将来の自分と会社の未来、そしてスタッフのために。10年目で見つけた「サバイバル術」。
クリエイティブサロン Vol.120 小久保あきと氏

今回の「クリエイティブサロン」のゲストスピーカーは小久保あきとさん。デザイナーとして活躍する小久保さんの前職は、銀行員。まったくの異業種からデザイン業界に飛び込み、独立してすでに10年が経つ。代表を務めるクリエイティブスタジオ グライドは、スタッフを5人抱えるまでに成長した。はたして小久保さんは、どのようにしてデザイン業界の厳しい荒波を乗り越えて今の立場を築いたのか? 小久保さんが体得した戦術には、クリエイターたちがそれぞれの業界を生き抜くヒントが散りばめられていた。

小久保あきと氏

「売れるためのデザイン」を掲げて10年

小久保さんが代表を務めるクリエイティブスタジオ グライドは、商品パッケージや、パンフレット、ホームページなどのデザイン・企画から印刷までを手がけるデザイン会社。とくにパッケージデザインには力を入れており、「売れるデザイン」がコンセプトだと話す。制作実績は、洗練されたスマートなパッケージから、商品名が中央に大きく配置されたわかりやすいものまで、実にさまざま。

「例えば百貨店のお客さんと量販店のお客さんとでは、響くポイントがまったく違うんです。ターゲットに合わせたデザインをしていかないと、結果は伴わない」と小久保さん。「売れるためのデザイン」とは、小久保さんが2006年にグライドを設立した頃からの“想い”でもある。「当たり前のことですが、それができていないデザインは意外と多いです。どれだけかっこいいデザインでも、売れずに棚から下げられたら意味がない。見た目にとらわれず、商品の魅力を引き出し、“らしさ”を伝えることがデザインだと思うんです」

そのコンセプトを掲げて10年。現在、大手製薬会社や食品メーカー、某プロ野球チームなど、さまざまなクライアントと信頼関係を結んでいる。順風満帆にも見えるグライドだが、ここにたどり着くまでには紆余曲折の道のりがあった。

パッケージデザイン

デザイン会社で培ったスキルが独立後の財産に

もともと銀行員だった小久保さんがデザイン業界に転身したのは1997年のこと。一念発起して退行し、憧れのデザイナーの道へ進むべく、デザインスクールに入学。基礎を習得し、小さなデザイン会社に就職した。この会社で得たことが、今につながる財産になっているという。「机の上でデザインをするだけではなく、営業活動やクライアントとの打ち合わせから、紙の仕入れ、印刷会社とのやりとりまで、すべてやらなければならなかった。おかげで印刷物の知識が身につきましたし、打ち合わせで何を聞いたらいいのかも知ることができました」

さらにスキルを伸ばそうと別のデザイン会社に転職したものの肌に合わず、わずか1カ月で退社し、2006年に独立。グライドを設立した。「独立した最初の月の売り上げは4万円。『どうすんねん』とケツに火がついた」という小久保さんが取った手段は、最初に勤めたデザイン会社で覚えた電話営業。「電話帳の『あ』から順番にかけて、『お』まででアポを取れたのが2、3件でした」。当時はこの手法で、ほとんどのクライアントと代理店を通さない直接取引をして、新規顧客を開拓していった。

プロ野球のチラシ

会社存続の危機を救った「将来のビジョン」と「戦略」

徐々に軌道に乗り始め、2008年にはスタッフを雇用し、2人体制となった。しかしスタッフは3カ月で退社。その後も雇っては退社するという状態が続いた。その原因を「スタッフを育てるということをまったくしていなかった。このままではマズイ……と気付かされました」と小久保さん。さらに将来に危機感を覚える出来事が。「スタッフの募集をかけると、僕のような若造の事務所に50歳以上の先輩デザイナーの方がたくさん応募してこられたんです。さまざまな事情があると思うんですが、自分に置き換えたらめちゃくちゃ怖いな、と」

そこで、小久保さんが掲げたのは将来のビジョン。「どんなデザインをするのか」、「将来どうなりたいのか」という明確なビジョンを持ち、実現するための戦略を立てた。2011年に掲げたビジョンは「商品が“売れる”デザイン」と、将来あるべき姿として「好きだと思うデザインをやり続けるためにデザイナーとして生き残りたい」というもの。それらを実現するために立てた戦略は、パッケージデザインが得意だと全面に打ち出す「他社との差別化」、「組織力の強化」としてスタッフの増員。さらに、ライターやイラストレーターなど外部のパートナーともつながり、仕事の幅を広げる「チーム化」。

同社HPでパッケージデザインが得意と打ち出したことで、HPからの問い合わせが増え、カメラマンやライターと商品のブランディングも手がけた。ほかにもフィギュア作家とのコラボポスターを制作するなど、仕事の裾野がぐっと広がった。

パッケージデザイン

力を発揮できる場所で、得意なことを武器に、前に進む。

手応えを感じていたものの、次第にスタッフの成長と人材がなかなか安定しない状況に。数字が伸び悩み、社内の雰囲気もマンネリ化しはじめた。ふり返ると、最初にビジョンを立てたときから3年の月日が流れていた。「これまでのビジョンの見直しが必要だ」と感じはじめた小久保さん。2015年は、スタッフに目標や夢を見せてあげられるようなビジョンを掲げようと決めた。

そこで、これまでの、「売れるためのデザイン」に、「その先にあるワクワク感をつくり出すデザイン」という言葉を付け加えた。「これまで『売れる』ことに執着していたんですが、デザインひとつで『いいな』と心動かされるってすごいと改めて思ったんです。そして僕たちも、それをめざしていくべきではないかと考えました」。自分たち自身が楽しみ、クライアントにも楽しんでもらい、そしてエンドユーザーにもワクワクしてもらう。そんな想いを乗せて、「Circle of design〜デザインでわくわくを〜」をフィロソフィーとした。

事務所も移転させ、社内のコミュニケーションがとりやすい環境に。また、「スタッフみんながパッケージデザインだけをやりたいわけじゃない。メインにして受ける仕事と、それ以外に『自分たちが発信している』と思えることも手がけて、楽しみながらずっとここで働きたいと思ってほしい」とも。

そして「勝負する場所を作る」という戦略も。最近では、海外の飲食店のパッケージを手がけている。「何が受けるかわからないのがすごくおもしろいし、刺激的ですね。それに、ライバルがいない。海外に進出している中小企業もあるので、まだニーズがあるかもしれないと思っています」とさらなる海外進出にも目を輝かせる。

「ようは、自分たちの力を発揮できる場所で、得意なことを武器に、前に進む。“行けばわかるさ”です」と、大好きなプロレスラーの名言になぞらえて笑った。

会場風景

イベント概要

デザイナーとしての生き残り方。 ~ビジョンと戦略~
クリエイティブサロン Vol.120 小久保あきと氏

デザイナーとして生き残れるのか? 想定外の理由で独立して丸10年。一般企業からの転職でデザイン業界に飛び込み、知識や経験で遅れをとっている。ましてや仕事もほぼなかった独立当初でしたが、デザイナーとして生きていくという想いを胸に、自らのデザインに対するビジョンの明確化と生き残る為の戦略を立てます。その結果、自分も事務所も少しずつではあるが成長。この10年を振り返り、具体例を交えながらデザイン業界で生き残り、成長していく自分なりの方法をお話します。

開催日:2016年11月24日(木)

小久保あきと氏(こくぼ あきと)

クリエイティブスタジオ グライド代表。
1973年兵庫県生まれ。法学部を卒業後、地方銀行に就職。デザインスクールを経て大阪のデザイン会社に勤務。2006年にグライドを立ち上げる。
商品が「売れる」ための、そしてそのデザインに関わる人すべてが「ワクワクする」デザインをコンセプトにかかげ、得意とするパッケージデザインを中心に、食品、医薬品、雑貨、プロ野球など幅広い業界の企業、店舗の販促ツールのデザインを手掛ける。

https://www.gride.biz/

公開:
取材・文:中野純子氏

*掲載内容は、掲載時もしくは取材時の情報に基づいています。