やりたいことが定まっていなかった20代からデザイナー、そして経営者へ
クリエイティブサロン Vol.130 工藤友里氏

短大を卒業後、幼稚園で保育士として働き、夢は「素敵なお嫁さん、いいお母さんになること」だったという工藤氏。そんな彼女がバッグのプランナーとなり、自社ブランドを展開、大手セレクトショップやライセンスブランドなどのOEMを手がけるまで、一体どんな道のりがあったのか。「一度も仕事を辞めたいと思ったことがない」という彼女にこれまでの歩みを振り返ってもらいながら、その軌跡を辿る。

工藤友里氏

保育士から鞄問屋へ。思いもよらない方向転換。

短大を卒業後、幼稚園に就職して4年目の頃、クラス運営にやりがいは感じていたものの「もっと他の世界を見てみたい」と、絵画教室に通い始めた工藤氏。そこで講師から「素敵な人がいるんだけど会ってみない?」と1人の女性を紹介されたことが最初の転機となる。軽い気持ちで出かけ、食事をしながら会話をする中で「あなたは何をやってみたいの?」と聞かれたが、やりたいことや目標が何も浮かばなかった。「まだ若いんだから、色々考えてみて。大切なのは目標を設定すること。目標さえしっかりしていたら、遠回りしても必ずそこにたどり着くから」。その言葉は今でもはっきりと工藤氏の中に残っている。

その後、幼稚園を退職しデザイン事務所で働いていた工藤氏は、ひょんなことから先の女性と再会。誘われるまま彼女が経営するバッグの問屋に転職することに。「正直、バッグに興味があったわけではなくて、単にその人と働きたいっていう気持ちだけだった」と話す。“何をするかよりも、誰とするか”を重視した結果、未来は思ってもいない方向へと拓けていく。

覚悟を決めてデザイナーの道に

工藤氏が入った会社は関西を代表するバッグの問屋だった。ここで彼女は、業界では当たり前とされる既存デザインのコピー厳禁などクリエイティブへの強いこだわりを肌で学びながら、有名カメラマンやデザイナーを起用したロゴや名刺、DM、ショッパーの制作などすべての窓口を担当。当時を振り返り「ここで最初のキャリアを積めたのはラッキーでした」と話す。

そして業界に飛び込んで5年が経ち、そろそろ新しいことにチャレンジしたいと就職活動を始めた頃、社長から思いがけないことを言われる。「デザインやってみない?」。あまりの予想外のことに、とっさに出た言葉は「私にできるんですか?」だった。「10年はかかるわよ」という社長の言葉に間髪入れず「やらせてください」そう答えた。

しかし、現実は甘くなかった。基本もないままに何をデザインしてもダメ出しをされる日々。何がどうダメかもわからずひたすら図面を引き続けた。デザイン業務にどっぷり浸かって8年、成長していくにつれ、「もっと違う経験がしてみたい」そんなデザイナーとして当然ともいえる欲が生まれ、転職を決意。次に入社したのは、メーカーの企画室だった。企画室には7名のメンバーがおり、工藤氏は大手百貨店のアクセサリーやハイブランド、PBなどを担当。2年ほどの在籍だったが、得るものは大きかった。

商業施設の期間限定ショップ

独立、出産、メビックとの出会い。

メーカーでの経験を経て、いよいよ独立への意欲が高まるが、不安も大きかった。すでに結婚しており、経済的には安定していたが工藤氏には強く決めていたことがあった。それは「絶対に主婦の片手間のような仕事にしない」ということ。やるのなら一人前に、そして1人気ままにフリーランスとしてではなく、組織を作って自分がこれまで学ばせてもらったことを人にも伝えること。そういった強い思いを胸に2002年、地元夙川で企画会社を立ち上げた。数社がシェアするビルにオフィスを構え、ビジネスをスタートさせたところで第二子を妊娠。出産後すぐに仕事に戻り、保育所に預けるタイミングでメーカーの多い大阪市内にオフィスを構えようと考えていたところに、大阪市のビジネスインキュベーション施設「メビック扇町」を紹介された。メビックでは場所を借りるだけではなく、年に一度、財務状況や売上予想、成果報告の義務があり、最初は戸惑ったものの徐々にビジネスに対する意識が磨かれていく。

店舗外観
西宮市夙川にある INTRODUCTION 直営店

当時、商社やメーカーなど5社ほどのクライアントを抱えていたが、企画だけに経費はほぼかからず、利益が出ることで税金の額が上がっていく。そこで、「どうせ税金を払うなら、そのお金で好きなものを作ろう!」と2008年に自社ブランド「イントロダクション」をスタート。ブランドは通常、しっかりとした経営基盤のある大手ブランドが戦略的に立ち上げるものだが、まだまだ小さい組織だったにも関わらず、工藤氏はこれまでのメーカーや問屋での経験から大手と同じような手法で展示会や型代など多大な費用をつぎ込んでしまう。「何にも考えてなかったんですよ。今考えるとめちゃくちゃな事をやっていましたね(笑)」

それでも会社がうまく回っていたのは、企画の売上があったから。工藤氏はコネクションなどまったくないにも関わらずエストネーションやアーバンリサーチ、トゥモローランド、ユナイテッドアローズなど錚々たるセレクトショップにどんどんアポを取って口座を開き、当時の売上は企画がほとんどを占めていた。「怖いもの知らずなだけ」と本人は自身を評するが、これまで積み重ねてきた成功体験が原動力になっていることは想像に難くない。ただ、「作る」ことに関してはプロフェッショナルであっても、当時ビジネスはまだまだ素人。適正な掛け率もわからずに商談をし、失敗することも。全て経験しながら学んでいったという。

自社ブランドの成功。「これでやっとスタートライン」。

数々のセレクトショップのOEMや芸能プロダクションの企画商品、百貨店のPBやODMなど様々な企画を手がけ、その売上で自社ブランドを育て上げ、今では企画と同等の売上になった。立ち上げから9年。「控えめな主張」をコンセプトに掲げるイントロダクションは百貨店の出店をメインに現在、4つのラインで展開している。

「子育てを言い訳にしたり、家族を犠牲には絶対したくなかったので、少し時間がかかったかもしれませんが、企画がなくても自社ブランドで事業が成り立って、社員やパートさんを抱えて、なんとかできるようになった今、やっと会社として、経営者としてスタートできたという気持ちです」

会場風景

イベント概要

企画・デザイン会社が、自社ブランドを開発、展開し軌道に乗せるまで。
クリエイティブサロン Vol.130 工藤友里氏

長年、バッグ・財布の企画デザイン室勤務を経て、バッグ・財布の企画に特化した服飾雑貨の企画デザイン会社 有限会社トンを12年前に設立。企画・デザイン業務と、もう1本の柱として、7年前、自社ブランド「イントロダクション」を立ち上げ、2010年春夏コレクションから展開スタート。現在までの経緯、今後の展望の話を通して、デザイン会社が、自社プライベートブランドの開発、展開を軌道に乗せるまでの紆余曲折の話をさせていただきます。

開催日:2017年07月04日(火)

工藤友里氏(くどう ゆり)

有限会社トン

短大卒業後、幼稚園教諭を経て、ひょんなことからバッグ業界に入る。全くの素人からバッグデザイナーに育ててもらったバッグの問屋で12年、バッグのメーカーの企画室に2年、フリーのデザイナーを2年経験した後、2005年5月 バッグ・財布に特化した服飾雑貨の企画会社 有限会社トンを設立。百貨店ライセンスブランド、アパレル、セレクト、通販、テレビ、タレントバッグなど、幅広く企画し、国内外に生産背景あり。同時期から5年間、メビック扇町のインキュベーション施設に入居。2010年春夏より、国産バッグ・財布オリジナルブランドである自社ブランド「イントロダクション」を展開。西宮市夙川に直営店をはじめ、百貨店、卸、通販、ネットで全国に展開。

http://www.introduction-bag.com/

工藤友里氏

公開:
取材・文:和谷尚美氏(N.Plus

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。