1枚だけでおもしろい最強の“ハリボテ”をめざして
クリエイティブサロン Vol.163 ハピネス☆ヒジオカ氏

今回のクリエイティブサロンに登壇したのは、イラストレーターのハピネス☆ヒジオカ氏。コママンガをはじめ、大阪らしさを詰め込んだ賑やかなイラストは、JR大阪のポスターや北港観光バス✕JTBが運行するラッピングバスにも起用されており、大阪人なら雑誌や街角で一度は目にしたことがあるはず。そんな有名人の話が聴ける機会とあって、会場は満員御礼。独自の発想の根源を探るべく、これまでのイラストレーター人生に耳を傾けた。

ハピネス☆ヒジオカ氏

架空の大阪の街に描かれた大阪のおもしろい仲間たち

見覚えのある大阪の街に、“ザ・大阪”が滲み出るユニークな人々がみっしりと描き込まれた楽しいタッチは、ヒジオカ氏のイラストの特徴のひとつ。イラストを盛り上げるのが、「劇団ハピネス」の所属タレントたちだ。「劇団ハピネス」とは、ヒジオカ氏の作品を支えるキャラクターのこと。ポスターや雑誌のコママンガ、大阪土産のパッケージなどフレキシブルに活躍する絶対的エース「天満かず子」をはじめ、現在メンバーはおよそ25キャラ。賑やかな作風に散りばめられたこだわりが、観る人を愉快な気持ちにさせてくれる。はたしてこのセンスはどのように育まれたのだろう。

キャラクター

「なぜ好きな絵を描かないの?」という問いかけに奮起

子どもの頃から絵を描くのが好きだった。鳥山明の『Dr.スランプ アラレちゃん』、ゆでたまごの『キン肉マン』、はるき悦巳の『じゃりン子チエ』など、時代を席巻した人気漫画に囲まれ、イラストとギャグセンスが育まれた。その腕が見込まれ、中学生の頃に文集のイラストを任されることに。「自分の描いた絵が印刷されてみんなに配られるということに、えもいわれぬ快感を覚えた」とふり返る。この喜びが、イラストの道へ進むきっかけとなった。
中学卒業後は工業高校デザイン科を経て、本町にあるテキスタイルデザイン会社のデザイナーとして就職。絵筆を持てる数少ない仕事と奮闘するも、テキスタイルの難しさに悩む日々だったが、入社3年後に転機が訪れる。転勤となったインドネシアで、ヒジオカ氏は現地のスタッフと得意の似顔絵やコママンガを描いて交流を温めた。そんなある日、「漫画を描いている時の方が楽しそう。僕たちには絵の具1本がとても高価なものだけど、君は日本に帰ったら買えるんだろ? なのに、なぜ好きな絵を描かないの?」と不思議がられた。「その言葉に背中を押され、帰国してすぐイラストレーターをめざす決意をしました」

コママンガ
当日、スライドで使われたコママンガ。どれもヒジオカ氏のユニークな人柄を表すものばかりで、会場を和ませた。

ファミレスで育んだ人間観察がコママンガに生きた

広告業界に飛び込み、求人広告会社で広告・イラスト制作を6年間経て、28歳で独立。ところがその数日後に阪神・淡路大震災が起きた。世間が混乱に陥る中、イラストの依頼が来るはずもなく、先輩の事務所に身を寄せた。それでも少しずつ依頼が増え始め、自宅兼事務所に戻って作業するも、つい怠けてしまう。そこで足を運んだのがファミリーレストラン。「人がいてやかましいぐらいの方が、仕事が捗る。その時に人間観察するクセが身についたんです」。学生にサラリーマン、ママさんバレーの集団など、ファミレスに出入りするあらゆる人々を観察するうち、それがのちにイラストでも生きるように。一方で、当時はオシャレでかっこいいタッチのニーズが高く、「オモシロおかしいイラストが描きたいのに、どうすれば……」と悩んだ結果、依頼先とFAXでやりとりをする際、送付用紙にセリフ付きのヒトコママンガを挨拶状にするなど地道にアピール。それが担当者の目に留まり、クスッと笑えるタッチが受け入れられて現在の作風に。女性誌からの依頼も増えたことで「おじさんとバレないように」と本名から性別のわからない“ハピネス☆ヒジオカ”に改名を遂げる。

「来た仕事はフルスウィングでやりぬく!」

40歳を過ぎた頃から、ヒジオカ氏の活躍の場は紙の上のみならず街にも広がる。ライブペインティングに挑戦したり、児童施設の壁にイラストを描いたりも。そこで出会ったイラストレーターから刺激を受けて、人生初の個展も開催。さらに、異業種のナレーション事務所に転がり込んだことで新しい流れが生まれた。イラストからテレビや映像の仕事、誌面のコママンガまで。さらに、もうひとつの柱となる、キャラクターてんこ盛りのイラストなど、新たな展開を見せ始める。「来た仕事はフルスウィングでやりぬく!」をモットーに突き進んだ。同時に、JR大阪が発行する「おおさか街あそび」のポスター作成など、現在も続く大阪のおもしろさがつまったパロディ作品「架空の大阪」シリーズも、この頃に作品のベースとして確立されていく。
一見順調に見えるが、「建物のパースが合ってない」という何気ないひとことに思い悩んだ時期もあった。「時代の流れも“本物志向”に傾いている時期で、このひと言には結構悩みました。でも、僕の好きなアーティストの曲で、“ハリボテの木の下で子どもたちが集まって楽しそう”みたいな歌詞があるんです。それで、『1枚の絵が楽しそうならそれでいい。本物じゃなくても、最強の“ハリボテ”になったらいい』と決心が付きました」

作例

自分自身を、作品を世に出して大勢の人とつながろう

50歳を迎えた今、「モノを見る視点や考え方が変わった」とヒジオカ氏。これまでは「気が小さくてビビリだった」というヒジオカ氏だが、いまは積極的に交流会に顔を出して人とつながるようになった。仕事場も、現在はいろんな人が出入りするコワーキングスペースと自宅を行き来するスタイルに。「これまで良くも悪くもイラストしか描いてこなかったけれど、これからは何だったらイラストだけにとらわれることなく、色んな方と色んなことをやってみたい」という。
「自分自身への限界や、期待や壁、まだ見ぬ可能性……。いろいろなことを感じる年齢になりました。結局はひとりでは何もやっていけない、ということも」と感慨深く語る。「ならばせめて、できるだけ自分自身を、作品を、世間に出して大勢の人に知ってもらい、つながりましょう。……そんなことをこの歳になり、今さらながら実感しています(笑)」

イベント風景

イベント概要

ボクがかいてきた絵と恥のお話
クリエイティブサロン Vol.163 ハピネス☆ヒジオカ氏

そこはかとなく勤め人時代から描き続けて30年。地味ぃに年数だけは長いことになりました。世間を業界を歩きながら転がりながらも時代は令和に突入ってことで、ここいらで自分自身を見つめ直してしゃべりたいと思います。なにかの参考になるのかはたまた反面教師になるのか会場が涙色に染まるのかはわかりませんが、くだらない話ばかりになったらごめんなさい。よろしければ。

開催日:2019年7月10日(水)

ハピネス☆ヒジオカ氏

イラストレーター

鹿児島生まれ神戸育ち大阪在住。
テキスタイルデザイン会社、広告制作会社を経てフリーに。わいわいがやがやキャラクターやアイテム一杯のイラストから、日常のシーンを切り取ったシチュエーションイラスト。ボケたりツッコンだりのお笑い系コママンガなど、「見て楽しい!ワクワクする!クスッと笑える!」をモットーに、企業広告、雑誌、ウェブ、TV、イベント等を中心に、イラスト・キャラクターデザイン・4コママンガ・ルポマンガ等で活動中。

http://happihiji.blog100.fc2.com/

ハピネス☆ヒジオカ氏

公開:
取材・文:中野純子氏

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。