人を支え、人生を変える。いつもそこには言葉があった。
クリエイティブサロン Vol.150 大西崇督氏

何気ない一言が頭から離れないことがある。なかには、人生を変えた言葉を持つ人もいるだろう。今回のクリエイティブサロンのゲストは、コピーライター・文章家の大西崇督氏。「言葉」を操るプロフェッショナルは、どんな言葉に動かされてきたのか? 大西氏の経歴を縦軸に、これまでに貰った言葉を横軸に。ひとりのクリエイターの軌跡を辿るトークは、「誰かから受け取った言葉には、考える、動き出すための『きっかけ』になる強い力がある」という言葉から始まった。

大西崇督氏

始まりはラジオ番組との出会い
青年がコピーライターをめざすまで

「小学生のときから、作家になりたいという夢を持っていました。しかし、文章が下手で読書感想文もろくに書けなくて」と笑う大西氏。コピーライターをめざした青春の始まりには、浪人生時代に偶然耳にしたラジオ番組の存在があった。

「レディオハーフー、オープンです」

FM大阪「RADIO HA-FU-」/ 1994年

この言葉は、深夜ラジオ「RADIO HA-FU-」のオープニングフレーズ。「この番組が好き過ぎて、ハガキ職人になったくらい(笑)。いつしかラジオの仕事に就きたいと思うようになっていました」。同じく浪人時代、厳しいことで有名な予備校の先生に小論文で褒められたことも、文章で認められる成功体験として心に刷り込まれたという。二浪の末に長崎県の大学へ進学。その頃には、オリジナル小説を執筆するまで言葉にのめり込んでいた。

「文章書くんやったら、芝居作らへん?」

同級生 / 1998年

「大学で出会った同級生の言葉です。関西出身の彼は、『RADIO HA-FU-』のリスナーで、しかも脚本家志望。意気投合して一緒に芝居を作ることになりました」。そんな二人が始めたのがラジオコント作り。脚本を考え、演じ、カセットテープに録音していった。時間をかけて作り上げた作品だけに、誰かに評価してもらいたい。そう思った二人は「RADIO HA-FU-」に出演していた、ナレーターの畑中ふう氏のもとへ入魂のカセットテープを送りつけた。

「これ出来るんやったら、ラジオCM書けるんちゃうか?」

畑中ふう / 1999年

返事を待ちわびる大西氏のもとへ、畑中氏からメールが届く。「大阪に帰省する機会があったら会おうって返事が来たんです!」。そして、夏休み。事務所へ訪れた大西氏に対し、ラジオコントで生計を立てるのは難しいが、ラジオCMならなんとかなるのではと畑中氏は提案。これを契機として、大西氏はラジオCMを企画するコピーライターになることを決意する。

実績なし、コネなしでの独立
ケモノ道を突き進んだ駆け出し時代

大学卒業後、大阪へ戻った大西氏は、いきなりコピーライターとして独立。もちろん、実績もコネもない状態だった。唯一のアテといえば、畑中氏から紹介された制作会社のみ。「数日前まで学生だし、仕事の貰い方も分からない。そこで、毎日その制作会社へ通ったんです。そうしているうちに、『じゃぁ、こんなのやってみる?』って、ラジオCMを企画する仕事を貰うようになりました」。

「あの原稿、採用になったから収録おいで」

プロデューサー / 2000年

「ラジオCMは成功報酬。オンエアされないとお金にならない。そして、毎回コンペなんです」。クライアントは複数の企業に依頼し、それぞれの企業はさらに複数のコピーライターに発注する。「最終的に20名程のコピーライターが、ひとつのオンエアを取り合うんです。しかも、何十本もの企画を書かなければならない。ケモノ道といってもいいほど厳しい世界でした」。そして半年後、初めてのオンエアを勝ち取る。デビュー作は当時梅田にオープンしたばかりの「ラウンドワン」のラジオCMだった。その後も、前出の制作会社が行っていたTV番組の集客管理業務に携わるなど、さまざまな仕事をこなす駆け出し時代を送る。

「事務所するから、お前らウチ来い」

畑中ふう / 2005年

忙しく過ごす大西氏のもとへ、あるニュースが飛び込んできた。あの「RADIO HA-FU-」が復活するという。再びパーソナリティになった畑中氏のはからいもあり、憧れの番組で構成作家見習いとして働き始めた。しかし、現実は厳しいもの。たった1年ほどで番組は終了してしまう……。このとき30歳。結婚して子どももいた大西氏は、不安定なコピーライターの仕事を辞めようかと考えていた。そんなとき、畑中氏が個人事務所「RADIO HAAFUU」を旗揚げし、スタッフとして働かないかと声を掛けられる。2005年、忘れられない言葉と共に大きな転機が訪れた。

アートブック
カメラマン・イラストレーターと共に結成したアートユニット「Trigger」(後述)。大西氏がストーリーを担当した作品のアートブック『17+C』はイベントへ出展された。
photo:西村優子

オールラウンダーの苦悩がもたらしたコピーライターとしての第二のスタート

畑中氏の事務所で働くことになった大西氏。しかし、フリーランスのコピーライターとしても活動しているので、二足の草鞋といった方が正確だったが、10年間という長い間「RADIO HAAFUU」で働くことになる。

「ホームページ、なんとかしてくれや」

畑中ふう / 2005年

事務所での業務は多岐に渡る。イベント企画、ライブハウスの値段交渉、集客、ラジオ録音、編集……。さらに、事務所のホームページを独学で立ち上げたことで、ウェブやチラシの制作まで行うように。「本当に何でもやりましたね。そのうち周囲から『就職したんじゃないか?』と思われて、コピーライターの仕事が来なくなってしまったんです……」
2009年、畑中氏がメビックと繋がりを持ったことで、大西氏もメビックを訪れるようになった。さまざまなクリエイターと交流を持ち始めるが、「コピーライターと名乗っても、コピーの仕事はほとんどしていない。ウェブやデザインをしていても専門家ではない。どれを取ってもプロじゃないんです」と、自らの肩書について苦悩し始める。以降も、メビックを通じて知り合ったクリエイターと共に、アートユニット「Trigger」を結成するなど、出会いが変化をもたらしていく。

「恩は返すもんやない。送るもんや」

住職 / 2015年

2015年、「RADIO HAAFUU」解散。それと同時に畑中氏のもとを卒業し、コピーライターとして自立することを決意した。しかし、多大な恩を受けた畑中氏のもとを去ることは、大西氏にとって苦しい決断だった。「畑中氏をよく知る住職からこの言葉を貰いました。恩は貰った人へ返すのではなく、別の人へ送って循環させていくものだと」。この言葉に救われた大西氏は、10年の時を経て、コピーライターとして二度目のスタートを踏み出した。

「コーディネーターの同期5人で、ユニットやりません?」

カメラマン / 2015年

独立した2015年には、メビックのコーディネーターにも就任。これをきっかけに、同期でコーディネーターになったカメラマンやデザイナーなどと共に「天満販売促進部」というユニットを結成した。「この活動は本当に得るものが大きいですね。すぐ隣にバリバリのプロがいる。自分も負けられないし、レベルを高めなければいけないと刺激になっています」。フリーランスとして活動しながらも、新たな仲間と共に歩む日々。これまでとは違う関係性を原動力にしながら、現在も精力的に活動の幅を広げている。

天満販売促進部メンバー
コピーライターの大西氏の他、カメラマン、デザイナー、インテリアデザイナー、建築家からなる「天満販売促進部」
photo:竹内進(Sharp Focus)

人生を支える大切な言葉たち
想像する力が未来を面白くする

約2時間のトークの中で多くの言葉が紹介されたが、これまでに上げた言葉はほんの一部。その他の言葉も、多くクリエイターに響くものばかりだった。いくつかを抜粋して紹介したい。

「断る理由は、いつでも自分で作ってるんやで」

映像クリエイター / 2009年

プレゼン大会に誘われたとき、あまり乗り気ではなかった大西氏が言われた一言。「自分のためになることであっても、めんどくさいとか、忙しいとか、断る理由は自分が作っているんですよね」

「むっちゃ勉強になるか、むっちゃ楽しそうか、むっちゃ金になるか」

イラストレーター / 2010年

畑中氏の事務所にオフィスシェアとして入居した、イラストレーターのハピネス☆ヒジオカ氏からの言葉。「仕事を受ける基準として言われたんです。今でも大切な指標として心の中に生きています」

「僕、やっぱ大西ちゃんの文章、好きっすわ」

テキスタイルデザイナー / 2011年

アートユニット「Trigger」の仲間からの言葉については、「『上手いですね』『響きますね』とかではなく、『好き』といってくれたんです。仕事でどんなにダメ出しをくらっても、この言葉があるから戦える。死ぬまで支えになると思います」

「自分の考えで何かを手放した人は、もっといいものを手にするよ」

会社経営者 / 2015年

悩んだ末に畑中氏のもとを卒業した際、とある会社経営者から貰った一言。「今、結局いいものをたくさん手に入れています。時には思い切って手放すことも必要ではないでしょうか」

サロンの最後に大西氏はこう語りかけた。「みなさんにもターニングポイントになった言葉があるはずです。その言葉を大切にしてください。人から貰った言葉や、人の立ち居振る舞いから、自分が何を想像できるか? 5年、10年先のことを想像しながら生活し、人と交流していけば、未来は面白くなるんじゃないでしょうか?」。人を支え、考えを変え、未来を拓く言葉の力。今回のサロンが、来場者の大切な言葉を探すきっかけになったことだろう。

イベント風景

イベント概要

言葉が持っている人を動かすチカラ ~僕の背中を押してくれていたのは、いつも誰かの言葉だった~
クリエイティブサロン Vol.150 大西崇督氏

言葉は人を動かすチカラを持っています。真剣なアドバイスとして投げた言葉や、ふとした瞬間に何気なく放たれた言葉が、受け取った人にとって人生のターニングポイントになることもあります。
自身の経歴や仕事についての来し方を縦軸に、様々な言葉とそれにまつわる思いやエピソードを横軸に、ひとりのボンクラを動かしてきた数々の「頂いた言葉」や「出逢った言葉」を紹介しながら、いかに言葉が人を動かすきっかけとなり、生きるためのエネルギーや精神的な支えになるのかをお話ししたいと思います。

開催日:2018年9月3日(月)

大西崇督氏(おおにし たかよし)

37+c 代表
コピーライター / 文章家

2000年、大阪を中心にフリーランスのラジオCMコピーライターとして活動を始める。
決められた「文字数」ではなく、20秒や60秒などの決められた「秒数」に、効果的なコピーやシナリオを書く技術を実戦で叩き込まれてきた。ラジオCMのライター、ディレクター、テレビ番組の集客管理業務などを経て、2005年から2014年、RADIO HAAFUUのスタッフとしてウェブやデザイン、ラジオの編集を手掛けた。現在は企業のウェブサイト、パンフレット・リーフレット、ラジオCMなどの音声メディア、企業・製品紹介などのVP・動画のシナリオおよびナレーション原稿などのライティングを手掛ける。

http://37plus-c.com/

大西崇督氏

公開:
取材・文:眞田健吾氏(STUDIO amu

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。