人の心を掴むデザインは“あったらいいな”から生まれる
クリエイティブサロン Vol.154 中禰兼治氏

新しい市場を切り開くのはいつも「あったらいいな」という開発者の熱い思い。しかし「今の日本のものづくりは立ちすくんでしまっている」と、株式会社プロイドの中禰兼治氏は業界に警鐘を鳴らす。今回で154回目を迎えたクリエイティブサロンでは、プロダクトデザイナーとして47年のキャリアを持つ氏に、これまで生み出してきた数々のヒット商品の開発秘話と、これからのモノづくりについてお話いただいた。

中禰兼治氏

大惨事がきっかけで生まれたガスコック

中禰氏がこれまで手がけてきたのは、腕時計や家電、化粧品から両翼60メートルを超える野球場のスコアボードまで大小さまざまな製品のデザイン。さらに万国博パビリオン・大型公共施設・集合住宅の環境計画からプロダクト製品全般のプロデュースまでその活躍は幅広い。これまで日本デザイン振興会グッドデザイン賞、グッドデザイン・中小企業庁長官賞、グッドデザイン・ロングライフデザイン賞など数々の賞を受賞。その多くが「業界初」の機能やデザインを搭載しており、さまざまな業界に革命をもたらした。
数々の製品の中から最初に紹介されたのは、1971年の大阪ガスの押し回し式ガスコックシリーズ。当時の大阪ガスはカロリーアップ化を推進していたが、カロリーアップされたガスはそれだけガス漏れ事故の被害が大きくなるため、ガス漏れ防止対策に取り組んでいた。そんな折、天神橋筋六丁目交差点付近でガス爆発事故が発生。地下鉄工事中の都市ガス管の継手部分が抜けてガスが地下に充満し、そこを通りかかった車がエンストしたことが事故のきっかけだった。エンジンを再スタートさせるときに燃料に引火し、火災が発生。それが地中のガス管を巻き込んで大爆発してしまったのだ。集まった見物人を含む死者重軽傷者500人を出す大惨事となった。ちょうどその頃、大阪万博が開催されており、大阪ガスによる「ガスパビリオン」が、ガスの泡に点火する炎のショーで人気を博していたが、事故後、二度とそのショーが行われることはなかった。
事故の後、すぐに大阪中でガス漏れの一斉点検がスタート。同時に一般家庭のガスコックの見直しも行われた。当時のコックの形状は、開閉が非常にわかりづらく、これがガス漏れの原因とされていたが、すべてのコックを取り替えるわけにはいかず、大阪ガスはコックの中に新しいユニットを入れて押し回し式に変えることを決定。それをデザインしたのが中禰氏である。新型のコックはクロームメッキのカバーの上に黒くて大きな樹脂製のつまみが付いて、つまみの上には一目で開閉方向がわかるように帯状の意匠を施した。「押しやすく、回しやすく、わかりやすく」。これらを実現するのに大変な苦労をしたという。しかしそんな苦労の結果、現在もガスコックのデザインは当時からほぼ形を変えずに残っている。「もう二度とあんな事故は起こさない」。そんな大阪ガスの社運をかけたプロジェクトに参加できたことを中禰氏はデザイナーとして幸運に感じているという。

作例
左:大阪ガス ホースコックF-101 右:ナショナル エアコンCS-P181

社会現象を巻き起こした業界初のアイデア

私たちの生活に身近な家電製品も数多く手がけてきた中禰氏だが、中でも革命的だったのが1985年に発売された松下電工(現パナソニック)のシャワー付き洗面化粧台「ソミエール」だ。クライアントからの要望は「30万円代洗面化粧台」。それまで同様の製品の最高価格は25万円。鏡の大きさや扉を高級仕様にする程度では価格に見合う差別化は図れない。なにか明確な優位性が必要だった。ヒントとなったのはスタッフ同士の雑談。“中学生の娘が毎朝シャワーを浴びて、脱衣場を占領してしまう”。そんななにげない会話から、洗髪洗面化粧台のアイデアが浮かんだ。朝に洗面台で洗髪するという目新しい発想に、敏感に反応したのは当時の高校生たち。瞬く間に全国に広がり、大ヒットとなった。さらに「朝シャン」という言葉は1987年の「新語・流行語大賞」の新語部門・表現賞に選ばれた。

革新的なデザインは後のスタンダードへ

洗髪洗面化粧台の発売から3年が経った1988年の春、中禰氏は松下電器(現パナソニック)エアコン事業部の「一家に3台目のエアコン」プロジェクトに商品開発のメンバーとして参加することになった。当時は多くの家庭がリビングと夫婦の寝室にエアコンを設置していたが、子供部屋にはまだこれからという時代だった。デザインはちょうど木目調からシルバーや白基調へと移行している最中で、平均的なサイズは高さ360ミリ×幅790ミリ×奥行き150ミリ。一般的なプレハブ住宅の二階の天井と窓の間は300ミリ前後のため、従来のエアコンでは60ミリもはみ出してしまう。また、間柱が910ミリピッチで入っている木造住宅の壁に幅790ミリのエアコンを固定するには、150ミリ以上の持ち出し金物が必要になる。中禰氏とプロジェクトメンバーの頭に、こんな仮説が思い浮んだ。
「エアコンのデザインを細長くすれば、解決するかもしれない」

これは実に画期的なアイデアだとメンバー全員が確信し、コンセプトを立案。仮説検証を行い、デザイン、原寸スケッチとラフ機構レイアウトを事業部長プレゼンで意気揚々と提出すると、「工場ラインの変更だけで一体なんぼかかると思ってんねん! なにを考えとるんや。アホか!!」と一蹴されてしまう。
しかし、この年の夏は記録的な冷夏となった。量販店でエアコンは在庫の山となり、翌年の1989年新型エアコンにはこれまでにない新しい視点が求められた。そこで中禰氏らが提案した細長エアコンのアイデアが急浮上し、大急ぎで生産が進められ1989年春の発売となった。
ご存知の通り、細長いエアコンは現在主流となっている。中禰氏は、新たな視点でデザインしたものを世の中に送り出せたこと、さらにそれがスタンダードになったということは、デザイナーとしてとても幸せだと話す。さらに、この商品はその年のグッドデザイン賞を受賞した。

作例
左:ダイワ精工 カーボンウィスカースキーブーツCS-711
右上:ユーイング DC扇風機 UD-DHR30D
右下:ナスステンレス マルチパーパスキッチンK2

その後も、「業界初の充電式ドリルドライバー」「業界初の競技用カーボンウィスカースキーブーツ」「業界初の対面型テーブル付きカウンターキッチン」「業界初の電話置台スタイルのホームファクシミリ」「業界初の炊き上がり時間表示を実現したIH炊飯器」「業界初の真上90°首振り扇風機」など、これまで世の中になかったものをデザインし、ヒット商品を生み出していく中禰氏。その革新的なアイデアは単に生活を便利にする日用品にとどまらず、病気で治療中の女性向けの「髪の毛帽子WithWig」といったQOLを向上させる商品にも及んだ。

パソコン黎明期に手がけた試作機と松下幸之助氏との思い出

旧松下グループの外部デザイナーとして数多くのプロダクトデザインを手がけてきた中禰氏は創業者である松下幸之助氏と三度ほど対面したことがあるという。そのうちの一度は、米アップル社でスティーブ・ジョブズがまだLisaを開発中だった1980年。中禰氏は守口の松下電器無線研究所の会議室で、手がけたパソコンの試作機を持って、極秘で開発が進められていたパソコンの説明会に参加していた。会議室の机の上に置かれていたのはモニターにつながれたシルバーの本体デッキ。専用の電子ペンで画面に文字や図形を描くと、パソコンのモニター画面に表示することができ、当時としては画期的な機能だった。幸之助氏が入ってくると、誰もが口をつぐみ、会議室は静まりかえった。研究所幹部の説明を聞きながら、幸之助氏は自らキーボードに触れて操作を確かめる。そして終盤にさしかかった時、説明をさえぎって言った。「うちはパソコンはせえへんで」。この一言で会議は終了。その後、各社がパソコン事業に本腰を入れるなか、松下はグループ会社による参入に留まり、ヒット商品「レッツノート」が生まれたときには、幸之助氏の死後7年が経っていた。「あのとき、本気でコンピューター開発に取り組んでいたら、もしかしたら松下がアップルのようになったかもしれない」。中禰氏はそんな風に当時を振り返る。

業界の先駆者として、新たな時代を切り開く

「商品企画の現場では、“売り出したら凄いことになるな”と思わせるアイデアはボツになって、取締役会で圧倒多数の承認を得た商品が世の中に出ていく。でもそんな当たり障りのないものからヒット商品は生まれない。日本のモノづくり企業は立ちすくんでしまっている」。中禰氏はいう。
しかし、過去の経験や知識が役に立たない、そんな正解が見えにくい現代でも突破口はいつも“あったらいいな”という開発者の熱い想い。「まだまだ新しくておもしろいものは生まれるはず」。そう信じて、氏は世の中に出したいアイデアストックを形にする「あったらいいな、モノづくり研究所」を設立。キャリア47年目にしてまだまだ新たな時代を切り開く先駆者であり続けている。

イベント風景

イベント概要

あったらいいなのモノづくり45年とこれからのン、年
クリエイティブサロン Vol.154 中禰兼治氏

日本のモノづくり企業が立ちすくんでいます。商品企画の現場では、売り出したら凄いことになるなと思わせるアイデアはボツになり、取締役会で圧倒多数の承認を得た商品が世の中に出ていくのですが、そんなものからはヒット商品は生まれません。いつの時代も「あったらいいな」という開発者の熱い情熱が、新しい市場を切り開いてきました。そんな商品の開発秘話と、これからの「あったらいいな」のモノづくりのお話をします。

開催日:2018年10月19日(金)

中禰兼治氏(なかね けんじ)

株式会社プロイド 代表取締役
京都造形芸術大学 芸術学部 プロダクトデザイン学科 非常勤講師

北海道生まれ、大阪在住のプロダクトデザイナー。
プロダクトデザイン分野で、携帯情報端末・家電機器・家具住宅設備、環境デザイン分野で、集合住宅・商業建築施設・国際博施設のデザインプロデュースを行う。日本デザイン振興会グッドデザイン賞受賞46点。同1991年及び2009年度グッドデザイン・中小企業庁長官賞受賞。同1996年及び2000年度グッドデザイン・ロングライフデザイン賞受賞。1998年ニューヨークナショナルデザインミュージアム「UNLIMITED BY DESIGN」に選定される。化粧品からシステムキッチンまで幅広いデザイン活動を行っている。

http://www.proid.co.jp/

中禰兼治氏

2023年にご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

公開:
取材・文:和谷尚美氏(N.Plus

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。