無意味なことも、遊びも、追求すればお金に変わる。
クリエイティブサロン Vol.148 木村ライダー氏

第148回目を迎えたクリエイティブサロン。ゲストスピーカーを務めたのは、ギター漫談家であり、文筆家である木村ライダー氏。「自由に生きるための方法論」という同テーマで、メビック扇町での12年ぶりの登壇となった今回は、大手企業から独立を果たし、紆余曲折を経てたどり着いた誰にも真似のできない「木村ライダーの世界」がどのように築き上げられていったのかをあますことなく語っていただいた。

木村ライダー氏

社内芸人の地位を確立したリクルート時代

木村さんのキャリアは新卒で入社したリクルートからはじまる。制作部を志望していたものの営業に配属され、鳴かず飛ばずの3年を過ごしたのち、制作部に異動。念願叶ってコピーライターとして活躍することになった。リクルートといえば、求人広告・人材派遣を中心とした多彩なサービスを展開する業界最大手の企業であるが、木村さんいわく「非常にお笑いに厳しい会社」。部会やクリエイティブの表彰式では必ず新人が芸を披露し、笑いを取らなければ評価が下がるという。とくに木村さんの直属の先輩は吉本興業で芸人をしていた経験があったことから、笑いについて厳しく指導された。仕事と同じくらい芸に磨きをかけた木村さんは、部会でテンガロンハットを被り、ギターを持って「会社員あるある」や「リクルートあるある」をテーマにオリジナル曲を披露。リクルートを退社してからも、イベントに呼ばれるほど“社内芸人”としての地位を築いていった。

「本を出すこと」と「店を出すこと」を目標に独立

営業で3年、コピーライターとして4年間働いた後、リクルートを退職。制作会社「KIMURA PRODUCTS」を設立した。退職時に定めた目標は「本を出すこと」と「店を出すこと」。また、広告はクライアントありきのクリエイティブであることから、「自分の好きなことを書きたい」という気持ちを抱えていた木村さんはフリーペーパー「脳内炭酸」を創刊。その体当たりの取材のやり方には驚かされる。ある号では「忌野清志郎 ナニワ・サリバン・ショーの楽屋に潜入!」という特集を組み、運営や出演者に知り合いがいるわけでも、取材申し込みをするわけでもなく、「パス、中に忘れちゃって!」とごまかしながら、Tシャツにジーンズ姿で堂々とセキュリティーを通過。トータス松本、斉藤和義、ゆずなど錚々たるメンバーが揃う楽屋で堂々とビールを飲む姿は、どう見ても関係者でしかなく、誰からも疑われることなく、最終的に忌野清志郎にあいさつをして終了。その模様を記事にした。脳内炭酸の発行部数は1000部ほどだったが、独自性の高い記事が注目を集め、発行すればすぐに捌けるほどの人気雑誌になっていった。とはいえ、フリーペーパーというビジネスモデルは採算をとるのが難しく、残念ながら4号で廃刊となってしまった。

フリーペーパー廃刊後は2つ目の目標「店を出す」を実現。大阪・梅田に「音楽酒場 木村ライダー」を開店させた。しかし、開店2日目にして売上はゼロ。翌日は客足が増えたものの、カウンターの向こう側で飲んでいる方が楽しいことに気がつき、人を雇って店を任せることにした。時間ができた木村氏はライターの仕事をしつつ、知人とともにアマチュア落語団体「鯉鮎亭」を立ち上げる。たまたま神戸の老舗ライブハウス「チキンジョージ」のオーナーの目に止まり、「おまえらおもろいな! うちでやれ」という一言からチキンジョージで公演。神戸新聞の取材を受けるなど話題を呼び、関西電力のフリーペーパーで落語の連載をもつきっかけとなった。
さらに「全国草野球リーグR47」を立ち上げ、決勝を京セラドームで行うインターネット型草野球リーグをプロデュース。その独自路線に共感したNPBやJリーグを支援するスポーツ系ウェブ会社がホームページを完全サポートし、大手スポーツ用品メーカーの広告も入った。草野球業界でも3本の指に入るほどの勢いであったが、経費を仲間に持ち逃げされてしまう。なんとか取り戻すことはできたが、それ以上このプロジェクトに関わる気は起きなかった。

追い風に乗った矢先の挫折。そして再出発

夢中になっていた草野球リーグの運営をやめ、コピーライターを続けていたが、2008年、リーマンショックの影響から広告の仕事が激減。何日も電話が鳴らず、携帯電話を片手に大川の河川敷で缶ビールを飲む日々が続いた。貯金がどんどん減っていく中、木村さんは「どうせなら好きなことをやろう!」と開き直りにも近い決意をする。自分は何がやりたいのかを考え続けた結果、たどり着いたのは、リクルート時代の「社内芸人」だった。芸達者なメンバーの中でトップをとった自分なら、真剣にやりさえすればお金に変えられるのではないか。そこで、インディーズレーベルを運営する知り合いに、企画を持ち込み、ギター漫談「いけたらいくわ」でインディーズデビュー。年間50〜80本のライブをこなし、がんこフードサービス株式会社のリクルーティングソングや、会社説明会の参加促進を図る「いけたらいくわ」ならぬ「これたらきてね」をコンセプトとした採用キャンペーンも手がけた。さらにCM曲の依頼もいくつか入り、その中の一つがACC賞ラジオCM部門ゴールドを受賞した。

ライターの仕事も順調だった。以前より付き合いのあった関西電力の社内報で連載がスタートし、朝日新聞からの執筆オファーやMBS「ちちんぷいぷい」から楽曲使用の依頼など快進撃が続く。また、関西広告協会が企画した「第一回無責任会議」のメンバーに抜擢された。著名CMプランナーや大物TVプロデューサーなど、時代の先端を走るクリエイターたちと世の中のさまざまな事件を無責任に切るというその会議で活躍すれば、さらに多くのオファーがくることは間違いなく、木村さんは確かな追い風を感じていた。しかし、ちょうどその頃、ある事件が発生し2日前にイベント中止の連絡が入る。これをきっかけに、風向きは変わってしまう。ライブのオファーは減り、芸事に集中するため広告の仕事を避けたことで年収は大きくダウン。フォークリフトの免許を取得し昼間は工場で働いた。メンタルは大きな打撃を受け、気力が衰えていくのを感じたが、心のどこかに「このままではダメだ」という強い思いがあった木村さんは、SNSで自身の状況をカミングアウト。すると、色々な人が手を差し伸べてくれた。リクルート時代の先輩からも声がかかり、就活カフェに就職アドバイザーとしてきてはどうかと提案された。就職カフェでは、こんな自分に真剣に学生が相談してくれる。人と話すうちに木村さんの気持ちも少しずつ上向きになっていった。コピーも書くようになり、ライブも自然と増えていった。

現在、木村さんは、就活CAFEの契約が満了し、ギター漫談@文筆家としてどこにもいないスタイルで再び歩き始めた。自身のテーマである、「無意味だったり、遊びに見えることを真面目に追求することで仕事化する」ことを確立した結果である。「好きなことをやっていれば、誰かが必ず見てくれる」何気なく放ったその言葉が印象的だった。好きなことをただの趣味としておいておけないという木村さんは、遊びを仕事化することで自由な生き方を体現している。「仕事が忙しくて、趣味になかなか時間が割けない」そんなフラストレーションを抱える私たちに新鮮な衝撃を与えつつ、会は幕を閉じた。

イベントの様子

公開日:2018月10月10日(水)
取材・文:和谷尚美氏(N.Plus

木村ライダー氏(きむら らいだー)

木村ライダー氏

ギター漫談家 / 文筆家

1992年、株式会社リクルート入社。2000年に退社しコピーライターとして独立。企業の採用ツールなどを手掛け、リクルート・クリエイティブ・オブ・ザ・イヤーを2度受賞(審査委員長・仲畑貴志)。その後、フリーランスのライターをしながら、音楽酒場経営などを経て、2013年CD「行けたら行くわ」でインディーズデビュー。朝日新聞やMBSちちんぷいぷいなどで取り上げられる。ラジオCM出演、ネットラジオ・ソラトニワstでDJも務める。2018年、就活CAFE・転職CAFEの就職アドバイザーに就任。関西を中心にライブ活動も続けながら、コピー仕事にも注力。関西電力KASSEにて「グルメの脇道」連載中。