学し、その間に英語力が身についたら正式に合格とする」という条件付きで入学。なんとか英語力もつき、合格となり、グラフィックデザインを学び始める。同時にモーショングラフィックにも興味を持ち、映像の世界にも着手。

4年生の半ば頃、インターンとしてあるプロダクションに通ううちに、幸運にもクリエイティブディレクターが彼の作品を評価。テレビ局の番組宣伝やCMなど、アメリカで活躍する、転機となるきっかけを与えてくれたのだ。

NYでフリーのクリエイターとして映像・モーショングラフィックスに着手

「印象深かったのが、2010年10月10日に世界中の人たちが自分たちで撮影した映像をインターネット上にあげ、それを1本のドキュメンタリー映画にする『One Day On Earth~地球の一日』への参加を促すプロモーション映像制作でした。これは、アニメーション映像のカットを一枚ずつ紙に印刷し、人に持ってもらって約2千枚を撮影し、まとめたもの。僕は地球がグルグル回るCGアニメーション、そして撮影などさまざまな業務を担当しました」


What is One Day on Earth?

こうして、インターンとして活躍した後、学生ビザのまま仕事していいという条件をもらい、はじめてフリーランスに。NYのプロダクションは、日雇いや週単位など、期間限定で働くスタイルが中心だった。
「金曜日のランチはみんなでピザを食べたり、卓球台で遊んだり。18時過ぎたらビールが出たり……朝帰りというのもほぼなく、働く人がリラックスできるような雰囲気がありました」
恵まれた環境で活躍するなか、大学卒業後に結婚。そして、子どもができたが、アメリカでは出産費用が120万円もかかることが判明。経済的な理由をきっかけに2011年に帰国を余儀なくされた。

帰国後は父が経営する人材派遣会社で、求人チラシの制作などに携わっていたが、NY時代とは異なり、制作物にクリエイティビティが求められることはほとんどない。「これは自分がやりたいことではない」と悶々した気持ちを抱えながら、日々の業務をこなしていた。

「NYで経験したんやから、もっとやってみないか?」
ウェブ制作会社で働く、かつてのバンド仲間が声をかけてくれた。そして取り組んだのが、ハサミメーカーの企業紹介の映像だ。ハサミの製造過程のカットと音楽を効果的にシンクロさせた作品が完成する。
「一度、頼んでいいですか?」
パパ友としてたまたま出会った人からも仕事の依頼が。映像機器をスタジアムに卸す仕事に就く人だった。ディスプレーのCMを依頼されたのだ。日本に帰って、クリエイティブな仕事ができなくなったと絶望していたがNY時代の実績を見せ、「こんな映像が作れます」「こんな仕事がしたいんです」と言い続けることで声をかけてもらえたのだ。

そしてまた転機がやってくる。それはフリーランスへと向かうきっかけとなったメビックとの出会いだった。「大阪でデザイン系のイベントに参加したときのこと。『誰も知り合いおらんなー』と思っていたとき、気さくに話しかけてくださったのがメビック扇町の堂野さんでした。で、『メビックおいでよ』と」


株式会社内海 プロモーションビデオ / UTSUMI co. Factory

メビックとの出会いのなかフリーランスを決意
先進的なユニット(5 produce)に参加

そうして足を運んだメビックでさまざまなクリエイターと交流する、一緒に仕事をする機会が増えた。フリーランスになることを戸惑っていると、すでに独立しているクリエイターから「俺も最初は6万しか稼げへんかってんでー」と励まされたことも。そして、2018年4月にフリーランスに。

フリーランスで仕事をするのはアメリカのほうが難しい?という会場からの質問に対して、
「向こうでは、いろんな知り合いの方が出来ていたので、最初はアメリカの方が楽でした。ちゃんと制作物を作っていたら、なんとかなる感じです。また、アメリカやヨーロッパ、世界中の面白そうな会社に、一日、100通くらい営業メールを送りましたが、アドバイスが返ってくるくらいで、仕事には繋がりませんでした」

アメリカと日本、テイストの違いなどはあるか?という質問には、
「少しはありましたが、わりとすんなりイケた感じです。グラフィックデザインの場合、日本と欧米とはだいぶ違う感じはあります。映像は西洋で流行ったものが、ちょっと遅れて日本で、という流れがあり、NYで学んだことが、時差ズレでやってくるというのはありました」
と答えた。

3つめの転機は、2018年11月、メビックで出会ったメンバーで構成される4 produceというユニットとのコラボレーションだった。
「ATCで行われた子ども向けのイベントへの参加です。タイムマシンをテーマに、私たちが用意したビジュアルに子ども達が色を塗り、その画像をスキャンして壁に投影。その画像に親がメッセージを書き、10年後に子どもの画像と想いが込められたメッセージを見返すという内容でした」

「それがきっかけで、後にメンバーとして迎え入れられることになり、ユニット名は4 produce」から「5 produce」に。
「その後、ズコーンと凹むことがあって……実は離婚したのですが、5 produceのメンバーに話を聞いてもらい、大の男たちにおいおいと泣いてもらったんです(笑)」
会場にかけつけた、5 produceのメンバーからも笑みがこぼれる。失敗しても、支えてくれる人がいるということをあらためて実感したという。

「ぼくのわたしのタイムマシーン」風景
2018年11月ATCで開催した「ぼくのわたしのタイムマシーン」

更なる転機の軸は「食」と「子ども」
未来を見すえ、目的へ進む

さらに新しい転機として、彼が取り組もうとしているのが「食」と「子ども達」をテーマにしたプロジェクトだ。
「食べること、特にラーメンが好きで、ラーメン屋さんと仲良くなって、お店の周年ののれん制作や食べ物に関することに携わっています。また、子どもの教育にも興味をもち、各種KIDSプロジェクトにも携わっています」
YouTuberになったらどんなことをするかという会場からの質問に対しても、
「子ども向けに、絵本みたいな感じで楽しませてあげるようなプロジェクトをやりたい。例えば、『ラーメンの国』という話で、流れている川が麺だったり……いま、ストーリーを書き留めているところです」
と抱負を語った。

さらに、あらためて海外にもアプローチしたいと内之倉氏。SNSを通じて、海外の人に作品を見てもらう仕組みも検討中だ。また、技術向上についてのひと言は、映像制作に興味を持つ初心者にも心強いものだった。
「新しいソフトなど、ビギナーの人が技術を身につけるなら、YouTubeやSNSで勉強することができます。ここからはじめ、マシンを触っていくうちに覚えられるので、まずは、インターネットで探ってみることで知識や技術が点から線へとつながり、スキルを向上させることができます」

情報や環境に恵まれない場合でも少し立ち止まって調べ、行動してみればなんとかなる。技術面でもキャリア面においても、彼はいつも、そうして前に進んできたのだ。

「失敗続きの人生でも、諦めず『僕はこんなことをやってるんです』と発信し、未来を語っていると、どんなタイミングでも、手を差し伸べてくれる人がいます。そして、作り続けることで、希望の道にいけるのではないでしょうか」と繰り返し語る内之倉彰氏。
白紙のスクリーンに『Don’t give up! 吐き出して目的へ進む話。』という文字が自ずと見えてきた。

イベント風景

公開日:2019月11月14日(木)
取材・文:櫻井一哉氏(Solaris

内之倉彰氏(うちのくら あきら)

AKIRA UCHINOKURA 代表
クリエイティブユニット5 produceメンバー
日本タイポグラフィ協会会員

西宮市出身。ニューヨーク市School of Visual Arts在学中より映像プロダクションスタジオで活動を始め、フリーランスとして活動。拠点を関西に移し、会社員を経て再びフリーランスへ。現在は「見る人の心を動かす」をテーマにグラフィックデザインをベースとした映像・モーショングラフィックスに取り組み、主に企業PVや展示会映像などを手掛けています。最近では興味のある事に幅を広げ始め、好きな食べ物に関する事でお手伝いもしています。

内之倉彰氏
photo by Togo Kenji

イベント概要
Don’t give up! 吐き出して目的へ進む話。
クリエイティブサロン Vol.170 内之倉彰氏

「この先これで大丈夫?」「本当は○○がしたいのに……」。葛藤や挫折は、クリエイティブだけでなく、どんな仕事に対してもありえることだと思います。目標にすんなりと進まないのがほとんど。でも諦めるのは簡単ですが、目標を口に出して継続し続けると、必ず手を差し伸べてくれる人や時期があります。遠回りしても自分の目標に辿りつければ、結果オーライではありませんか? なんとかなる! そんな過去や今の紆余曲折もお伝えしながらも、これからの目標を口に出してお伝えしたいと思います。

開催日:2019年9月4日(水)19:30〜21:00
会場:メビック扇町