クリエイター人生を変えた活版印刷との出会い。
クリエイティブサロン Vol.155 小瀬恵一氏

短時間で大量印刷ができる手軽なオフセット印刷の台頭により、衰退の道を歩み始めていた活版印刷だが、印字の凹凸による陰影の美しさや独特の風合いが今、改めて見直されている。広告や印刷物の制作ディレクターである小瀬恵一氏もそんな活版印刷の魅力にとりつかれたひとり。今回のクリエイティブサロンでは、活版印刷とのひょんな出会いや、そこから生まれたさまざまな人との縁など、活版印刷と関わってきたこれまでを振り返り語っていただいた。

小瀬恵一氏

広告制作ディレクターとしてキャリアをスタートさせ、独立の道へ。

大学を卒業後、大阪にある小さな広告代理店に入社した小瀬氏は、営業部に配属されたものの、顧客対応だけではなく新聞の三行広告や求人雑誌などの企画やサムネイルの制作も任されていた。その経験から徐々に営業よりも「つくること」に興味が湧き、リクルートの制作会社に転職する。当時は今ほど長時間労働が問題視されておらず、多くの制作会社がそうであったように小瀬氏が入社した会社も例外ではなかった。制作スタッフは毎日朝早くから終電まで働くことが普通になっていたが、「あの経験で働く体力がついた」と振り返る。

制作会社で5年のキャリアを積んだ後、知人のデザイナーやディレクターと共に制作会社「株式会社グランドワーク」を設立。完全独立採算制で、それぞれ自分が受注した仕事をするというスタイルだ。ときには協力することもあるが決して依存することはないという。しかし、独立当初はほとんど仕事がなく、メインの仕事は古巣のリクルートが発行する情報誌の制作だった。フリーランスという不安定な立場から、依頼された仕事は一切断らず、毎日夜遅くまで働くという忙しい日々が続き、気がつけば独立から2年が経っていた。そこで小瀬氏の頭にふと「リクルートをやめたのになんでリクルートの仕事ばかりしているんだろう」と、いう疑問が浮かんだ。「このままではダメだ」そんな焦りから、突破口を探してあらゆる交流会や飲み会に参加した。

「活版印刷をやってみたい」出会ってすぐに開業を決意。
二足のわらじ生活のはじまり。

2010年秋、小瀬氏はふらりと参加した「福島区飲ミーティング」で明晃印刷株式会社の高崎健治氏と出会う。活版印刷や明晃印刷の歴史に興味をもった小瀬氏は後日、同社を訪れた。古い印刷機が並び、インクの香りが漂う空間に小瀬氏は言葉にできない感情を覚えたという。それから何度も明晃印刷に足を運ぶうちに「活版印刷をやってみたい」そんな思いが芽生えてきた。この10年、小瀬氏は幾度となく「なぜ活版印刷をやっているのか」と問われてきたが、答えは「やってみたかったから」。その言葉に尽きるという。
そして飲ミーティングに参加した1ヶ月後には、活版印刷をはじめることを決意していた。

「衝動的に決断したのであまり覚えていない」小瀬氏は当時のことをそう振り返るが、決断してからの行動は早かった。高崎氏より廃業する印刷会社を紹介してもらい、そこから印刷機や必要な道具をいくつか譲り受け、また必要なものは購入し、翌年にはグランドワークのメンバーとともに「桜ノ宮 活版倉庫」を開設。開設当初は技術も仕事もないため、自分の名刺を製作したり、知り合いの名刺データをもらって無料で刷ることで技術を磨いた。昼はグランドワークでディレクターの仕事をし、夜は印刷という長時間労働ではあったが、この時、リクルートで培った“働く体力”が役立った。ゼロからのスタートから技術を磨きつつ、インキ、製紙、製本などの業者も開拓し、徐々に体制が整っていった。

活版印刷機

ゼロからのスタートでも技術を磨き、人と繋がることで前進。

活版印刷の事業をはじめたことでディレクター業にもいい影響があった。それまで紙のことは印刷会社に任せていたが、印刷を始めたことで勉強するようになり、コンペで提案した紙にクライアントが興味を示したり、印刷についての相談もしょっちゅう受けるようになった。また、いろんな仕事がしたい、技術を磨きたいという思いから、ホテルのパンフレットの制作では、表紙に活版印刷で刷ったメニューを撮影した写真を提案。ディレクターである小瀬氏にしかできない作品をつくることができた。さらに連日ワークショップを開催したり、Facebookをこまめに更新し、情報を発信することで、メディアの取材を受けるなど徐々に存在が知れ渡っていったが、利益に結びつくまでにはまだ道のりは長かった。

ディレクター業の収益を活版印刷につぎ込む日々が続く中、株式会社サトウデザインの代表佐藤大介氏と出会う。サトウデザインでは毎年、自社で作成したカレンダーを年賀状がわりにクライアントに配布しており、この年は小瀬氏とコラボでつくることになった。つくったのは約50年前に製造された活版印刷機で印刷した卓上カレンダー。そのカレンダーは桜ノ宮活版倉庫の商品として現在も販売されている。また、製作した名刺をお客様がビジネス上でさまざまな人に配ることで、最終的にグランドワークとしての仕事に繋がることもあった。また長年、デザインや制作に携わってきたことから、毎年趣向を凝らした年賀状を作成している小瀬氏だが、活版印刷を始めてからは印刷や紙もこだわりはじめ、それを受け取った人たちからさまざまな依頼が舞い込むようになっていった。さらにワークショップなどの人との繋がりを通じて、活版印刷はもちろん、オフセットのパンフレットからシルクスクリーンで印刷したユニフォームの制作など仕事の幅はどんどん広がっていき、さらには桜ノ宮活版倉庫がTV番組で紹介されたり、サトウデザインと制作したカレンダーが国立印刷局賞を受賞するなど、コツコツと撒いてきた種が徐々に芽吹き始めていった。

第66回全国カレンダー展授賞式
第66回全国カレンダー展の授賞式 佐藤大介さんと壇上で記念撮影

出会いが出会いを呼び、いつしか「人の集まる場所」に

「活版印刷をはじめて、出会う数が10倍くらいに増えた。」という小瀬氏の言葉通り、近隣の専門学校生が見学にきたり、韓国や台湾から印刷関係の人が訪れたりと、桜ノ宮活版倉庫はいつの間にか多くの人が集う場所になっていた。活版印刷を始めたいという相談も受けることも増え、そんな中、愛媛県から訪れた一人の女性と出会った。どうしても活版印刷がしたいが、機械が見つからず譲ってほしいとのことだった。その熱量と高いモチベーションに自身の開業時を思い出した小瀬氏は、快く機械を譲り、開業をサポートすることにした。このように活版印刷を通して多くの人々とつながっていったのは彼の大きな財産になっている。そして、そのようなつながりをもっと増やしたい、との思いから西日本で活躍する活版印刷所が集う「活版WEST」を普段から付き合いのある同業者たちと立ち上げた。

活版印刷の世界に入ったきっかけは、たまたま参加した飲み会だった。そんなきっかけを誰かに与えることができたら、と小瀬氏は印刷やデザイン業界にまったく関係がなくても参加できるSAKURA LETTERPRESSという呑み会を月に1度実施。印刷所で開催しているが、そこで繰り広げられる話題は印刷だけにとどまらない。メビックのコーディネーターが参加し、そこから広がった縁もあるという。今後は自分が楽しく仕事をしながらも、活版印刷をやる人をもっと増やしていきたいと語る小瀬氏。「伝統を受け継ぐなんてことはできないけど、手助けくらいはできると思うんです」そんな熱い言葉で締めくくった。

イベント風景

イベント概要

活版印刷工と制作ディレクター 二足のわらじで歩んだ7年と10年
クリエイティブサロン Vol.155 小瀬恵一氏

広告や印刷物を企画・制作するディレクターとして独立し、4年目からは二足のわらじ。対峙するクライアントも違えば、頭の使い方も作業も全然違います。だからこその学び、経験、苦労がありました。一番よく聞かれる質問「なぜ活版を始めたのか」や、西日本の仲間たちと2回開催した「活版WEST」についてなど、活版印刷の7年の方を中心にお話しします。

開催日:2018年11月7日(水)

小瀬恵一氏(おせ けいいち)

桜ノ宮 活版倉庫 代表 / 株式会社グランドワーク 取締役
活版印刷工 / ディレクター

1979年生まれ。奈良県出身。広告や印刷物などの企画・制作をする傍ら、2011年、廃業する活版印刷所より印刷機を譲り受け「桜ノ宮 活版倉庫」を設立。名刺、結婚式の招待状、DM、紙雑貨など、注文者と対面で打ち合わせをして用紙を選び、仕上がりイメージを共有しながら一つひとつオーダーメイドで作り上げている。最近は、活版印刷機や道具に関する問い合わせが多く、仲介、販売、修理も開始した。

http://kappan-soko.com/

小瀬恵一氏

公開:
取材・文:和谷尚美氏(N.Plus

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。