いかにして名プロデューサーは生まれたか。「江副直樹ができるまで」
クリエイティブサロン Vol.275 江副直樹氏

農業から商業、工業、観光、地域活性など多様なクライアントに対し、コンセプト重視の事業戦略を提案してきた、ブンボ株式会社 代表取締役 江副直樹氏。今回はその半生と影響を受けたカルチャーを振り返り、江副氏を形づくった根源へと迫る。

江副直樹氏

紆余曲折のライフヒストリーから「江副直樹の素」を探る。

地方創生として地域の製品をヒットさせ、雇用を生み出そうという活動は各地で展開されている。と同時に志半ばで撤退する例も多い。商品の企画・開発の段階から、広報・営業・マーケティングまで手がける事業プロデューサー・江副直樹氏は、これまで数多くの地域資源、特産品のプロデュースを手がけて成果を上げてきた。

公式プロフィールも濃厚で興味深いのだが、この日のために用意された幼少期から現在までのレジュメはA4シート3枚にも綴られていた。佐賀県生まれの北九州育ち、ホタルやザリガニなどさまざまな生態系を擁する自然豊かな土地で、のびのびと幼少期を過ごす。好奇心旺盛ないたずらっ子だった思い出話、事故やトラブルに遭いながら無傷だった超人伝説、焼酎の広告や少女漫画に登場した話など、おもしろ話の宝庫。ときおり混ざる「○○事件」と呼ぶエピソードには、現在の姿から想像がつかないやんちゃな側面もうかがわれた。

高校ではバスケットボールに熱中するかたわら、トラッドに目覚め下級生女子のファンクラブもできたとか。みなが羨むリア充だったが大学に進学すると、事態は一転。人生初の挫折を味わうこととなる。

それは突然やってきた。虚無感に包まれ、食欲もわかず、あげく電車に乗ることさえ怖い。「地獄に堕ちるとはこのこと」。健全たるスポーツ少年から急転したひきこもり生活、自分自身がそれを認めたくない。「今思えば心身のミスマッチが原因だったのかもしれないが、当時はそれがわからずのたうちまわっていた」。毎晩一冊本を読んで、昼は寝る生活。それが2~3年続き、大学も中退する。「まわりが就活をはじめた姿を見て、自分はドロップアウトしたんだなという諦観に包まれた」

学生時代の江副直樹氏
小・中・高と学生時代にわたる数多くのエピソード、それぞれの記憶の鮮明さに驚かされる。

長く続く暗闇からの脱出。それが人生のターニングポイントに。

そんな鬱々とした日々のなか、突然釣りに行きたくなった。手近な道具を持って近所の公園へ行き、小さなフナを釣った。この時、何かが弾けた。それから程なくしてフライフィッシングを知り、翌春には大分の山国川へと出かけ、源流でアマゴを釣った。これが人生を変えた。「なんてきれいなんだと跪いて両手に載せ、ずっと眺めていた」。24歳の春のことだった。この急展開は、かつて著書『オーパ!』で知られる開高健氏がルアーでイワナを釣る写真を雑誌で見たことがあり、渓流や疑似餌、そして鱒類への憧れが根底にあったそうだ。

当時は限られた人としか会わなかったが、そのうちのひとりが漫画も一緒に描いていた小中高のクラスメート。「彼は京都で70’sアングラカルチャーにどっぷり浸って、福岡に帰ってきたんです」。彼から教えてもらったのが、伝説の雑誌『遊』。松岡正剛氏による、既存の要素から新たな価値を生み出す、その新しさに圧倒された。もうひとり影響を受けた人物がいる。トラッドに夢中だった高校時代、愛読誌『MEN’S CLUB』のあるページに釘付けになった。美しい東京の夜景をバックに立つ粋な男、それはライフスタイル・プロデューサーの浜野安宏氏だった。

すっかり趣味となった釣りが、今度は江副氏の運命を動かす。歴史ある同人誌『フライフィッシング・ジャーナル』に、投稿写真が掲載されたのだ。「その時、編集長たちから写真に添えた文章を褒められて。これがコピーライターになるきっかけです」

時は80年代、福岡の広告業界でもコピーライターの募集も多かった。が、「履歴書を書きながら愕然とした。自分には何の取り柄もないって」。大学は中退、年齢も30歳目前。そこで備考欄に「御社はぼくを雇わないと、将来多大なダメージを被ります」と書くも、結果は不採用。しかし縁は異なもの。専門学校に通うと、講師として先の会社の社長が現れた。「“江副くんは社内でとても評判になっていたんだよ”と言われ、卒業後そちらに入社しました」

はじめて組織で働くも13ヶ月で退社し、31歳でフリーランスとなる。この間、社内にあったさまざまな書籍を読み漁るが、そこで『浜野商品研究所コンセプト&ワーク』に出会う。ファッション、釣り、プロデュース、自分が興味を持ったジャンルには、つねに浜野氏がいた。「この本を読んで以来、コンセプトという言葉を使うようになりました。また、松岡正剛氏と著書『知の編集工学』で再会、編集という言葉を多用するようになったのはここからです」。型にはまることを嫌い、つねに自力でキャリアを切り拓いてた江副氏にとって、松岡正剛氏、浜野安宏氏は知的刺激を放ち続ける心の師匠として深く刻まれている。

江副直樹氏
趣味となった釣りでも一貫して「定型」を嫌う江副氏は、ファッションからスタイルまで自己流を貫いていた。

土地と人の魅力に触れた海外の旅を経て、自然を謳歌する田舎暮らしへ。

「ターニングポイトとして、もうひとつ大きかったのは海外体験ですね」。35歳の時、ニュージーランドに1ヶ月旅し、翌年はヨーロッパに1ヶ月半のバックパック旅行へ。目的地を定めたものではなく、各国の知り合いや紹介された人を訪ねる旅は、江副氏に数多くのカルチャーショックを与えた。そんな経験も加わって、かねてから胸のうちにあった田舎暮らしへの憧れは、にわかに現実味を帯びてくる。

97年、41歳で事業プロデュース会社「有限会社ブンボ」を設立し、2000年には福岡県朝倉郡宝珠山村(現:東峰村)にある、築80年の古民家に移住。念願の田舎暮らしのはじまりだ。「偶然にも同じ村に廃校を利用した『手仕事舎』という、文化や音楽の発信拠点があり、ここでも数え切れない出会いをいただきました」。世に出る人はたまたま表現力があるだけで、市井に埋もれながらすごい人は山のようにいる、そんなことにも気づかされたという。

今では数多くの地域系のプロジェクトを手がける江副氏。そのはじまりは2007年、大分県初の地域系プロジェクト「たけた食育ツーリズム」だ。その後「九州ちくご元気計画」のプロデュースも手がけ、それが「ちくご方式」として全国に広まった。その後、2012年には日田市内に自宅兼事務所を着工する。

3年前からは福島県のイタリアンレストランに、自分が釣った鮎を卸している。「福島県のブランド推進課の講座で、出席したシェフの方からぼくが釣る鮎に興味を持たれて。これが自分にとっての復興支援」

日々の営みを大切に、衣食住すべて消費者目線で考える。

これまでの仕事をふり返れば、30代後半から40代にさしかかった頃、プロデューサー志向になったことが現在につながると江副氏は語る。「コピーライターはできあがったものに対しての仕事。だけど、モノがどうしょうもないこともある。これを何とかできないか。日々の暮らしのなかでこんなものが欲しいと思うもの、コピー以前の商品開発から携わりたいという思いが次第に募っていったんです」

高度経済成長期に大量生産を効率化するために分業が進み、スペシャリストが輩出される一方で全体を見る総指揮者が不在のため失敗に終わるプロジェクトも見てきた。「それなら自分がそのポジションに立てばいい」と江副氏は事業プロデューサーの看板を掲げる。「ものづくりはとても尊いもの。自分が作り手では狭い領域しか手が出せないが、プロデュースであれば幅広くできるのでないかと」

たとえば、川釣りで出会ったカメラマンは、学生時代に木製のヨットを自作するほど手先が器用な人物。機械類にも詳しく、その後竹製の釣り竿をつくるプロとなり、竹を割って断面が正三角形のテーパーをつけられる機械まで設計する。「工房に通って徹夜で話を聞くということもよくしました。その人の名言に“技術なんて2種類の工程しかない。くっつけるか、切るかだけ”だと。とにかく凄くて、モノづくりを根本からサポートしたいと思い始めたんです」

「プロデュースはマニュアル化できない」。そう江副氏は語る。丁寧な暮らしのなかで何が求められているのか考え続けられる人だからこそ、埋もれた資源を見出すことができ、それが結果として地域のものづくりの支援につながっていくのかもしれない。

イベント風景

イベント概要

プロデューサー江副直樹ができるまで。
クリエイティブサロン Vol.275 江副直樹氏

子ども時代から現在までのエピソードを辿ることにより、なぜプロデューサーが生まれたかを解き明かしてみる。長閑な佐賀で生まれ、がさつな北九州で育ち、好奇心旺盛でいたずらの限りを尽くした。イケイケの高校時代から暗転、人生の地獄を見る少年期の終わり。釣りをよすがに立ち直り、いつの間にかクリエイティブ界に身を置き、デザイン教育は受けないまま教員や講義をする不思議。ずっとローカルに暮らしているが、気づけば全国の多彩な案件と組んずほぐれつ。愉快な仲間たちと遊んでいるうち、古希目前。もっとも、本番はこれからだ。

開催日:

江副直樹氏(えぞえ なおき)

ブンボ株式会社 代表取締役
事業プロデューサー / クリエイティブディレクター / コピーライター

1956年1月1日佐賀生まれ、北九州育ち。西南学院大学法学部中退後、米穀店店員、工場作業員、釣り雑誌編集者などを経て、コピーライター。その後、商品開発と広報計画を柱とする事業プロデュースの会社、有限会社ブンボ設立。農業、商業、工業、観光、地域活性など、多分野の多様なクライアントに対し、コンセプト重視の事業戦略提案とその実現を行う。2010年頃から、地域系のプロジェクトが急増。1999年より福岡デザイン専門学校 特任講師。2017年より大阪芸術大学デザイン学科 デザインプロデュースコース 客員教授。

https://bunbo.jp/

江副直樹氏

公開:
取材・文:町田佳子氏

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