クリエイティブサロン Vol.129 細川誠明氏

体育会系デザイナーが経験から語る
「ビジネス」としてのデザインとその仕事論

今回のゲストは、グラフィックデザイナーの細川誠明さん。株式会社エーディーグラフィカの代表としてスタッフを率い、JRA天皇賞(春)、ドーチカ50周年キャンペーン、阪急不動産・宝塚山手台プロジェクトなど、業界やシーンを問わない活躍を見せている。そんな細川さんは、学生時代に水泳やバスケットボールなど、スポーツ漬けの毎日を送った体育会系。なぜ、そんなスポーツ少年がグラフィックデザイナーを目指したのか? そして、その仕事論とは? デザインの現場で培われたリアルな思いを熱く語ってくれた。

細川誠明氏

水泳、バスケ。スポーツ一筋の少年が
グラフィックデザイナーを目指すまで

広島県出身の細川さんは「スポーツバカでした」と笑うように、根っからの体育会系。その始まりは幼稚園のときに通い出したスイミングスクールだった。大きな競泳の大会へも選手を送り出す本格的なスクールで、「泣きながら泳いでいました」と語るほど、厳しいコーチのもとで練習に励む毎日を送る。中学生からは一転しバスケットボールへ。学校初という県大会ベスト8入賞という結果を残し、県内のバスケットボール名門高校「県立広島商業」へ入学を果たす。

スポーツと共に順風満帆な青春を送っていた細川さんが、初めて挫折を味わったのが大学時代。バスケットボールの実力が認められ、スポーツ推薦で大学へ入学したが、そこは西日本から実力者が集まる強豪大学。「広島で天狗になっていたんですね。身長もシュート力も全く足りない。壁にぶち当たりました」という。思うように成果が残せないまま、大学生活も終わりに近づき就職が視野に入ってきた。

「バスケでご飯は食べられない。当時ハマっていたスノーボードでも将来が見えない」と悩んでいるとき、グラフィックデザイナーという仕事の存在を知った。実は、商業高校でDTPなどを学べる学科を専攻しており、文化祭のポスターに選ばれた経験もあった。「肩書きが“グラフィックデザイナー”ってカッコいいじゃないですか」と当時の選択基準を笑うが、将来的に長く続けていける仕事だと感じ、グラフィックデザイナーを志すことを決意。大学卒業後、DTPを学べる専門学校に再入学し、遅まきの第一歩を踏み出すことになる。

苦境から始まったデザイナー生活
成功と失敗を重ねた試行錯誤の日々

デザイナーとしてのキャリアのスタートは、当時アメリカ村にあったクラブを運営する会社の社員として。イベントのポスターやフライヤーを制作する内部スタッフだったが、細川さんの入社から間もなく、外部の仕事も受注する事業部として体制が変化。さらに、先輩スタッフが退職することになり、細川さん一人で全業務をこなさなければならない状況に陥った。デザインだけでなく、料金設定、印刷費などの計算はもちろん、仕事を受注するために営業へも奔走。「あの時は必死のパッチで働きました」と当時の苦労を語る。

なかでも頭を悩ませたのが売り上げを上げること。「バックボーンがない自分では仕事が取れないし、単価も低い。ならば、受注する数を増やすしかない」。そう考えた末に取った打開策は、原価を下げることだった。一枚の紙に何社ものデザインを付け合わせ、一度に刷れば印刷費を抑えられることに着目。すると低価格で印刷できると評判を呼び、多くの案件が舞い込んできた。手探りの状態から放った起死回生の一打だった。しかし、同時に多くの失敗も経験した。デザインデータの制作ミスによる刷り直し、チェックの甘さによる多数の誤植など、「目線を変えることでなんとか生き抜いてきましたが、駆けだしの無知ゆえに失敗も多かったですね」と、苦い思い出の数々を語ってくれた。

その後、本社事務所の移転をきっかけに、会社が運営する複合施設のビル全体を管理する責任者も兼任。デザイン、営業、スタッフ管理など、めまぐるしく働く日々のなかで、ある疑問が心によぎった。「これがデザイナーの仕事なのか? 自分は井の中の蛙ではないのか? グラフィックデザインを軸にした会社で、しっかりとデザインと向き合いたい」。そう感じた細川さんは転職を決意。不動産広告を専門とする広告代理店へ転職を果たす。「そこでは新しい感覚ばかりでした」と振り返るように、ベテランのアートディレクターの指導、競合プレゼン、代理店としての立ち振る舞いなど、これまでにない環境のなかで着実に実力を身に付けていく。代理店に勤めた期間は約2年。その間に独立できる自信と実力を身に付けた細川さんは、29歳で独立を果たすことになる。

作例
クラブ運営会社の社員時代に作った作品の一例。社内イベントだけでなく、学校の記念誌制作なども行っていた。

独立から10年。そのなかで導いた
多様性を保ち、挑戦し続ける仕事論

2008年に株式会社エーディーグラフィカを設立。JRAのG1レースポスターや不動産、商業施設、ブランド開発など、あらゆるクリエイティブに携わっている。来年で独立から10年。これまでの経験から導かれた数々の仕事論を披露してくれた。そのなかでも印象的だった「3つの柱」と「4つの仕事」というテーマを紹介しよう。

「3つの柱」は食事に例えられる。「偏食しない」は、代理店だけ、特定の業界だけなど、仕事のバランスを偏らせないこと。これは不動産広告専門の代理店時代にリーマンショックを経験したことから学んだ教訓だ。「食わず嫌いしない」は、初めてのクライアントの仕事は絶対に断らないということ。「お客様との入口になる大切な仕事。合う合わないを判断するためにも、取りあえずやってみる」と、金額も気にせず仕事を受け入れる。3つめの「雑食でいる」は、仕事を選ばないということ。難しいと感じる仕事でも即決では断らない。必ず持ち帰り可能性を探ってから判断する。

「4つの仕事」とは、仕事に対する心の姿勢のこと。昔から繋がりのある客や初めてのクライアントなど、自分を頼ってくれる人に応える「情の仕事」。憧れの仕事や挑戦したい業界などの「やりたい仕事」。確実にこなして収入を得る「ライスワーク」。そして最後は「スタッフのための仕事」。スタッフのモチベーションを保つため、各人がやりたい仕事や業界などに挑戦させているという。

赤裸々に語られる仕事論のなかでは、新規案件を獲得するために実践している具体例も紹介された。特に会場を驚かせたのが、独自に開発した新規営業開拓のマニュアル。「やりたい仕事に関しては徹底的に調べます。対象となる企業を抽出して、ピンポイントに攻めないと無駄が多い」といい、業界や企業を調査・リストアップ。アプローチの際に想定される問答を念入りにシュミレートしたマニュアルをもとにアタックしていく。クリエイターが弱くなりがちな“営業”という部分へも、しっかりと手を加えているのは、現場で叩き上げられた経験が生んだ感覚だろう。

作例
独立後に手がけた作品たち。左上のエリザベス女王杯のポスターをはじめ、業界や業種を問わず多彩な活躍をみせる。

スポーツとグラフィックデザイン
両極から生まれるリアルなメッセージ

スポーツで培った精神、デザイナーとしてのスキル、経営者の目線。細川さんの言葉には力強い熱がこもっていた。「水泳を通じて、自分と向き合い地道に積み重ねることの大切さ。バスケでは、自分の役割を認識して確実に果たすチームプレーの感覚。スポーツから大切なことを多く学びました」と、学生時代を振り返る。また、自ら積極的に働きかける姿勢も、スポーツで培った精神力が見え隠れする。「自分のことを誰が知ってると思います? 誰も知らないですよね。待っていても仕事がくることはない」と、自身の根底にある考えを語る。

代理店時代には、仕事の速さをアピールポイントとして社内で信頼を得た経験から、「平々凡々ではダメ。自分をアピールするためには強みが必要」と力説する。特に時間を有効に使うことは今も大切にしている考えで、スタッフにも厳しく指導しているという。「単純に手を動かす作業は、段取りとテクニックで時間短縮できる。しかし、アイデアを“考える”行為は、時間が読めない不確定要素」といい、スピードを養うことが少しでも多く“考える”ことへ時間に割く方法だと付け加えた。

スポーツ少年からグラフィックデザイナーへ。異色の経歴とともに培われた細川さんの感性と仕事論は、文化系デザイナーには少し遠い世界のように思えるかもしれない。しかし、これらは“ビジネス”としてデザイナーを捉えたとき、絶対に欠かすことができない要素のはずだ。綿密に計画し、強い心で、チャレンジしていく姿勢。細川さんのリアルな言葉に引き込まれた2時間だった。

イベント風景

イベント概要

クリエイティブサロン Vol.129 細川誠明氏
独立起業したデザイナーの、仕事以前のリアルな泥臭い話。

学生時代はデザインとは縁遠いスポーツバカだった私の「デザイナーを志したきっかけから独立起業までの失敗&成功談」のお話と、叩き上げ無名デザイナーとして「仕事を生み出すために実践していることや考え方」のお話との2部構成。
手がけてきた仕事の話よりも、仕事を取るためや会社を経営していくため、人を雇い育てるといった、デザイン制作よりも前段階の地道で泥臭い話を、デザイナーというより「デザインを生業として生きている」いちビジネスマンという視点でお話しできればと思います。
これからこの業界に進もうとしている方や独立を志している方、仕事を広げたい方やデザイナーへ発注する側の人たちにとって何かのヒントになれば嬉しく思います。

開催日時

2017年06月20日(火)19:30〜21:00

会場

メビック扇町

細川誠明氏(ほそかわ なりあき)

1978年広島県生まれ。広告代理店の制作局を経て、2008年に株式会社エーディーグラフィカを設立。グラフィックを中心に広告・SP・CIやWEBなど幅広く手がけている。
「効果を生むための、機能するデザイン。」をモットーに、業種やシーンにとらわれずクライアントの課題解決のために事業を展開。
これまで手掛けた仕事に、JRA天皇賞(春)・JRAエリザベス女王杯・ドーチカ50周年キャンペーン広告・阪急不動産 宝塚山手台プロジェクト・大平建設工業 谷上マンションプロジェクト・BRILLAMICO ブランド開発などがある。
日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)正会員
株式会社エーディーグラフィカ

公開

2017年07月25日(火)

取材・文

STUDIO amu 眞田健吾氏

イベント情報はこちら

イベントカレンダー

« 前|目的なく立ち寄れる場が、街を豊かにする

記事一覧

実用一辺倒だと、文化は貧しくなってしまう|次 »