寄り道をして拾った宝の数々がクリエィティブの糧に
クリエイティブサロン Vol.167 いしだまさや氏

今回のゲストスピーカーは、イラストレーターのいしだまさや氏。独立して3年目、イラストのタッチは、マスコットキャラから商業漫画、キモカワキャラに萌え系美少女、さらには浮世絵まで、まさに変幻自在。「結構回り道をしてきた」と語るいしだ氏のこれまでの道のりから、彼のイラストレーターとしての裾野の広さの秘密を紐解く。

いしだまさや氏

絵を志しながらもデッサンすら知らなかった高校生の頃

兵庫県の田舎でスクスクと育ったいしだ氏。整備士の父が来客用に用意していた少年漫画雑誌に心惹かれ、自分でも漫画を描くように。当時は鳥山明の「ドラゴンボール」全盛期。戦闘モノのマンガを描いて友だちに読んでもらい、「意外と好評だった」と笑顔を見せる。
時は流れ、高校3年生に。「動物園の飼育員になりたい」と夢を抱くもハイレベルな学力が求められることがわかり断念。アニメ好きの友人と宮崎駿作品などに触れる中で幼少時代に楽しく絵を描いていた自分を思い出し、「芸大に行こう」と、関西の3つの芸大を志望する。しかし、進路相談の際の先生の答えは「絶対に無理」。なぜなら、いしだ氏はデッサンを学んだことがなかったからだ。「鉛筆精密描写と聞いて『鉛筆で描く? 小学校の時にやったわ』と。専門知識が必要なことも知らなかった」と、丸腰で某芸大の受験会場へ。デッサンを描き慣れた他の受験生に囲まれ、「えらいところに来てしまった……」と萎縮し、惨敗に終わった。しかし受験期間中に模擬試験を受けるなどして準備を整え、宝塚造形美術大学(現在の宝塚大学)に合格。大学生活は課題に追われる日々を送り、卒業後は広告代理店に就職した。入社したその日から、上司に「色んなジャンルを知るためにも、デザインを見て覚えろ」と商業デザインのイロハを叩き込まれることに。
一方、プライベートでは再び漫画を制作。「たぶん、くすぶっていたんだと思う。漫画で自分のフラストレーションを発散していました」と回想する。その漫画を東京の某出版社に持ち込んだところ、なんと好感触。その日から、日中は会社、夜は漫画制作というハードな日々を送るが、体力が続かず遅刻が目立つように。上司から「漫画とデザイン、どっちを取るねん」と詰め寄られ、「漫画です」ときっぱり。1年半勤めた広告代理店を退社し、いしだ氏の回り道が始まる。

作例

日雇い労働からデザイナーまで盛大に回り道した20代

ネジ工場、解体業など、日雇いの仕事に明け暮れて1年。「さすがにマズイ……」と思い立ち、お笑い会社のデザイナー募集に応募。晴れて入社となり、再びデザインに没頭する毎日を送る。その会社では、チラシや広告のデザインからグッズのキャラクターデザイン、パンフレット制作、イラスト制作まで、幅広く仕事を任せてもらえた。当時、その会社が発行していた専門誌でも、1ページのグッズコーナーを任せてもらえ、読者層の女子高生の心を掴むため、遊び心を散りばめたページを自由に作成。「本当に、楽しみながら作っていましたね」。何から何まで手がけないといけない忙しさはあったが、「めちゃくちゃやりがいがありました」とふり返る。勤めた7年間で、アルバイト契約から契約社員に昇格したものの、あまりの多忙ぶりに精神と身体が音を上げ、退社。
次に就職した先はホビーショップ。ショップ店員として入社したはずが、デザインの経験があると知られるや、接客と並行してデザイン部署の仕事まで手伝わされることに。「顧客管理用のパソコンを使ってデザインをしていました」と、ここでも多忙な日々を送る。デザイン力が買われ、そのうちホビーショップ主宰イベントのキービジュアルのデザインや、東京の新店オープンの手伝いなど、あらゆる業務をこなす日々。「やりたいことでもないし、このままではアカン」と我に返ったいしだ氏は、3年で退社を決めた。

心強い妻のひと言で独立を決意! 漫画も再び執筆開始

気がつけば35歳。また就職するとなると、厳しいかもしれない……。そんないしだ氏の背中を押してくれたのが、妻だ。「独立したら? なんとかなるって」。「デザインしたらいいやん」とも。そんな心強い言葉とともに、「人脈を広げたら?」とメビック扇町の存在を教えてもらい、イベントなどに参加。フリーのデザイナーとのつながりも生まれた。
独立と同時に、再び漫画も描き始めた。ちょうどその頃、“萌え系”と呼ばれる美少女漫画に出会い、自分でも萌え系キャラが主人公の漫画を描いてみたところ、京都で開催された同人誌イベント「京都国際マンガ・アニメフェア」内に開設されていた「マンガ出張編集部」で編集者とつながりができる。その後紆余曲折を経て、今年3月に人気少年漫画雑誌のウェブ版で短期連載にこぎつけた。

イラスト

現在は「やりたいことをやっていこう」がテーマ

「タッチは、クライアントに合わせて変えている」といしだ氏。企業パンフレットなら誰もが読みやすいタッチの漫画を、スマホゲームのキャラクターなら緻密に描き込めば描き込むほどユーザーが喜ぶという心理も知っている。クライアントのニーズを瞬時に察することができるのも、回り道をしたおかげで多くの人と接してきたからかも知れない。「なかでも商業漫画は経験しておくといいと思います」というアドバイスもうなずける。
今の人生テーマは「やりたいことをやっていこう」。
現在、デザインの仕事と並行して漫画のアイデアも考え中。2歳の娘がいることから、SNSで「役に立たない育児漫画」も発信している。
「年齢を重ねると、身体も持たなくなるかもしれない。そのとき、自分だけのコンテンツを持っていたら強いんではないか、と思って」と語る。自分で発信できる今の時代、「将来的にビジネスにつながれば」と考えている。
絵を志しながらも、デッサンすら描けなかった駆け出しの頃。しかし、回り道をし、目の前の要望に懸命に向き合ったことで腕が磨かれ、引き出しも増え、どんなタッチのイラストも幅広く対応できる、いしだ氏の感性が磨かれたに違いない。

イベント風景

イベント概要

回り道、からの~独立3年目イラストレーターの話
クリエイティブサロン Vol.167 いしだまさや氏

幼い頃から飽き性の自分が唯一続けてきたのが絵と漫画でした。独立3年目。こんな自分でも続けてみると仕事になるようで、いろんな方に助けていただいております。自分の半生を振り返ってみると結構回り道した感はありますが、今思うと現在の自分のクリエイティブの糧になっているなと実感します。てなわけで、独立までの回り道話を中心に、現在の自分、これからの自分をお話しさせていただけたらと思っています。興味ある方もそうでない方も、楽しんでいただけたら幸いです。

開催日:2019年8月7日(水)

いしだまさや氏

おしるこデザインファクトリー

1981年、兵庫県生まれ。広告代理店、某お笑い会社のデザイナー、その他云々カンヌンを経て独立。現在3年目のイラストレーター&漫画家。キャラクター制作や大学・地方自治体・企業様向けのイラスト作成、広告漫画などを制作する。現在はそれに加え、10年のブランクを経て商業漫画も始めてみたり、娘ができたことをキッカケに育児漫画を始めてみたりと何かと云々カンヌン挑戦中!

https://oshiruko-design-factory.jimdofree.com/

いしだまさや氏

公開:
取材・文:中野純子氏

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。