これからのクリエイターに必要な「哲学」とは
クリエイティブサロン Vol.140 嶋高宏氏

グラフィックデザイナーとしてのキャリアはおよそ60年。数々の受賞歴を持ち、大阪のデザイン界を牽引してきた嶋高宏氏。大学で教鞭を執りながら後輩の育成にも努めてきた嶋氏は、現代社会におけるデザイナーのあり方について問いかける。ロボット技術や人工知能技術が急速に普及する現代、クリエイターは何を大切にして創造活動をするべきか、これからのデザインの役割とは何か。今回のクリエイティブサロンでは、嶋氏がグラフィックデザイナーを目ざす原点となったできごとから、戦後の大阪のデザイン界の様子、さらにこれからのクリエイターたちに伝えたいことまで、これまでの経験を踏まえての次世代へのメッセージを、たっぷりと語っていただいた。

嶋高宏氏

戦時中に出会った「デザイン」の記憶

私が生まれたのは1938年。太平洋戦争が終わる7年前のことです。当時は、大阪の帝塚山に暮らしていました。戦時中だった子ども時代、記憶に鮮明に残っているできごとがあります。ある時、近くの街で空襲があり、自宅に焼夷弾の不発弾が落ちてきました。みなさん、焼夷弾って何か分かりますか? それは火災を起こすことを目的として作られた兵器で、油を染み込ませた綿の入った六角形の筒が何十本も束になっているものです。投下される途中でその束がほどけて綿に火が付き、街に落ちてきて火災が起きるというものです。油の染み込んだ綿埃はフワフワとあたりに飛び散って、あちこちに火が付く恐ろしい兵器なのですが、その不発の一つが、家の天井を突き破って落ちてきたのです。怖いですよね。けれど、当時一緒に暮らしていた叔父が、それを手に取って私に言ったのです。「ほら、見てごらん。きれいだよ」と。叔父は、大阪・心斎橋大丸の宣伝部長・重成 基です。物が圧倒的に不足していた時代、美しいものに飢えていたのでしょう。アメリカ軍が落としていったその焼夷弾は、淡いグレーの正六角形の筒で、側面に虹色で英語のロゴが印刷してあり、その美しさに感動! 私は5歳、1943年頃のできごとだったでしょうか。子ども心ながらも「本当だ、きれいだ」と思いました。その焼夷弾の美しさに魅入られたというのが、私自身がデザインというものを知った最初の記憶です。アメリカはその当時でさえ、国家が戦争に使用する武器に虹色の印刷を施すような余裕と、デザイン感覚があったんですね。

アリナミンV
武田薬品工業株式会社「アリナミンVドリンク」ラベル&パッケージ 1987年の発売以来、変わらず親しまれている。

大阪はかつて日本のデザイン界の中心だった

戦後、1950年代〜70年代前半の大阪は、日本のデザインの中心だったと言っても過言ではありません。今竹七郎氏、重成 基氏、早川良雄氏や山城隆一氏らが百貨店の広告で繰り広げたデザイン合戦は、日本のデザイン界全体から注目されていました。電車の中吊り広告、駅のポスターなど、社会は美しいデザインにあふれていたのです。1970年に吹田市で開かれた大阪万博も、関西のデザイナーたちにとっては大きなできごとでした。会場の設計からシンボルマーク、ピクトグラム、ポスターのデザインなど、大阪で活動する多くのデザイナーたちが、アトリエで、時には居酒屋で、議論を交わしながら個性をぶつけ合いました。大阪万博では、永井一正氏、田中一光氏なども活躍しました。しかし、関西で生まれ育った逸材は、高度成長期、東京が情報の中心地となっていった時代に、多くが東京に出て行ってしまったのです。いつのまにか関西には、優れたデザイナーが少なくなり、東京がデザインの中心に移行しました。

当時のグラフィックデザインは、もちろんパソコンが普及していない時代でしたから、すべてが手描きでした。円を“正円”として美しく正確に描けること、そして活字はレタリング技術で手描きができること。それらはプロの証でもありました。小さな文字でも手で描くことが基本でした。私たちの持っていた技術は、素人にはできないプロの技術として世間からも認められていたと思います。私たちデザイナーもそれを誇りとしていました。しかし、今パソコンが普及したおかげで、マウスを使えば子どもでも簡単に円が書けます。着色も簡単です。デザイナーに特別な技術が必要ではなくなってきたのです。そうすると、次にデザイナーに求められる力とは何か? それは哲学です。

御堂筋線ホーム
LED照明と調光機能を生かした大阪市営地下鉄御堂筋線・梅田駅、アーチ空間のデザイン。セレモニーやイベントなどに合わせて照明の色が変わる。

なぜデザインに「哲学」が必要なのか

ところで、みなさんは「哲学」という言葉を聞くと、どんなことを想像されるでしょうか。デカルトやカントのような哲学者でしょうか。私たちは哲学と言うと「難しい」「分からない」と、敬遠しがちです。それは、日本では哲学という概念を学問という枠の中に閉じ込めてしまっているからです。しかし本来哲学というものは、私たちの身のまわりの日常的なことに存在していると私は思うのです。そして、誰もが簡単にデザインのまねごとができるようなった時代、私たちデザイナーに必要なものは「哲学」ではないかと考えているのです。つまり、特別な技術がなくても簡単に円が描けるようになった今、私たちデザイナーがプロとして求められることは、「なぜそこに円が必要なのか」という論理だと思うのです。
たとえばここに、水の入ったペットボトルがありますね。これについて、自分の考えを述べるだけでいい。十分に哲学です。それは、自分の生き方について人に語ることができるということ。つまり、自分の作品について人に説明できるということなのです。
私はこれからの時代、デザイナーは「生活の中に根づいた哲学」をきちんと学ぶことが必要だと考えています。哲学とは決して特別な学問ではなく、身のまわりに普通に存在するものごとについて、自分の考えを語ることです。しかし今、デザイナーを育成する大学などの高等教育機関で、そのような授業がなされているでしょうか。

私は、日本人がデザインについてまちがった認識を持ってしまったきっかけの一つは、その言葉を「意匠」と訳したことが原因ではないかと思っています。意匠と言うと、見た目、つまり表面の処理だけのイメージがありますね。 ちなみに中国では「設計」と訳されています。たとえば商品パッケージやパンフレットを制作するとき、企業が何を伝えたいのかを考え、どのような形がふさわしいのかを構想して、かたちを作っていきますね。その商品やサービスを、どのように伝えたら人々に受け入れられるのかということを「設計」してこそデザインと言える。そこに必要なのはデザイナー個々が持つ「哲学」です。それはロボット技術にも人工知能にもまねができない、人間独自の営みです。だからこそ、これからますます大切になってくるのだと思うのです。

ポスター
平和紙業ギャラリーオープニング記念・エコロジーポスター。アナログとデジタルの両手法を組み合わせて制作した。

社会に対して発信・提案する者としての責任

みなさんは、デザインとアートの違いとは何だと思いますか? アートというとなんとなく高尚な感じがして、デザインというと結局は広告なんだろうと思っている人も、世の中にはたくさんいます。けれど私は、アートとデザインという概念のどちらが先にこの世界に生まれたかと考えると、デザインが先に生まれたのではないかと考えています。
「アイデア」という言葉がありますね。その語源となったギリシャ語の「イデア」という言葉は、中世ヨーロッパの哲学者によって使われていました。イデアという言葉はもともと「本質・理念」という意味であり、そこからアイデア「発想・考え」という意味に定着していきました。古代の都市構造はイデアに基づいて設計、つまりデザインされていました。都市という大衆組織が暮らす場所をつくるためには、デザインが必要だったのです。一方アートは中世まで、ほとんどの作品が宗教画や宗教音楽のように、神の世界を表すもの、神に捧げるものとしてつくられていました。「アート」という概念はまだ存在していなかった。ルネサンス期以降になって、やっと自己の発露としてのアートが確立されたのです。
アートとは自己の考えを主張するために制作し、それを定着させようとするもの、それに対してデザインとは社会的に必要とされて制作し、社会に向けて発信するもの。人が生きるということは、そこに人とのつながり生まれ、大衆という形で社会組織が生まれる。大衆に一つのイメージを与えるための方法として、デザインが存在するのです。
私たちクリエイターは、社会に向けて発信・提案している人間としての責任があります。だからこそ、そこに「哲学」が必要となると、私は思うのです。

エピローグ

哲学を内含したクリエイティブ。私たちはそれを軸にして、この先さらに進化する人工知能やロボット技術を、クリエイティブの世界にうまく取り込んでいかなければならないと嶋氏は語る。嶋氏の言う「生活の中に根づいた哲学」とは、世界規模で起こる社会現象から身近なできごと、身のまわりのものごと一つひとつに、私たちがいかに向き合い、自身の考えや見解を持つかということだろう。つまり、私たちはクリエイターであると同時に社会生活を営む一人の人間として、世の中に対する姿勢が問われているということなのだ。

イベント風景

イベント概要

デザインキャリア60年の視点 / ネット社会でのデザイナーの生き方
クリエイティブサロン Vol.140 嶋高宏氏

デザインとアートはどう違うのかを明快にしたところからしかデザインは生まれません。デザインはソーシャルなものという意識がいる。そしてデジタル社会では、すべてがネットの中に答えが存在する。ネットで勉強している限りどこまで行っても全員がスタートラインに並ぶだけ。ネット社会でのデザイナーは何を学べばいいのか?これからくるAI社会をデザイナーでいるためには。デザインキャリア60年からの視点で語る。

開催日:2017年12月4日(月)

嶋高宏氏(しま たかひろ)

嶋デザイン事務所

一般社団法人 総合デザイナー協会理事長、元大阪成蹊大学芸術学部教授、財団法人 情報通信学会会員。サインデザイン協会[金賞・銅賞受賞]/ 朝日流通広告賞[銀賞受賞]/ ボデガス・テラス・ガウダ国際ポスターコンペティション[グランプリ受賞]/ 大阪府功労賞受賞 / 大阪交通局プロポーザルコンペ「御堂筋線梅田駅 照明&駅環境」デザイン採用 / Graphis Poster 国際展、New York Art Directors Club 国際展、Finland Lahti 国際ポスタービエンナーレ等の国際展、その他受賞、グラフィックデザイン年鑑、パッケージデザイン年鑑等、収録多数。

嶋高宏氏

公開:
取材・文:岩村彩氏(株式会社ランデザイン

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