すべてにおいて全力投球! 駆け抜けた25年の歩み。
クリエイティブサロン Vol.251 GODTAIL氏

アメコミ風のイラストやゲームのキャラクターデザイン、さらにはロゴデザイン、漫画やムービー制作まで幅広く活躍するGODTAIL氏。大阪を拠点に25年にわたるキャリアを築いた同氏が、門外不出の貴重なコンテンツを惜しげもなく披露しつつ、これまでの軌跡を語った。

はじまりはチラシ裏の落書き。褒められて、描き続けた。

躍動感溢れるアメコミ風の精緻な画力、温度感まで伝わってきそうなエネルギッシュな作風で見るものを圧倒する、イラストレーターGODTAIL氏。ルーツをたどれば、例にもれず「絵を描くのが好きな少年」だった。幼少期を思い返し浮かぶのは、祖母と一緒に店番していたよろず屋の景色。チラシの裏に絵を描くと「上手いね、上手いね」と褒めてくれる祖母。それが嬉しくて何枚も描く。気がつけば小・中学校ではクラスに必ずいた「絵が上手い奴」に。「カリカチュアした似顔絵を描いては、笑いを取ってました」

絵を習いたいと願うも、親に「お金がかかるからダメと却下」され、それならと小1から通っていた書道教室で、授業後に墨絵を独自に描きはじめる。墨と筆で描く怪獣やマンガのキャラクター。「今でも黒の線で描くのはその名残り」。ちなみに書道はその後も続け、師範の免状も取得。最近も人気漫画のゲーム化の際に、キャラクターを躍動感溢れる墨絵で表現している。

そんなGODTAIL氏に、いよいよ進路を決める時期がきた。親からの「絵では食えない」が刷り込まれており、絵の道に進もうとは思わなかったという。「高校時代、引っ越し屋のバイトをしており、結構優秀で正社員になれと言われて。自分もその気になってた」。ある日、親友に頼まれて絵を描いたところ、「なんで絵の道に進まないの?と言われて。いけそうって聞いたら、いける、いけると」。そこで賭けに出た。大阪芸術大学の推薦枠で受験。だが不合格、ここで一念奮起、翌年1月に一般入試で合格する。「今思えば、ここが運命の分かれ道でしたね」

高校生時代のデッサン
高3の時に入試用に描いたデッサン。教師からはこれでは絶対に受からないとダメ出しされた

ひとり黙々と練習を重ねたゲーム会社での下積み時代。

ちなみに大学はデザインでも絵画でもなく、映像学科。今のデッサン力では合格しないと指摘されたからだ。映像学科は絵コンテの試験なので、得意のマンガを描けばOKとの目論見は成功する。そうして入った大学では麻雀、パチンコ、バイト三昧。就職の時期を迎え、TV制作会社ばかり受けるも全滅した。方針を変えてゲーム会社のプランナーをめざし、関西を代表する老舗ゲーム会社に就職が決まる。「デッサンをやってないのでデザイナーでは入れない。大学受験の時と同じです。でもプランナーなら企画もできるし、絵も描けるかもと思って」

会社では3年間、いちばんの下っ端。「ずっと掃除とシュレッダー担当だったんですが、これをやっていると捨てられる先輩の絵が手に入る。上手いなと思う絵を抜き、まとめて教科書にして。仕事が終わってからも、毎日ひたすら絵を描いていました」。それを見ていた先輩がようやく認めてくれた。新キャラのデザインもさせてもらえるようになり、現在につながる強烈なキャラクターを日々生み出すように。「格闘ゲームなのに採用しにくい、下らないキャラばかり考えていました(笑)」

同じ頃、戎橋の路上で多くのアーティストが作品を販売しており、GODTAIL氏も仕事帰りに自作を展示する。オリジナル作品は見向きもされないが、意外と売れたのが似顔絵。その時、売れるということに客観的に考えた。「この経験がなかったら、自我をゴリ押しするタイプになっていたかも。自分が描きたいものが売れるためには、今はとにかく会社の力を使って有名になる必要があると思いました」

作例
下積み時代、先輩の絵をお手本に毎晩、絵の練習を重ねた。キャラクターの造形だけでなく設定も細かくつくり込み、いつか採用される日を夢見ていた

目標を一直線でめざすのもいいが、脇道や違う道からもいける。

時は流れ、会社のドル箱であった格闘ゲームも下火に。並行するようにパチンコ・パチスロが流行りはじめ、会社もそちらに参入することになった。パチンコは現在こそ有名作品とのコラボが多いが、当時はオリジナルがメイン。このタイミングでチームのトップとなったGODTAIL氏、「勝負はここだ」と考えた。25歳のことだった。

「これで一旗揚げる」と寝ずに取り組んだ渾身の作。これまでにない物語性を持った画期的な作品で評判もよかったが、運悪く完成前に会社が倒産。その後、紆余曲折あって再生した古巣によりパチスロとして発表され、大ヒットを記録する。しかし制作者として名前は出ず、悔しい思いだけが残った。だがヒット作を生み出したことで、自分の方向性は間違っていなかったと確信する。

その後、パチンコ・パチスロでは次々とヒット作をつくるが、この時代にいろんなことを学んだと振り返る。当時、使用できる色はわずか16色、限界があるなかでの配色や色の表現法を研ぎ澄ましていく。「アニメーションに関しても3D以前なので、回転するシーンはスライドさせて多重スクロールさせるなど見せ方も考えました」

その頃はAfter Effects発売以前で、DirectorとPremiereというソフトを駆使して絵を描き、音声やBGMも自分で入力していた。企画からキャラクターデザイン、映像制作までひとりでつくりあげる。そんな人は自分だけだった。「当時は1チーム4~5人だったので、全部やるしかなかったんです」。気がつけば印刷もパチンコ台のパネルの版づくりから、白打ち、銀打ち、縮みまできるようになっていた。

思えば映像学科にゲームプランナーと、イラストレーターになるには少し遠回りしたようにも見えるが、それらの経験は大きな武器となっている。「目標を一直線でめざすのは、もちろん素晴らしいこと。ただ違う場所からも進むやりかたがあることも知ってほしい」

原宿で開催した個展
昨年開催された個展の様子。会場には特殊な印刷を施した作品が並び、GODTAIL氏の個性が炸裂している。

ダメでもふて腐れずに、次に進むための糧とする。

話を進めながら、未発表作品のお宝を惜しげもなく見せていくGODTAIL氏。壮大な世界観のなか独特のキャラクターが自由に遊ぶ。「これらの作品は自分の集大成、好きなものをつめ込んでいます。訳あって世には出ていませんが、クライアントには見せており、それが次の仕事につながっている」。ある作品などはパチンコ・パチスロで流れるだけなのに、5分もの長尺。制作には2年間もかけた。こんなの好きでないと絶対につくれない。

この頃からアメコミ風のマッチョマンや黒人を描きはじめる。当時、これらのイラストを手がける人はいなかった。MdN編集部の目に止まって作品が誌面に掲載され、一般の人にも知られるように。自分では営業しないとGODTAIL氏は言う。まわりの熱烈なファンが人に伝えたり、あるいは当人が企業の要職に就くようになって仕事が増えていった。「努力を続けていれば、必ず見てくれている人はいる。挫けることは多くても、今やっていることはけっして無駄にならない」。それは自分にも言い聞かせている言葉。

会社に在籍しながら、企業から仕事の依頼も舞い込むようになり、2017年にフリーランスとなる。「やるだけやってダメならしょうがない」という考え方。だから、すべてにおいて全力投球のスタンスを貫く。気がつけば幼少期に描いたカリカチュアした似顔絵、墨絵、ゲーム会社でのキャラクター造形、映像制作や印刷技法、すべてが武器になっていた。

昨年、原宿で個展を開催。ここでは印刷にもこだわった。「ぼくはデジタルイラストレーターだから、印刷してふつうに額装して売っても面白くない。そこで気合いを入れ、持ちうる人脈を総動員して鉄板印刷にしました。自分の絵柄とこの表現法は相性が良くて。鉄に印刷しているので線が浮いていて触れられます」。2月にも個展が決まり、また上海でのグループ展への誘いも受けた。本気でやると誰かが見てくれている。その連鎖は世界へ広がろうとしている。

イベント風景

イベント概要

生き残るための25年
クリエイティブサロン Vol.251 GODTAIL氏

大学入学からゲーム会社に入社、そこで得た下積みと経験。天才じゃない人間(自分)の這い上がり方。そしてゲーム会社からパチンコ・パチスロ業界へ。パチンコ・パチスロで得た知識・技術・業界関係者との人脈。そして、共同経営から独立するまで。これまで25年間、大阪を拠点に、クリエイティブ業界で生き残ってきたその術を赤裸々に語ります。

開催日:

GODTAIL氏(ごっどている)

株式会社GODTAIL 代表取締役 / イラストレーター

主な業務はイラストやゲームのキャラデザ、ロゴデザイン、漫画、ムービー制作など。

代表作
・TBS「リンカーン」コンセプトアート
・NHK CM 乃木坂46「サッカーが見たい!」メンバーキャラデザイン
・au提供「ザックリTV」制作
・日清チキンラーメン「バターコーン」制作
・松任谷由実さん新曲「深海の街」PV アニメ制作
・ポケモンBDSPデザイン制作
・TVer Web用 CM
・TOYOTA「GAZOORACING」「羅斗薔薇」キャラクターデザイン
など多数

https://www.godtail.jp/

神尾智教氏

公開:
取材・文:町田佳子氏

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。