「なりゆき」さえも自分の意識次第ですべてが無駄でなくなる。
クリエイティブサロン Vol.269 深川正英氏

クリエイターは最初に志した道を深く掘り下げることが多い。しかし偶然に身をゆだねたり興味のおもむくままに進んだ結果、思いがけない地点にたどり着くこともある。今回登壇する深川正英氏はまさに後者。プロダクトデザインからはじまり数々の「なりゆき」によって、現在のクリエイティブ・コンサルタントに至った長い道のりを語った。

深川正英氏

「なりゆき」にまかせて人生最初のカーブを曲がる。

「クリエイターって信念を持って、つき進む人が多いと思うんです。自分もそのつもりでしたが、振り返るとなりゆきによって今があると気づいた」。そう語る深川正英氏。現在はフリーランスのクリエイティブ・コンサルタントとして活動する。その内容はWeb、映像、プロダクト、グラフィックなどのデザイン全般から、Web / IT関連業務の立ち上げやアイデアソンのファシリテーション、クリエイティブによる地域活性化のサポートに、クリエイターコミュニティの運用アドバイスやオープンイノベーションまで、列挙するだけでその多彩さがうかがえる。

幼少期に出会ったアニメ『機動戦士ガンダム』がすべてを変える。ロボットやメカが好きだった深川少年は夢中になり、番組のクレジットに「メカニック・デザイナー」という名称を発見する。「ロボットのデザインをする」そんな楽しい仕事があることに心踊った。デザインへの憧れが芽生えた瞬間だった。

中学、高校と進むうち、プロダクトデザインという世界があると知り、「一日も早く実践の場に出たかった」深川氏は専門学校へ。ここでこのあと幾度も遭遇することとなる、第一の「なりゆきポイント」が訪れた。まわりが就職活動に集中する2年時の夏、「ふつうに就職すること」に疑問を抱える姿を見かねた先生に白井デザイン研究所のインターン先を紹介される。同事務所に入社し、デザイナーとしての一歩を踏み出すも、現実にはレベルの高さに愕然とし、焦燥感が募る日々だった。

2年目を迎えた頃、再び「なりゆきポイント」が襲来。Macintoshの導入だ。DTPという言葉すら浸透する前、雑誌を読み、販売代理店の人にアドバイスをもらいながら学ぶうち、これは自分の武器になるとハマっていった。さらにはコンピューターを主体とした仕事がしたくなり、3年半勤めた事務所を退社する。

時代の先端から先端へ。
新しいクリエイティブへ独学で飛び込む。

その後、ゲーム制作会社へ入社。ゲーム業界も黎明期であり、面接した部長も20代後半という若さ。プロダクトデザインの世界からの転身を面白がって採用された。当時はまだドッド画が全盛期で「麻雀牌だけを半年かけて描いたりしてました(笑)」。2年が過ぎた頃、再び、なりゆきポイント襲来。先の部長が独立し、ゲームに関するグラフィック専門の会社を立ち上げるにあたり、深川氏に声がかかったのだ。ここで5年ほどゲーム制作に携わる。

その後、友人とまだ材木屋や欄間屋などかつての風情が残る南船場に、事務所「studio SEED」を構えた。それが1997年のこと。メインとなるのはWebとモーショングラフィック。ネット普及以前から興味を持ち、独学でHTMLをタグ打ちして個人的にサイトをつくっていた深川氏。 そのうち企業が自前のサイトを持つ時代となり、実績が次々と仕事を生む。「それはもう、わらしべ長者のごとく(笑)」

同時期にクラブでDJがまわす音楽に合わせ映像を流す「VJ」にも興味を持つ。今やクラブイベントにVJは欠かせない存在だが、当時は活動する人もわずか、まず情報がない。使用する機材や素材づくりなど、わからないことだらけの中これまたも独学で制作にのめり込む。

そういった活動がいつしか目に止まり、ビジネスショーで流す映像制作の依頼が舞い込む。これもWeb制作同様、仕事が次の仕事を呼びこむ形に。当時制作したモーショングラフィック映像を流しつつ、「純粋にクリエイターとしてノッていた時期」と振り返った。

松原タニシさんのTシャツを着用する深川氏
後述の「OKOWA」グッズとしてつくられた松原タニシさんのTシャツ。得意のドット絵で描かれている。

クリエイターのコミュニティづくり。
それは今に至る20年間の原点。

「VJ活動していると映像制作に携わる人が集まってきて。当時ショートムービー制作も流行りかけており、映像以外もつくれるのではと考えるようになり、コミュニティづくりをはじめたんです」。それがMPP(Movin’ Picture Project)。SNSもない時代、リアルに集まり情報交換をする飲み会を実施し、ネット上でショートムービーを公開するサイトを作成、集まった作品の上映イベントも開催した。

「MPPはあくまで個人の活動。次はビジネスとして還元するしくみをつくりたかった」。まずは場をつくろう。コラボが自然と生まれるようなシェアオフィスを開設し、通称バビルと呼ばれたビルの6階から「バビル6」と名づけた。コワーキングスぺースの先駆けだ。

同時に新しい組織の形として日本初のLLPを設立。これも大きな「なりゆきポイント」。MPPのメンバーから連絡があり、深川氏が構想する形態が日本でも可能になると聞く。「もともとイギリス発祥のLLPは、フリーで活動する人たちが組織で動くのにとても優れた形態だと聞き、ぜひやりたいと」。申請雛形もない状態から書類を作成し、2005年8月、クリエイターのための日本第1号LLPと認可される。今から20年近くも前に、コワーキングスぺースとLLPという、今につながるクリエイターにとって理想の形をつくり上げたわけだ。

そうするうちにWeb制作のセミナーのイベント団体「CSS Nite」より、大阪での運営を任された深川氏。今度はディレクターとしてセミナーに没頭していく。ライフワークであるクリエイターコミュニティの創造も並行して始動した「まにまにプロジェクト」や、その後の「サクサクプロジェクト」と、時代に合わせて多様性を増し、可能性を広げていった。

当日の資料より
「バビル6プロジェクト」の概念図。「MPP」から現在に至るまで、めざすはクリエイターによるコミュニティの実現。

自分の最終的なゴールはコミュニティのネットワークづくり。

映像制作だけでなく、さらにその先へ。深川氏がライブストリーミングに興味を向けはじめた頃、また転機が訪れる。映像制作会社ちゅるんカンパニーに誘われて移籍し、2015年にはライブ配信番組「おちゅーんLive」がYouTube Liveとニコニコ生放送にてスタート。「内容はサブカルメインで、自分たちが若い頃に深夜番組で放送していたようなノリ。その時知り合ったのが、“事故物件住みます芸人”松原タニシさんでした」。この出会いから生まれたのが2018年スタートの「OKOWA」だ。怖い話=怪談に限定せず、「今、最も恐い話を語る者」をトーナメント形式で決める。ここでは企画・運営から配信の管理、SNSの運用、グッズのテザインまで手がけた。

「OKOWA」キャプチャ
実験的な内容に挑戦した「おちゅーんLive」は毎週土曜に配信され、2022年まで続いた人気番組。この出会いから生まれたのが「今、最も恐い話を語る者」をトーナメント形式で決める「OKOWA」

そして2020年5月、大きな転機が訪れた。脳出血による左半身麻痺状態へ。「これもある意味、なりゆき」と前置きしつつ、リハビリ生活を経て今まで気づかなかったことが見えるようになったと語る。障がいを抱える人たちと接することが増え、以前より前向きになり、同時に人生の残り時間を意識するように。

「今コミュニティは細分化され、数多く存在します。しかしそれぞれが繋がっておらず、悩みや解決策の共有がままならない。それができるネットワークをつくりたい。最終的なゴールはそこかなと考えています」

自分の人生を「あっち行ったりこっち行ったり、流されるままにきた」と振り返る。そのぶん途切れなくいろんなことが続いてきており、無駄なものは何ひとつなかったとも。深川氏は常に未開拓のジャンルに「純粋に」興味を持って「独学」で楽しみながらスキルを身につけ発信している。それに時代が追いつき、仕事につながる、その連続。なりゆきといいながら、それを引き寄せているのは、まぎれもなく深川氏自身なのだ。

「クリエイティブサロン Vol.269 深川正英氏」会場

イベント概要

成り行きだからこそ無駄なことが一つも無く全てが繋がっている
クリエイティブサロン Vol.269 深川正英氏

プロダクトデザイナーになった原点から、ゲーム・Web・映像業界を経て、ジャンルを越えたコミュニティ同士を繋げることを指針に、クリエイティブ関連のコンサルティングを生業とする今にいたるまでを、以下のトピックでお話ししたいと思います。

  • プロダクトデザイナーへの原点は「ガンダム」
  • Macintoshとの出会いからゲーム業界へ
  • 当時最先端のWebとVJでフリーランスになる
  • 最初のクリエイターコミュニティ「MPP」
  • コワーキング的スペースと日本初のLLP
  • クリエイター向けセミナーイベントにどっぷり
  • 映像制作会社へ移籍しネット番組立ち上げ
  • クリエイターコミュニティと地域活性化と怖い話
  • コロナ禍に身体障害者となり「残り時間」を意識
  • 再びフリーランスとして自身の経験を活かす活動へ

開催日:

深川正英氏(ふかがわ まさひで)

デザイナー / プロデューサー

プロダクトデザインやゲーム制作を経験した後、1997年にフリーランスとなり、Webや映像などの企画・制作を行いつつ、講師やイベントの企画・運営をう。2005年、クリエイターのための日本初のLLP(有限責任事業組合)を設立。2010年、クリエイター向けイベントを企画・運営する合同会社を共同で設立し、Webプランナー兼ディレクターとして活動。2014年、映像制作会社に移籍し、ネット番組の配信と運用を担当しつつ、幅広いクリエイターの繋がりを活かしたプロジェクトの中核として活動。現在はジャンルを越えた繋がりを生み出すことを基本方針に、クリエイティブ関連のコンサルティングを生業としている。

https://www.mebic.com/cluster/fukagawa-masahide.html

深川正英氏

公開:
取材・文:町田佳子氏

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。