幼少期からの経験がすべて今の自分に繋がっている
クリエイティブサロン Vol.274 野村広子氏

Webデザインを中心に、イラスト、チラシやパッケージデザインなどのグラフィックデザイン、SNSのブランディング、コンサルティングなどを手掛けるLotusboast代表・野村広子さん。高校を卒業して就職した後、漫画家になるため専門学校に入ったり、飲食店で働いたりしながら調理師免許を取得するなどの経験を経てWeb業界へ。「私が生業としている根本的な部分は、これまでの経験と様々な局面で選択してきたことが、すべて繋がっている」と半生を振り返る。

野村広子氏

チラシの裏に描いたアニメキャラを父親に褒められた

1981年、京都府宇治市に生まれた野村さん。母親が塾を経営していたため、幼少期は物理の教師をしていた父親と一緒に過ごす時間が長かったという。チラシの裏にアニメのキャラクターを描いて見せたところ、すごく褒めてくれた。それが幼心に嬉しくて、暇があれば絵を描くようになった。

小学1年のとき、父親の実家がある京丹後市へ引っ越す。人口の少ない町で、野村さんは、さながら町のガードマンを気取って、学校から帰ると灯台や神社、お寺などを1人でパトロールをしていたとか。

当時の野村さんは、クラスメートたちに対して友達という感覚がなかったため、1人で過ごすことは苦にならなかったという。「絵を描いたり、当時はピアノを習っていたから無心で練習したりしていれば、時間が過ぎていきました」

文芸部活動として友人らと同人誌をつくっていた中学時代

中学生になると、野村さんに大きな出会いが訪れた。野村さんが「真のオタクみたいな人たち」と表現する女子3人で、文芸部として同人誌をつくりはじめたのだ。「学校のコピー機で印刷して、漫画冊子をつくりました。部活だから、部の予算でつくれるんですよ」

ますます絵を描くことにのめりこんでいったが、高校へ進学すると吹奏楽部へ入部。同時に、学校でしか使えない画材が使えるという理由で、所属はせず美術部にも出入りしていた。

高校2年のとき、母親の蔵書で見た「メモ帳にHTMLコードを書いてホームページをつくる」を試してみたら成功し、これがHTMLを始めるきっかけになった。

学校では部活を掛け持ち、授業中に出された課題は学校で済ませていた野村さん。家に帰った後の時間は自分のためだけに使いたいので、いかに効率よく時間を使うかを考えていたという。それが後々就職し、様々な職業遍歴の中で生きてくる。

学生時代に制作した同人誌

Webデザインの専門学校へ行こうとしたが父親の反対で就職

野村さんは進学クラスに通っていたが、大学よりも、WebデザインやHTMLを学べる専門学校へ行きたいと考えていた。しかし、当時はWebデザインやHTMLを学べる専門的な教育機関が少なかった。ネットも今ほど普及しておらず、「そんな学校、大丈夫なのか」と父親に心配されたため、いったんホームセンターに就職。働きながら2年間で、専門学校の学費を貯めるつもりだった。

1週間におよぶスパルタ式の新人研修を経て、店舗に配属された野村さん。いかに効率よく、無理せず働いて、定時退社できるかを考えていたという。野村さんは、自身のことを「面倒くさがり屋」だという。だからこそ手数を減らして、ミスも減らし、成果が出るように知恵を絞る。そうすれば、別の業務や自分のために割ける時間をつくれる。

就職して1年が過ぎ、あるていど貯金もできた。その頑張りが父親に認められ、足りない分の学費を出してくれることになった。代々木アニメーション学院に入って、漫画家をめざした野村さん。高校の美術部でデッサンの基礎を身に付け、同人誌で漫画も描いていた経験が活きたという。

卒業後もアルバイトをしながら漫画家をめざしていたが、野村さんの弱点が露呈する。「絵は描けても、ストーリーをつくれないんです」

アイデアを盗まれることを恐れ、相談する相手もいない。「漫画家に向いていない」と悟ったとき、卒業から4年が経っていた。

その間は、主に飲食店でアルバイトをしながら、合間には派遣会社に登録して他の仕事もしていた。ライン作業や郵便物の仕分け、靴下を1足にまとめて留める作業、ユニバーサルスタジオジャパンでポップコーンの容器を組み立てるだけの作業、コールセンターなど、あらゆる業種を経験したという。

調理師免許を取ったが業務は過酷。Web業界へ転職

漫画家を諦めたあと、フリーター生活を経て、調理師免許が取れる短大へ入った野村さん。高校を卒業して以来、5年ぶりの学生生活は楽しかった。「講義も実習も、最前列で聞いていました」

卒業後もアルバイト先の飲食店で、料理長として2年間働き続けた。だが、拘束時間が長すぎるため退職。

飲食業界から離れて、とある小売店が運営するECサイトの補佐として転職。ところが勤め始めると、ページのデザイン、撮影、レタッチ、キャッチコピー、商品説明、掲載後の転換率、効果測定に至るまで、制作工程のほぼすべてを任された。「初心者がする仕事じゃない」と思いながらも、キャッチコピーや商品説明に、昔読んだ小説やライトノベルのフレーズが活用できたり、サイトの製作では同人誌での経験が役立ったりしたという。

また、新しく覚える知識も多かった。とりわけWeb業界で生きていくための基本的な知識、ECサイトの運営ノウハウを習得できた。その次に転職したアパレル関係のECサイトでもWebに携わり、併せてスケジュール管理のノウハウも身に付けた。

月曜だけ営業の「Mon月(まんげつ)」で提供される料理(一例)

結婚、退職、出産、大きな挫折を経て今

やがて、妊娠していることが分かり結婚。妊娠中の経過が思わしくなく、医師から安静を申し渡されていたときはこの状態では働けないと会社を退職。いざ退職すると暇を持て余したので、HIMLを勉強し直して、個人でホームページ制作を請け負っていた。

出産後も仕事依頼は順調で充実していた中、事情があって離婚。そんな折、事実上の無期限契約という好条件の契約が取れた。ところが、3年目に突然連絡が取れなくなった。業績が落ちていることは聞いていたが、経営者が元同僚の夫という安心感が仇となった。未収金を取り戻す裁判を起こしても費用倒れになるため、断念せざるを得なかったという。

悪いことは重なる。首ヘルニアを発症してパソコン作業に支障が出たり、指示書がないまま制作を丸投げしてくるクライアントに振り回されたり、父親の逝去まで、ほぼ同時期に起こった。

そんな状況に「すべてにやる気をなくした」という野村さん。かつて同じアパレル会社で働いていた元同僚に、ふと「フリーランスの仕事を辞めようかと思っている」と弱音を漏らした。その元同僚は当時デザイン事務所に勤めており、野村さんにも仕事を依頼していた。野村さんの弱音に対し「辞めるのはやめて。デザインもコーディングもあなたほどできる人はいない」と必死の説得を受けたときは、私の仕事を認めてくれる人がいると、ありがたくて涙が出たという。「あのとき辞めていたら、今頃は飲食業界で働いていたかもしれない」

その後、野村さんは人脈をつくるため北大阪商工会議所青年部へ入った。「仕事に繋がらなくても、多くの人と出会い、経営者の考え方を聞いたり話をしたりするだけでも勉強になります」

そして今年、調理師免許を活かす機会も得た。知人が営む飲食店が定休日の毎週月曜日、野村さんが店舗を借りて野村さんの店として営業する。「おばんざい・惣菜をつまみながらお酒が飲め、ご飯もがっつり食べられるお店です」

さらに2024年が明けたら、今住んでいる枚方市の情報を発信するフリーペーパーを発刊するという。「デジタル全盛の時代に、あえて紙で冊子を出します」

ここまで、あらためて半生を振り返ってきた野村さんは、「今まで学んできたことに、無駄なことはひとつもなかった」という。「たくさんの成功体験を重ねてきた一方で、失敗もたくさんしました。物事が自分の思うように運ばなかったときや、だらしない生活をしていたときですらも、すべての時間が間違いなく自分の糧になっています」

これまでどおり継続してやっていきたいことに加えて、新しくやりたいこともあるという野村さん。
「好奇心は私の原動力。それは尽きることがなく『やりたい』『やってみたい』『できるかな』が渦巻いて、1日24時間では足りないほどです」

そして最後に、次のように締めくくった。

「好奇心」があるから、沢山のことを学べた。
「好奇心」があるから、今の仕事とプライベートにつながっている。
「好奇心」があるから、まだ見ぬ未来の可能性が見える。

「これからも、やりたいことをやりたいようにやり、やってみたいことに挑戦し続け、できるかなと思うことに試行錯誤しながら、私は生きていくのだと感じています」

イベント概要

私を支えるさまざまな経験
クリエイティブサロン Vol.274 野村広子氏

現在、Webデザイン業を中心に、イラストをはじめ、チラシやパッケージデザインなどのグラフィックデザイン、SNSのブランディングなどのコンサルティング業、最近では飲食業も始めるなど仕事内容はさまざまです。このように多岐にわたる仕事に携われたのも、私自身の「好奇心」と「とりあえずやってみるか」精神でさまざまな経験をしてきた故ではないかと思います。今までの自分の過去と現在、そして未来をお話ししたいと思います。

開催日:

野村広子氏(のむら ひろこ)

Lotusboast(ロータスボースト)
Webデザイナー / グラフィックデザイナー

1981年5月22日、宇治市生まれ、京丹後育ち、枚方市在住。高卒でホームセンター就職、その後、漫画家をめざして上京、大阪で漫画の専門学校に入るも挫折。飲食店を中心にフリーターをしつつ調理師免許を取るも、どうしてもWebをしたいという気持ちがあり転職。ECサイトを運営している小売店で正社員として働き、結婚・妊娠を機にパートをしつつ個人での仕事も始める。離婚を機に完全独立し、今に至る。コーディング、デザイン、料理で生活しています。

https://lotusboast.website/

野村広子氏

公開:
取材・文:平藤清刀氏(創稿舎

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。