落ちこぼれがポジティブに数十年あがいたら、山に辿り着いた。
クリエイティブサロン Vol.178 溝手真一郎氏

178回⽬のクリエイティブサロンは、グラフィックデザイナーの溝⼿真⼀郎さんを招きお話を伺いました。今回のテーマは、「40歳。やっと⾒つけた僕なりの“挑む”」。

コンプレックスを抱え、何事にも後ろ向きだった少年が、「後ろ向きをやめて、前だけを⾒る様にしよう」と、決意。それから17年間がむしゃらに働き続け、ユニット「マウントグラフィックス」を⽴ち上げ独⽴。40歳を迎えた現在の⼼境を語ってくれました。

溝手真一郎氏

コンプレックスだらけの⾃分を変えるために

溝⼿さんは、1980年岡⼭市で誕⽣。外でよく遊ぶ腕⽩な⼦供だったが、その反⾯「貰い物の服を着ていること」や「両親の教育の影響で⼥の⼦と話すのが苦⼿」など、様々なコンプレックスを抱いていたという。⼩学校の頃、姉からプレゼントされた『ドラゴンボール』に衝撃を受け、漫画家になりたいという夢を抱くことになる。その後、岡⼭市内の進学校に進むも、コンプレックスは継続。⾃分に⾃信が持てず進路に悩んでいたところ、漫画家になるという夢には反対だったはずの⺟親に「絵を描くの好きやったじゃろう」とデザイン専⾨学校を勧められ、進学することになる。

専⾨学校に⼊学した溝⼿さんは、「これまでの⾃分を知る⼈はいない!」と、卑屈な⾃分を変えることを決意。学⽣⽣活ではたくさんのことに挑戦していった。来場者から、⾃分⾃⾝に変化があったと実感できたエピソードを聞かれ、「好きな⼥の⼦に気持ちを伝えられた時ですかね。本当に女の子と話すのが苦手でしたから」と、笑った。

独立、子供の頃の夢との再会。

2001年、岡⼭県内の広告代理店に⼊社するも、他の同期に瞬く間に差をつけられ落ちこぼれになったという。同期がデザイン業務に携われている中、先輩から頼まれるのはデザイン以外の雑用ばかり。「もしかして退職をほのめかされているのでは……」と、思うこともあったが、絶対に⾃分から「辞めると言わない」と⼼に決め、どんな雑⽤も全⼒でこなそうと下積みを重ねていった。ある⽇、営業トップの上司に、その根性を認められ、不夜城を築くスパルタチームに⼊ることになる。チームでの仕事は忙しく、会社に5⽇間泊りがけで働くことも。そして、与えられる仕事をがむしゃらにこなし続けるうちに、同期にも追いついていき、社内からの評価も上がっていった。

しかし、「会社のデスクに向かうだけではなく、もっと幅のある仕事をしたい」と、転職を決意し、2004年⼤阪の広告制作会社に⼊社。広告を中心にパンフレットや商品パッケージ、某有名出版物など、様々なデザインを手掛けていく。そして、デザインだけではなく、ディレクションなどの業務も増えていき、最終的にはデザイン部⾨のチーフまで勤めあげた。社会に出てから17年。「趣味は仕事ヤロウ」と⾃称するほど、仕事に没頭し続けた。

2018年、大阪の広告制作会社の同僚だった⾼⽊知佳さんと、マウントグラフィックスというユニットを結成。先達から、「独立したら、メビックに行くと良いよ」と、アドバイスを受け、メビックを訪れる。そこで、自分の好きなことを仕事につなげている、たくさんのクリエイターと出会い、会社の看板が外れたばかりの自分たちには個性がない……と、溝手さんは悩み始めた。しかし、縮こまってばかりいても仕方がないと、とにかく動きまわることに決め、SNSを始めたり、様々な場で人と出会ったりすることで、自らに刺激を与えていった。

マウントグラフィックスオリジナル製品

大きな刺激を受けたのが、メビックを通じたチャレンジ。最初にチャレンジしたのは、オリジナル商品を制作し販売することができる「クリエイターズショーケースvol.2」という企画で、マウントグラフィックスオリジナルのハンカチとがま口を制作した。

2つ目のチャレンジは「独立クリエイターの超プロデュース力アップ講座」。自分自身をどうプロデュースしていくのか学んでいった。そして、自分自身と課題を抱えた人物達をキャラクター化したイラストを用い、自身のプロデュース事業PRパンフレットを制作した。続けて参加した「クリエイターズショーケースvol.3」では、山をモチーフにした動物や虫などのイラストを用いて、ノートやキーケースなどを制作した。

こういった活動を続けていくうちに、絵を描くのが好きだった頃を思い出し、イラストを用いた仕事もしたいと思うようになった。実際に、少しずつではあるが、ここでの活動がイラストの仕事へも繋がっていった。

⼈との出会いが、次の挑戦に繋がっていく。

独立した溝手さんの、⼤きな転機になったのが、メビック主催のイタリア研修ツアー「プロジェッタツィオーネを学ぶ旅」だった。この旅は、クリエイティブな活動を通じて社会に貢献している⼈たちを訪ね、レクチャー、ワークショップ、交流を通して、創造的思考⼒を鍛えるというもの。デザイナー、絵本作家、教育者としても知られるブルーノ・ムナーリの愛弟⼦であるシルヴァーナ・スペラーティさんのワークショップでは、⾃然に囲まれた環境で、想像することや観察し深く掘り下げることの⼤切さを学んだ。

ここで溝手さんは、⾃然の中で遊んでいた幼少期を思い出し、想像する⾃由さを忘れていたことに気が付いたという。この旅で、⾃分⾃⾝の周りにある様々な「モノの本質」に⽬を向けるようになった。また、「⾃然が与えてくれるもの」にはあらゆる意味や豊かな情報が詰まっていると教えられた。

そして、仲間たちができたことも大きな収穫だった。サロンでも「僕は仲間に恵まれている」と繰り返し⼝にしていた。その後、溝⼿さんは、メビックのコーディネーターとしても活動していくこととなる。

イタリア研修ツアーの様子
「イタリアンデザインの本質、プロジェッタツィオーネを学ぶ旅」2019年3月実施

溝手さんの想いや、人とのつながりが、芽を結び形になっていった。溝手さんが、足繫く通っていた、⼤阪市都島区蕪村通り商店街の地域活性化イベント「ぶそん市」の主催者の方が、「イベントの趣旨や商店街を理解してくれている⼈に仕事を頼みたい」と、溝⼿さんを指名した。商店街に新たに設置される、レンタルスペースのネーミングやロゴデザインなどを手掛け、ぶそん市とレンタルスペースのHPデザインを担当した。

溝手さんがレンタルスペースに付けた、「arch(アルヒ)」という名前は、ギリシャ語で「はじまり、起源」を指している。また、英語ではアーチ(架け橋)と読み、出店者にとって「始まりの地」になるよう、また、訪れる⼈たちにとって「架け橋」のような存在になるように想いを込めた。独⽴から⼆年、様々な出会いを経て、溝⼿さんは、「⼈が⼈を豊かにしていく」のだと実感している。

「arch」ロゴ

2020年1⽉には、新事務所に移転。そのころ奮闘していたのが、メビックコラボレーション事例集のデザインだった。クリエイターや課題を抱えている企業に、メビックに興味を持ってもらうため、分かりやすく親しみやすいデザインを追求した。このコラボ事例集の制作を通じて、様々なクリエイターがクリエイティブの力で課題に挑んでいる姿を改めて目にすることで、与えられる仕事だけに全⼒投球してきた⾃分に、「喝」が⼊ったそうだ。そして、「私たちも仲間と共に、挑みたい」と強く思ったという。

そこで溝手さんは、自分自身とマウントグラフィックスの新たな挑戦への糸口として、山を訪れてみることにした。イタリア研修で体感した、刺激に溢れていて凝り固まった思考から解放してくれる場所である自然と、自分たちのユニット名マウントグラフィックスが結びついたからだ。ようやくワクワクする気持ちが自然と湧き上がる場所を見つけた気がした。最初に訪れたのは、奈良県香芝市の屯鶴峯(どんづるぼう)という、標高150メートルほどの白い石灰岩できた山。溝手さんは、この山を登りながら、「匂い」から幼い頃の記憶を思い出したり、自然の中のものに「触れる」ことで得られる情報の豊かさなどを実感したという。

「⼭というもう⼀つの事務所ができました。そこで、⾃分の中に眠っているかもしれない想像⼒を、⼦供の頃の無邪気さを取り戻しながら呼び起こそうと、実験的に⾏っています。すぐに何か成果が出るとは限りませんが、いつか⼭が与えてくれる恵みや知恵、そして僕の想像⼒・創造⼒が、⼈の、願わくば⼦供たちの、何か役にたてる⽇がくると嬉しいです」

イベント風景

イベント概要

40歳。やっと見つけた僕なりの“挑む”。
クリエイティブサロン Vol.178 溝手真一郎氏

超ズボラでめんどくさがりだった(あ……今もそうかな……)若造も、社会に出れば必死に働き、遅れを取り戻すべく先輩や上司に喰らいつき……あっという間に20年。
仕事ばかりに向き合う十数年から、自分にも向き合うことを始めた40手前。
自分がしたくて自分にできることは、いったい何なのか……探り探りの独立から2年。
「これまでの自分」を振り返りつつ、「これからの自分」について語ります。

開催日:2020年9月16日(水)

溝手真一郎氏(みぞて しんいちろう)

マウントグラフィックス
グラフィックデザイナー

1980年、岡山生まれ。デザイン専門学校卒業後、岡山の広告代理店に約3年勤め、大阪の広告制作会社へ転職。そこで14年、広告制作を主に、チーフ(9年)を務めつつ企画・デザインに携わる。2018年、40歳を目前に控えるもフリーランスになることを決意。現在、独立3年目。発注者・受注者という関係を越え、プロジェクトチームとして「真の課題は何なのか?」を共に悩み、考え、突き止め、実現することを常に心掛ける。
趣味は、いろいろ移り変わるので定まっていないが……しいていえば、口笛は30年以上ほぼ毎日吹き続けている。

https://www.mebic.com/cluster/mt-graphic.html

溝手真一郎氏

公開:
取材・文:山下梨那氏(株式会社MOSIC

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。