アートとデザインに境界はない。すべてが“絵描き”の仕事だと気づいた。
クリエイティブサロン Vol.238 北窓優太氏

「窓アカリ商店」なる屋号で、40歳を機に独立して1年半。絵描き、グラフィックデザイナーという2つの領域を自在に行き来しつつ、スケールの大きな仕事を次々と手がける北窓優太さん。仕事としてデザインをすることと、表現者として自分の世界観を追求することは、果たして両立するのか? そんな悩みやジレンマを抱えるクリエイターにとって、多くの示唆を含むトークとなった。

北窓優太氏

188で学んだ、アートと仕事に境界線を引かない仕事術。

北窓さんが独立前まで在籍していたのは、大阪・千日前にある株式会社一八八。舞台芸術やイベントのグラフィックを数多く手がけるデザイン事務所で、コピーライターの村上美香さん、絵師でアートディレクターの東學さんらが活躍し、仕事に対してはストイックながらも、家族のようにあたたかで居心地の良い会社だったという。8年という長きにわたる同社での経験が、北窓さんの絵描きでありデザイナーでもある、現在のスタンスを決定付けることになった。

「僕はそれまで、アートと仕事は違うっていわれてきたし、それがあたりまえだという世界で生きてきました。本当にそうかな?と思いながらも、やはり別物だと。ところが188に入社してみると、學さんは昼間はデザインの仕事をして、夜は自分の絵を描くことをルーティーンにしていて、描いたものが仕事に生かされることもあり、両者が地続きでつながっていた。一方、美香さんは2011年から、マチへの想いを表現する展覧会『my home town わたしのマチオモイ帖』をスタート。そして、会社もそんな2人の活動を全面的にバックアップしている。アートと仕事をイコールにしようとしている先輩たちに出会って、救われた思いがしましたね」

そんな先駆者たちの背中を追い、昼はデザイン、夜は自分の表現を模索する日々を送る。188時代から現在も、イベントのキーヴィジュアルを手がける機会が多いという北窓さんの作品は、スケール感があって、ダイナミック。スクリーンには躍動感あふれる楽しげな人々や街、動物たちが次々と映し出され、参加者たちを魅了した。

「キーヴィジュアルというのは、0から1を生み出す作業だと思います。イベントというのは、まず想いだけがあり、具体的に何をするか定まっていない段階からスタートすることが多い。つまり、関わる人たちの気持ちをひとつにし、完成に向かって進んでいくためのシンボルであり、指針になっていくものがキーヴィジュアルだと思っています」

最近ではオリジナル作品を見て「このタッチで」と依頼されることも増え、「自分がつくったものが街を彩っていくのは、本当にやりがいを感じる瞬間」だという。まさに順風満帆なクリエイター人生に思われたが、土台には自身の出自を見つめ、悲しみや怒りを乗り越えてきた青春の日々があった。

「TWBC2022」のキーヴィジュアル&デザイン
理美容の総合メーカー・タカラベルモントが主催する「TWBC2022」のキーヴィジュアル&デザインは、独立後の近作。理美容師のクリエイティビティを刺激する体験型イベントで、「WHAT IS BEAUTIFUL?」がコンセプト。会場がある横浜の街を背景に、多面体やプリズムの輝きで、「多様な美しさの未来」を表現した。インタラクティブミラーなど、同社の新たな提案もイラストに盛り込んでいる。

生と死のごった煮スープのような街で、再び絵を描きはじめた。

北窓さんが生まれ育ったのは、大阪府北部にある自然豊かな集落。幼少期から絵は好きだったが、ずっと描き続けてきたわけではなかったという。小学5年生から中学3年生まではバスケにのめり込み、高校卒業後はバンド活動に熱中。再び絵を描きはじめるきっかけとなったのは、バンド脱退後に仲間3人と出掛けた、インド、ネパール、チベットなどをめぐる3ヶ月ほどの旅だった。カースト制の名残がまだまだ色濃かった時代で、この旅は若き北窓さんにさまざまなことを考えさせた。

「インドからネパールへ向かう国境にある、スノウリという町で、友人の1人が血を吐いて倒れちゃったんです。野犬に追われたりしながら、やっとの思いで病院へ連れて行ったのですが、付き添っていた僕らも胃痛と高熱でダウン。殺伐としたその街に思いのほか、長く滞在せざるをえなくなってしまった。そこで、救いを求めるかのように、スケッチブックに絵を描きはじめたんです」

回復後、旅の途上で仲間といったん別れ、最も心惹かれたヴァラナシの町でしばらく絵を描いて暮らすことに。

「ガート(沐浴場)とガンジス川を挟んだ向こう岸は、世界の果てのようにさみしい景色で、無数の死体が打ち上げられていました。上半身だけがミイラになった遺体を、犬が食べていたり……。そんなおどろおどろしい場所で、小さな女の子が手づくりのフラワーキャンドルを売っていた。なんともいえない非現実的な光景で、いまも忘れられずにいます。生きること死ぬこと、言葉にならない美しさ。そんな何かを、自分の絵で表現していきたい、と初めて思った瞬間でした」

帰国後、北窓さんは出国前に頼まれて描いた、かつて在籍していたインディーズバンドのCDの絵が無断で改変され、タワーレコードの売り場に並んでいるのを発見する。「自分の絵がタワレコに並んでいるうれしさと、勝手にいじられた悔しさ」がいりまじり、形容しがたい複雑な気持ちに。この経験がだめ押しとなり、「絵描きになろう」と決心した北窓さんは、1年間アルバイトに明け暮れてお金を貯め、24歳で大阪デザイナー専門学校に入学する。

『ナナフシのからだ どうしてながいの?』
初めての絵本の仕事、『ナナフシのからだ どうしてながいの?』(文一総合出版)。自然豊かな環境で生まれ育ったがゆえの、昆虫、動物、植物好きを広言していたところ、不思議と縁がつながったという。最初は昆虫のみを描く予定だったが、「子どもたちが森に繰り出すきっかけとなってほしい」というテーマを受け、絵のなかに子どもたち自身を登場させることを提案。身体が昆虫サイズに小さくなり、ミクロの世界で冒険するという「もうひとつの物語」を絵に込めた。

自分の原風景である、“安心な場所”を追い求めて。

専門学校で最も印象深いのは、「自分の原風景を見つける」という授業で、このときの体験が現在も創作の指針に。

「僕が生まれ育ったのは、古くから被差別部落といわれる地域。貧しさのスパイラルみたいなものが、現代においても、暮らしに影を落としていました。でも、子どもだった自分にとっては大人たちは団結力があってたくましく見えたし、虐げられた歴史からか、人と人の距離が近く、その内側はどこまでもあたたかな場所だった。その記憶こそが自分の原風景だと気づいて以降、“安心な場所”をテーマに、夜の灯りに集う人々を描くようになりました」

また、2014年に南アフリカ、ボツワナ、ジンバブエと旅をし、野生の生き物を目の当たりにしたことも、その後、生きとし生けるものを描くうえでの大きな転機となる。さらに、この旅でアパルトヘイトで迫害されてきた黒人たちが多く暮らす、ソウェトという小さな町の教会を訪れたことも忘れられないという。

「黒人のおっちゃんおばちゃんの大合唱が自然とはじまり、そのパワーに圧倒されて、涙が止まらなくなったんです。それは差別が色濃く残る時代をがんばって生き抜いてきた、故郷のおっちゃんおばちゃんたちの姿と自然に重なったから。そのときに、僕はずっと、なんの非もない人を虐げる社会の理不尽さに腹が立っていたんだ、ということに気づきました。だから、その反動のように、誰にも侵されることのない、いろんな人種の人や多様な動植物が共存できる安心な場所、を描きたかったのかなと」

そして、この旅で吸収したことが自身のなかで消化された2018年頃から次第に絵が明るくなり、オリジナルの作品が仕事につながるようになっていく。

「それまでは内にこもることが多かったんですけど、この頃から、気持ちがなんとなく外へ向くように。タッチも少しずつ変化しつつあり、僕の精神世界とともに、今後も変わっていくのだろうと思います」

「BOTA FES」
大阪府池田市細河エリアの植木産業に再び光をあてるべく、“植物”をテーマにしたイベント「BOTAFES」を仲間たちと企画し、2019年より、3年連続で主催。188で「マチオモイ帖」の活動を手伝ううちに、地元に対して何かできることはないかと思いめぐらすようになったことが、アクションを起こすきっかけに。運営はもちろん、キーヴィジュアルやエリアごとのアイコンイラストなど、すべてのグラフィックを担当。地元にたくさんの人を呼び、子どもたちを笑顔にすることができた。

作品の背景にある、人間味あふれる人柄と生きざま。

188に入社する以前には、難病に罹った妻に寄り添うため、残業が多く不規則なデザインの最前線からはいったん距離を置き、スーツ姿で向いていないクレーム対応などに追われる「暗黒時代」も経験したという北窓さん。「苦労人」という言葉ではまとめきれない半生であるが、良き仲間、良きパートナー、そして良き先輩に恵まれたことで、生き方も、絵も変わっていった。

さらに、悲しみや怒りを創作の種として昇華させていくことが、結果的に自分を生かすことにもつながっていったのである。そして、屋号の「窓アカリ商店」に込めた、「皆がシャッターを閉めた真夜中の商店街で、ポツンと灯る窓アカリのように」あたたかな場所は、いまはさまざまな媒体で多くの人の心を憩わせている。

「今後も、仕事とアートをイコールにするような方向で頑張っていきたい。いまはその狭間にいると思う。ですが、オリジナルのタッチじゃないと気に入っていないわけではなく、すべて気に入っているんです。境界線がもはや自分のなかでなくなりつつあるというか。學さんから学んだように、絵を描くことはもちろん、アートディレクションもデザインも、すべて描く、という意味では絵描きの仕事なんだと、いまは思っていますね」

一般的に、このようなトークライブではなるべく華やかで、カッコいい部分だけを見せたいと思うもの。しかし、ネガティブな部分もありのままに晒け出し、飾らない生身の生きざまそのものを見せてくれた、その潔さ、人間性が参加者たちの心を強く揺さぶった2時間だった。

イベント風景

イベント概要

イラストとデザインのグラデーションを歩いてきた足跡のおはなし
クリエイティブサロン Vol.238 北窓優太氏

絵を描くおしごとをめざしていましたが、就職先がデザイン会社しかないと言われて半ば嫌々飛び込んだデザイン業界。しかし、さまざまな人々やおしごとに出会う中で「字も絵、デザインも絵、世の中にあるほとんどはえがくことでできている」ということを知りました。そんな僕の気づきのおはなしやイラストとデザインを両立するようになったおはなし、たずさわってきたおしごとのおはなしや、クリエイターになるまでに歩いてきた足跡のおはなしなど、させていただきたいと思います。

開催日:

北窓優太氏(きたまど ゆうた)

窓アカリ商店
イラストレーター / グラフィックデザイナー

1982年大阪・池田市生まれ、豊中市在住。植木の郷に生まれ育ち、植物や昆虫やさまざまな生き物たちに囲まれて幼少期を過ごす。高校卒業後、3年間バンド活動に勤しむ。脱退後、仲間とともにアジア各国を放浪する中で絵描きの道を志す。帰国後、大阪デザイナー専門学校へ入学・卒業。スポーツ系デザイン会社、企業での広報、株式会社188にてさまざまなアートワークを経験。2014年アフリカで野生動物たちに出会う。2021年独立。イラストを中心に、グラフィック・写真加工など、枠にはまらない「ビジュアルづくり」を得意とするクリエイター。

http://www.madonoyuube.com/

北窓優太氏

公開:
取材・文:野崎泉氏(underson

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。