自分のデザインには物理学の学びが息づいている
クリエイティブサロン Vol.280 村田智明氏

長らくプロダクトデザイナーとして活躍し、オムロンの血圧計やMicrosoftのXbox360の筐体デザインなど、誰もが知るプロダクトデザインを手掛けているのが、株式会社ハーズ実験デザイン研究所の代表取締役を務める村田智明氏だ。今回は、国内だけではなく世界を舞台に活動する村田氏が、原点とも言える幼少期や学生時代などの話に加え、今後の展開などについて語った。

村田智明氏

応用物理の研究よりも美術部の活動に没頭

村田氏の出身は鳥取県境港市で、両親の仕事の都合で東京都多摩市へ転居した。当時は多摩ニュータウンが誕生する前で、遊び場はもっぱら自然豊かな小川や田んぼだった。そして小学3年生の時、父の仕事の関係で大阪に転居する。

「子どもの頃は絵を描くのが大好きな子どもでしたが、貧乏でペンや画用紙は買ってもらえなかったんです。すると父親は、仕事場だった建築現場から黒板とチョークを持って帰ってきてくれて、それを使ってずっと絵を描いてました」

そんなある日、両親がピアノやそろばん、お絵かきなどの習いごとの中から、ひとつを選んで通わせてくれるという機会が訪れた。

「どれを習いたいか聞かれて選んだのがお絵かき教室。通い始めると、台風直撃で誰もが休みと思う時もひとりで教室まで行き、開かない扉の前に立って待っていたほど大好きでした」

成長するにつれ、描いた絵がリアルな建物になる建築に興味を持つようになり、大学では建築が学びたいと考えて第一希望を建築、第二希望を応用物理としたが、入試結果は第二希望での合格となった。大学入学後は、応用物理を学ぶ傍ら美術部に入部し、学年が上がれば部長になるほど絵を描くことに没頭していた。

「実は建築を学ぶことを諦めきれず、2年生の時に転部しようとしましたが叶わずで……。その結果、3年生以降は応用物理の研究よりも美術部の活動が優先になりました」

血圧計スポットアーム HEM-1000(オムロン ヘルスケア株式会社 2004) Good Design Award 2004受賞

一度は辞退したが、再面接の連絡を受けて入社

就職活動では「絵を描く仕事=デザイン」と考え、家電メーカーへの就職をめざし、面接を受けることに。

「技術研究関連の社員採用の面接に行って『デザインをやりたいです』と言ったら、怪訝な顔をされましたね(笑)。美大や芸大でデザインを学んでいない技術系社員をデザインの部署では採用していないと言われましたが、後日、美大や芸大出身の内定者を集めた研修に参加できることになったんです。きっと諦めさせようとしたんでしょうね」

嬉々として参加した研修の最初の課題は『名前を明朝体で書いてください』というものだった。

「みんなスラスラと進める中、私の質問は『明朝体って何ですか?』というもの。さすがに研修担当の方も驚いていました。『明朝体知らないの?』って(笑)」

結果的に技術系の学生はデザインの部署での採用実績がなく技術研究職なら内定と言われたが、村田氏は内定を辞退。しかしながら後日、同じ家電メーカーから再度面接の連絡があって面接の結果、デザイナーとして入社が決まった。だが入社後はプロダクトデザインなどに携わる傍ら、自宅の近所に事務所を借りて素材開発やデザインなどの副業に取り組んでいた。

「副業の収入が会社員の給料と同額になったら、会社を退職して独立しようと思っていました。結果、4年半ほどで独立することになり、設立したのがハーズ実験デザイン研究所です」

村田智明氏の作品
ステップツール ルカーノ(METAPHYS + 長谷川工業株式会社 2009)

自身の原点は幼少期に感じた自然の風景や音

独立当初は喫茶店のメニュー表のような価格表を作り、どんな仕事も断らなかった、と村田氏。

「独立直後から大手企業からの依頼も多かったのですが、それは金額的に安価だったのが大きな理由でした。でもある時、『自分がやりたいデザインの仕事ってこれなのか?』と考えたんです。そして導き出した答えが『自分たちで家電ブランドを作る』で、誕生したのが『METAPHYS』です」

安定した経営につながる従来の仕事から、安定性は皆無だが『自分がやりたいことをやる』仕事へ舵を切る挑戦が、2015年のミラノサローネ サテリテへの出展につながった。

「展示した電子ろうそくと人造大理石を用いたプランターがとても好評でした。この経験が、自身にとっての大きな転換点になりました」

しかし、当時に比べると今の自分はコンサバティブになっているという。昔はやりたい仕事、作りたいものがあれば、それを形にすることに必死だったのに、今は経営や周囲へのネガティブな影響を考えてしまっている、と。

「私の原点は、子どもの頃に自然の中を駆け回っていた時の風の音や自然の風景にあります。最近は山登りをしますが、山で自然に囲まれる時間を過ごしていると、今の自分になくて昔の自分にあったものを感じるんですよ」

今後は、アートとデザインの間を攻めてみようと考えている、と村田氏。

「近年、アートとデザインの違いを聞かれることが増えていて、自分の中ではあまり差がないつもりなのですが、同時にうまくバランスをとらないと豊かなものは生み出せないと認識しています」

イベント風景

物理学の学びが物事の真理探求に役立っている

最後は、ボールを投げて受け取ったオーディエンスが質問するというルールで質疑応答がスタート。中には会社員時代の同僚による当時のエピソード話なども交えつつ、賑やかに質疑応答が進んでいった。

例えば、「豊かさとは何か?」という質問に対しては、自身が長らく日本デザイン振興会Gマークの審査員を務めていた経験などを踏まえ「今の日本社会は社会性や安全性、SDGsが優先され、美しさの探求が後回しになっているように思います。それは寂しいことですし、真の豊かさの優先順位が下がりつつあるように思います」と回答。

また、「絵が上手じゃないとデザイナーになれないのでしょうか?」という質問には、デザイナーは決して絵が上手である必要はないと答えるとともに、「私自身は物理を学んだことが今の仕事に役立っています。『物理』は『もののことわり』と書きますが、『真理』を追究する方法論や意義、構造などの本質や根本を見ようとしたり、考えるようにしています。これは大学時代に応用物理を学んだから身についたことだと思います」と答えていた。

ほかにもプロジェクトの進め方をはじめ、チームビルディングや営業活動に対する考え方、さらにはポストヒューマン理論に至るまで、ボールを受け取ったオーディエンスからの質問に対してユーモアを交えながら答える村田氏の言葉からは、改めてクリエイターとして生きていく上で、物事の『真理』を考え続ける大切さを再認識するサロンとなった。

イベント風景

イベント概要

物理からデザインへ 村田智明の奮闘記
クリエイティブサロン Vol.280 村田智明氏

今年度第1回目のクリエイティブサロンは、村田智明さんをゲストにお招きして開催します。大学では応用物理学を専攻していたものの、デザインに憧れてドロップアウト。デザイン教育を受けることなく、卒業後は家電メーカーに就職し、デザインと格闘する日々を過ごした後、プロダクトデザイナーとして独立された村田さん。現在は、オリジナルブランド「METAPHYS(メタフィス)」も立ち上げるなど、国内だけではなく世界を舞台に活動されています。今回のサロンでは、村田さんのデザイナーとしての黎明期についてお伺いしながら、参加者のみなさんと情報交換ができればと思います。

開催日:

村田智明氏(むらた ちあき)

株式会社ハーズ実験デザイン研究所 / METAPHYS 代表取締役

大阪市立大学工学部応用物理学科卒。1986年ハーズ実験デザイン研究所を設立。現在はデザイン思考から企画開発をサポートするデザインシンクタンクとして活動。提唱する「行為のデザイン思考法」や「感性価値ヘキサゴングラフ」などがワークショップツールとして広く活用されている。プロダクトを中心に国内外のデザインアワードで200点以上を受賞。
大阪公立大学 研究推進機構 協創研究センター イノベーション教育研究所 客員教授

https://www.hers.co.jp/

村田智明氏

公開:
取材・文:中直照氏(株式会社ショートカプチーノ

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。