街のリアルを熱いまま、お届け
掘れば掘るほど面白い、地元メディアの魅力
クリエイティブサロン Vol.99 中島淳氏

ソーシャルメディアを中心に、地域のモノやコトをローカルから発信するメディアが今、共感を得ている。中島淳氏は2006年に版元である京阪神エルマガジン社を退社、同社の江弘毅氏と編集出版集団140B(イチヨンマルビー)を設立。以来、代表取締役として単行本の出版や、雑誌やPR誌の編集に取り組む。そこに住んでいればこそ、知りたい等身大の情報を集めた地元メディア。これらを編集する視点、方法論とはいかなるものか語っていただいた。

中島氏

マーケティングでは見えない、街のおもしろさ

140Bの中島淳氏の編集者としてのキャリアは、83年にアルバイトとして入った京阪神エルマガジン社から始まる。『エルマガジン』の映画担当として映画館に電話し、正しい情報を確認して原稿用紙のマス目を埋める作業を続ける日々。そんなある日、エルマガジンの別冊を制作するため編集部の一角を占めていた、神戸新聞マーケティングセンターの人たちの仕事に驚く。彼らはネタを取るため朝からずっと電話をかけまくっていた。さらに朝つかんだネタを昼に取材、夜には原稿ができ上がっているというスピード感。この人こそ、後に雑誌『Meets Regional』の編集長を12年間務め、140Bをともに立ち上げる江弘毅氏だった。今いちばん熱い情報をライブ感溢れる原稿にし、面白いものを面白い順に載せるという編集方法が衝撃的だった。「同じ雑誌をつくるにしても、筋肉の使い方が全然違う。こっちのほうが断然面白そうだなと思いました」

次に異動となった女性誌の『SAVVY』時代には、取材のシステム化への疑問が湧き上がる。「新しい店ができると雑誌にプレスリリースが届き、オープニングのレセプションに行って店を取材する。しかし開店したての店の性格やノリなんて分かるはずもなく、店にも読者にも失礼だと思えてきた。今思えば“広告が入る→ページを増やす”そんなメカニズムのなかで、自分は猫の手のような存在だったのかなと」

そこから現在の店の評価基準についても言及。「店を点数で図るなんて馬鹿らしい。ガイドブックで星を獲得したりグルメサイトで点数が高ければ、一気に客が増えたりしますが、極端なことをいえば年がら年中一見客を相手にしている状態で、店側も消耗してくる。それとは別に老舗の名店にはうるさがたの常連客がいて、客が店を育ててきた伝統があります」。ランキングや点数では店は育たない。情報を食べに行っているのか、料理を食べに行っているのか、分からないとも。たとえば次に中島さんが異動となった『Meets Regional』の店紹介。写真はほとんど客入り。それもみなさん揃いも揃ってリラックスした表情で。これは開店前に取材に行ってよそ行きの顔をおさめるのではなく、店のピーク時を狙って行くからこそ撮れた、その店の素顔だ。時に濃厚な息遣い、ハッピーなバイブレーションまで、その店ひいては街の匂いまで漂っている。常連客が場の空気を醸す、その証だ。店とは場であり、そこに集う人がそこにしかない空気を形成していく。これはビッグデータのようなマーケティングシステムではとうてい拾うことのできない、リアルな街の表情。このスタイルを確立させたのは前出の江氏だ。「自分の感覚を信じて、それに向かって突き進む彼のスピード感には、いつも感心する。最近では自分で写真も撮っていますよ。アポ取ってカメラマンと待ち合わせしていたら、店を身構えさせて“その店のええ瞬間が死んでしまう”と言ってね」

中島氏
1990年代後半、『エルマガジン』編集長時代の中島氏。

地元メディア編集の“身体の使い方”を覚えた
『月刊島民』

2006年2月にエルマガジン社を退職して、4月に「140B」設立。東京から進出した出版社も撤退しはじめた時期だが、「出版は大変だけど、まだ可能性はあるかも」。そんな想いもあった。2008年には『月刊島民』を発刊。「この雑誌をやってよかったのは、今はなき蔵屋敷のように眼に見えないものでも、取材や掲載の対象にできたこと」。磁場がずっと続いてきた経緯を学者的な上から目線でないところで、いかに上手く伝えられるか苦心した。『月刊島民』は当初8ヵ月で終わる予定であったが、読者からの反響があり継続が決定、今年11月で100号を迎える。「紙だけのメディアでなく“場”もつくらないと」ということで、ここから市民が学ぶための講座・街歩きツアー・ワークショップを展開するプロジェクト『ナカノシマ大学』を立ち上げ、現在も月1、2回のペースで開催している。そもそも中之島には、享保年間に『懐徳堂』という町人が自由に学べる私塾をつくりあげた歴史があり、それを現代に蘇らせたカタチだ。また2011年からリニューアルした『大阪人』も休刊までの一年間、編集を手がけた。「これまでは消費にアクセスするための情報を多く扱ってきたが、『大阪人』では知的好奇心を刺激されるようなものを目指しました」。この雑誌を手がけたことで「逆に大阪のことを“全然知らなかった”ことが分かりました(笑)」。

作品

『島民』を始めたことで「筋肉の使い方」が変わり、狭い範囲でも面白い「地元メディア」がつくれることを学んだという。そこから手掛けたエリアは、堺・八尾・大正区・西区・鶴見区・築港・天保山などなど。縁もゆかりもない土地へ乗り込んで面白いネタを拾うコツについて、現在も続く『Yaomania』を例に語る。「八尾を初めて訪れたのは鬱々とした雨の日曜日で、商店街のシャッターは軒並み閉まっているのに、なぜか陽気な空気が漂っていた。編集者はこういう“足を踏み入れた時に磁場を体感できるセンサー”を鍛えておかないと。どの街も行ってみたら、きっと何かある。それを先入観を持たずに受け取ることも重要。あと車で走っても街の本当の良さは分からないですね。歩くか自転車でないと」。車だと一瞬で流れてしまう風景も、自分の足で歩けば立ち止まって凝視できる。そんな街との付き合い方が必要だ。

会社員時代の消費的な情報誌を経て、ニュースを生み出す地場や土地柄の面白さについて考えるようになったのは、50歳を過ぎてからだという。「毎年のように発表される『住みよい街ランキング』には、自分が仕事をしている堺や八尾は入らない。いったい何を見ているのかと」。たとえば八尾の平野川を取材していた時、年配の女性が自転車で転ぶ場面に遭遇。それをまわりの見知らぬ人たちが集まって、連携プレーで助けるのを目の当たりにしたという。「そういうランキングの指標にならないことこそ、街の魅力なんです」。数値化され、記号化された情報ではなく、街の面白さを通じて見えてくるものにこそ価値がある。それをすくい上げていくことが、編集者たる自分たちの仕事だと語る。

大阪はよそ者を受け入れ、楽しいことができる街

中島氏のルーツは九州・博多(生まれは小倉)にあり。父親も地元メディア『フクニチ新聞』(夕刊・1992年に廃刊)のデスクであり、「人にものを伝えるということに影響があったのかも」。小学六年生で、堺へと引っ越してきた中島少年には目に映るものすべてがカルチャーショックの連続だった。ベトナムへの出撃基地であった板付米軍基地(現在の福岡空港。当時は基地と共用)にほど近い街で育ち、60年代のアメリカ文化の洗礼を受けた。そこから古びた町家が並び、軒先から線香の匂いがする旧堺の街には当然馴染めず、逃れるように泉北ニュータウンにある高校、さらに神戸の大学へと進んだ。そんな中島氏が今多く手がけているのが、八尾をはじめとする地元メディアだから不思議なものだ。九州から来た人間からすると、堺や岸和田、東大阪、八尾の人たちが戦国時代の話に詳しいことに驚かされるという。「たとえば私が“木村重成”という武将の名前を覚えたのは、布施の知り合いが何度も力説するから。しかも彼らの語り口は熱く、引き込まれるものがある。磁場から及ぼされるDNAは凄いなと痛感します」。地元メディアでは、そんな昔からある磁場の物語を掘って書くほうが、その地に興味を持ってもらえるはずだ。「『Yaomania』では川の特集をやっているのですが、今では小さく汚れてしまった川が、実は江戸時代の物流ハイウェイだったことが分かった時はちょっと興奮しました」

ちなみに九州の人間が大阪の人間にかなわないと思うのは「自分を笑えるという強さ」。これは世界に通用する大阪人の美的センスだという。「エリアごとに仲が悪いというのも大阪的ですよね」。その根底には地元愛がある。「大阪はよそ者が入ってきて、楽しいことができる余地のある街」だという。いわば、これは大阪のお家芸のようなもの。「大阪の磁場というのは昔から人と人が出会っては分かれ、物が流れていく関係が街をつくっていて、ふだんは意識しないけど、時としてあらわになる。それを見つけた瞬間がたまらなく面白い。今の仕事は、そういうことの入り口に立っているかなと思います」

イベント風景

イベント概要

クリエイティブサロン Vol.99 中島淳氏
地元メディアをつくって覚えたこと

「中之島のネタで毎月続くんかいな」と言われながら発刊した『月刊島民』が、この11月で100号を迎えることになりました。『島民』を始めたことで「体の使い方」が変わり、狭い範囲でも面白い「地元メディア」が出来ることを学びました。その延長上で本も出版し、たまに売れたり売れなかったりの日々。会社を立ち上げて10年になりますが、試行錯誤はこれからも続きます。手がけたメディアは大阪だけでも中之島、堂島、大正、西区、鶴見区、堺、八尾……とどこも全く似ていませんが、それぞれに味があります。街を映す「メディア」の話を皆さんとぜひ。

開催日時

2016年6月21日(火)19:30〜21:00

会場

メビック扇町 ロビー

中島淳氏

株式会社140B(イチヨンマルビー)代表取締役
1958年福岡県生まれ。神戸市外国語大学中退。83年京阪神エルマガジン社に入社。エルマガ、サヴィ、ミーツの編集、広告を経て販売部へ。販売時代にミーツ別冊『京都本』や『日帰り名人』の発刊にかかわり、2006年退社。同年4月、江弘毅氏らと共に編集集団140B設立。08年夏に『月刊島民』を発行し新しい地域ミドルメディアの形を提案。翌年に「ナカノシマ大学」も立ち上げる。09年から出版社としても業務開始。主な出版物としてバッキー井上『京都店特撰』、『アラン・デュカスのひと皿フレンチ』、鷲田清一・内田樹・釈徹宗・平松邦夫『おせっかい教育論』、『Wao! Yao! 八尾の入り口』、『西加奈子と地元の本屋』、松本創『誰が「橋下徹」をつくったか』、黒田一樹『すごいぞ! 私鉄王国・関西』など。
株式会社140B

公開日:2016年08月03日(水)
取材・文:町田佳子 町田佳子氏