闘病の末に掴んだ夢「病院にアートギャラリーを」
クリエイティブサロン Vol.276 近藤さやか氏

誰しも、人生には思いもよらない出来事が起こる。その時、どう考え、どう行動するか。そこに個々の人間性が表れ、その後の運命も大きく変わってくる。

「人生って何が起こるかわからない」という言葉が幾度となく登場した今回のサロン。登壇者・近藤さやかさんも闘病生活を乗り越え、会社員からフリーランスへ転向し、アーティストとしての道を切り拓いてきた。それぞれの決断にどんな思いがあったのか。落ち着いた口調で語る言葉の数々から、近藤さんの思考の断片が見えてきた。

近藤さやか氏

絶望を救った奇跡の1枚

近藤さんのイラストレーターとしての原点は、幼少期に見たシティポップの世界。鈴木英人氏やわたせせいぞう氏が描く、80〜90年代のキラキラした風景に強く惹かれたそう。また15歳でカナダへ留学したことも、自己表現の重要性に気づくきっかけとなった。もともと幼少期から両親に連れられ美術館や音楽会に通っていたこともあり、徐々に表現の世界に興味を持つようになった。

その後、大学時代にインテリアと出合い、卒業後は専門学校へ。CADや設計デザインの技術を身につけ、マンションギャラリーの設計や商業施設のプロモーションの仕事に就きながら、趣味でイラストを描き充実した日々を送っていた。

ところが2017年、突如として悪性リンパ種が発覚。それまで病気とは無縁の人生を歩んできただけに驚きを隠すことができず、人目も憚らず号泣したと言う。

「当初は食事が喉を通らず、夜も眠れませんでした。36歳でこれからという時期に、なぜこんな病気にかからなければいけないのか。本当に悔しかったです」

さらに近藤さんを悩ませたのが、抗がん剤治療の副作用による脱毛の問題だ。日に日に毛髪が抜け落ちていくことを想像すると、言いようのない感情がこみあげ、深い悲しみに襲われた。平穏な生活が一変し、突如始まる入院生活。自分自身を取り巻く環境があまりに急変し、現実を受け止めることさえ困難だったろう。

だがそんな中、近藤さんは「ここで立ち止まってはいられない!」と気持ちを立て直し、「私、絶対元気になるから」と両親に約束して治療に専念し始めた。

そして、SNSで、ある女性の投稿写真と出合うこととなる。「丸坊主さん」という言葉が添えられたその投稿には、闘病中の若い女性がにこやかに微笑む姿が写っていた。「彼女の表情を見た瞬間、キューっと締め付けられていた心臓がすっと和いでいくのが分かりました。すごく勇気をもらえたんです」。この1枚がどれだけ近藤さんを救ったことか。実際に脱毛が始まった際も落ち着いて受け止めることができ、“おそらくこの先二度とない”であろうウィッグ生活を楽しむことができた。



こうして、一つひとつの出来事を自らの力で前向きに転換させる中で、いつしか「私もこの写真の女性のように、誰かの心を支えられる人になりたい」という感情を持つようになった。

入院中の病室
闘病中は「少しでも心地よい空間にしたい」とお気に入りの小物を持ち込み、おしゃれな空間に模様替えしており、この経験が「病院にアートギャラリーを」という夢につながっている。

「負けた」からの華麗なる復活

それから闘病生活を経て会社に復帰したのは3ヶ月後のこと。しばらくは平穏な社会人生活を取り戻したかのように見えたが、その1年後、部署異動によって近藤さんの人生はさらなる激動の時期へと突入し、今度は仕事環境の変化によって心のバランスを崩してしまったのである。

「鬱病と診断され休職しました。それまで心の弱い人がなる病気と思っていたので、まさか自分がかかるなんて。『負けた』と思いました」

療養生活を続ける中で支えとなったのは、側で見守ってくれていた兄の「またイラストを描いてみたら?」という一言だ。その言葉に励まされデジタルアートを始めると、これが驚くほど近藤さんの才能を開花させてくれた。幼少期から憧れてきたシティーポップの色彩感覚に、CADや設計デザインで身につけたスキルが立体感を与え、のびやかな曲線が優しい風景を描き出す。周囲からも評価を受けイラストレーターとして活動し始めると、徐々に「好きなことをして自分らしく生きよう」という感情が芽生えてきた。

そこで会社を辞め、派遣社員+イラストレーターという働き方をスタートさせるのだが、派遣先の業務が激務だったこと、念願の百貨店での個展が大盛況を博したことなど、想定外の出来事が次々起こり、ついに2021年、10年以上在籍した会社を退職。「大手企業の正社員」という安定した立場を捨て、強い覚悟を持ってフリーランスに転向したのである。

個展では、思わず涙ぐむ観客も少なくない。特に夕日のイラスト(写真左)は、「苦しい時に勇気をもらいました」と感想を寄せてくれた人がいたそう。

殻を破りさらなる大舞台へ

独立後、順調に活動を広げる近藤さんだったが、同時に、組織に属さない働き方に危機感を覚え「自分の知的財産権は誰が守るのか?」という悩みを抱えるようになった。そのため自営業に必要な最低限の法律を抑えようと、弁護士に依頼し制作に関する契約書を作成。受注時にクライアントと話し合える体制を整えた。

「契約書まで交わす人は少ないですが、何事も自己責任のフリーランスにとって、自分の権利を守り安心して活動するためには必要なことだと思います」

また個展で販売する作品の値付けに関しても、当初は市場の平均にあわせていたが、次第に違和感が増し「自分が豊かに生活できる」ことを前提に価格を変更。クリエイターの価値、クリエイターとしての価値提供に向き合いながら自分らしい働き方を確立していった。

この時期、近藤さんの活動に大きな影響を与えたのが、「UNKNOWN ASIA 2023」への出展だ。「自分の殻を破りたい」と悩んだ末、デジタルからアナログに手法を変更。さらに「近藤さやか」という人間を内側から知ってもらおうと、絵を描くきっかけとなった鬱病の経験を語り始めた。なぜ描くのか? 何を描きたいのか? 活動の根幹を明らかにすることで作品の背景となるストーリーが紡がれ、より厚みのある世界観を創出できたのだろう。近藤さんの絵は多くの来場者の心を掴み、イベントの後援企業が選ぶスポンサー賞にも輝くことができた。

個展風景
高槻阪急スクエアで個展を開催したご縁で、2023年4月に念願の阪急うめだ本店でも個展を開催。独立から約1年半で着実に夢を叶えている。

夢の実現を予感させる、不思議なご縁

この一連の出来事を通して、近藤さんの中に新たに芽生えたのが「病院にアートギャラリーを」という目標だ。1枚の写真が力を与えてくれたように、今度は自分が病と戦う患者さんを応援したいと、五感による心の緩和をめざしている。

例えば従来の病院の場合、清潔感ある白い空間が多いが、長期間過ごす患者さんからすれば無機質な印象になりかねない。近藤さんはそれをアート作品によって視覚から癒し、病気の緊張感から解放しようと考えている。また自身が闘病生活中、中庭や売店へ散歩することが唯一の楽しみだった経験から、院内に遊べる場所を作り、患者さんやその家族、また医療従事者にくつろぎを提供するという企画も立案中だ。

すでに「ART in HOSPITAL」というプロジェクトに参加し、消費者が近藤さんの絵を購入すると、自動的に提携先の病院に絵が寄付されることになっている。しかもその提携先が、奇しくも近藤さんの悪性リンパ腫を発見した病院と言うから、不思議なご縁を感じずにはいられない。

「まさか6年後にアーティストとして自分の絵を飾ってもらえるなんて。人生って本当に何が起きるかわかりませんね」

その悪性リンパ腫も2022年に無事完治。人生の第2章を加速させるべく、2024年は個展の開催に、感性を磨く旅にと、めいいっぱい予定を組んでいる。

さらに今後は国内外での活躍を目指すとともに、病院プロジェクトや途上国への支援にも取り組むそう。「どんな出来事にも必ず意味がある。私のこれまでの経験は、同じように病み苦しむ人々に寄り添い活動するための時間だったと思います」と力強く語った。

病気を克服し、自分らしい生き方を追求してきた近藤さん。終始印象的だったのは、どんな時も自らを信じ、前を向き続ける芯の強さだ。サロンの終盤、参加者から「その強さの根底にあるものは何ですか?」と聞かれると、「窮地に陥ったら誰でも火事場の底力が出るもの。私が特別強いのではなく、皆さんにも備わっているはずです」と控えめに回答した。

こういうことをさらりと言えてしまうあたりが、すでに強さの証だろう。これまで「どんな出来事にも必ず意味がある」と信じて乗り越える中で培われた力なのかもしれない。そして今後も、その強い志で、感性豊かなアートで、病む人々に勇気を与え世界を明るく彩ってくれるに違いない。そんな希望にも似た感情とともに、2023年最後のサロンは静かに幕を閉じた。

イベント風景

イベント概要

病院にアートギャラリーを。大病を乗り越え絵を通して伝えたい私の想い。
クリエイティブサロン Vol.276 近藤さやか氏

会社員を辞め「アート」の道を選んだ風変わりな人生を歩んでいるのかもしれません。ですがそこには覚悟があり使命感を持っています。私の絵の原点は、90年代によく見かけた鈴木英人氏やわたせせいぞう氏のシティポップアートの眩しくてキラキラした世界観でした。子どもの頃あの絵を見て感じたわくわくした気持ちや、あの明るく幸せな古き良き時代を伝え、また活気ある時代が訪れてほしいという思いを表現したいと思っています。 2017年に大病を患い、1枚の写真に勇気付けられたことがきっかけとなり「私の絵が誰かのそんな1枚になりたい! 絵を通して元気になってもらいたい!」そう想い再び絵を描き始めました。病院にアートギャラリーを併設していく活動が今後の目標のひとつです。大病を克服し絵を通して伝えたい想いをお話しできればと思います。

開催日:

近藤さやか氏(こんどう さやか)

Sayakadrawing 代表
旅するアーティスト / イラストレーター / デザイナー

1981年大阪府生まれ。3人姉兄の末っ子としてのびのび育つ。両親に美術館へ連れて行ってもらうことが多く、絵に興味を持ち始め独学で学ぶ。16歳の1年間をカナダへ語学留学し自己表現の大切さに気付く。大学では英語を専攻するが、デザイナーへの夢を叶えるため、卒業後インテリアデザインの専門学校にて基礎を習得。20代はマンションギャラリーの設計デザインをはじめ商業施設のプロモーション、ディレクションに携わる。30代は寝具のショールームで営業、接客、販促など運営全般に携わる。2022年の独立後は阪急うめだ本店など百貨店にて個展開催や『地球の歩き方ニューヨーク編』「大阪モノレールPRESS」のイラスト作成などの商業ベースでも活躍。メビックチャレンジブースより出展した国際アートフェア「UNKNOWN ASIA 2023」にて「HOMES賞」受賞。

https://sayakadrawing.amebaownd.com/

近藤さやか氏

公開:
取材・文:竹田亮子氏

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