自分のやり方を正論化して進化し続ける仕事術
クリエイティブサロン Vol.93 福森正紀氏

世間の話題をさらう数々の広告で、国内外のデザイン賞や広告賞に輝いてきたThree & Co.(スリーアンドコー)の福森正紀さん。不器用に生きてきた中でたどり着いた、「自分のやり方を正論化する」セルフブランディングの極意とは? コワモテなだけではない、柔軟性と先を読む目。エネルギッシュなその語りには、「なぜ大阪を拠点にしながら今のようなポジションで仕事ができるのか?」という問いへの答えがあった。

福森正紀氏

Macがもたらした希望と、ある社長との出会い

福森さんが最初のデザイン事務所に就職したのは、まだアナログでの原稿制作が主流だった時代。

「写植の紙焼きを1日中やってたり、15段の新聞広告の罫線をロットリングで引くだけの作業に半日もかかって、先輩から定規の角でチョップされたり。何度辞めようと思ったか(笑)」

しかしそんな福森さんの前に、Macが登場する。今よりはるかに高価で機能も少ないマシン。使いこなせる人はまだ社内にいなかった。折しもバブル崩壊直後で、ヒマはあった。「これをマスターしたら、チャンスが巡ってくるはずだ」。そう信じてガイドブック片手にMacを学び始め、そのうちオリジナルのタイポグラフィ制作にのめりこんでいく。夜な夜な仕事を言い訳に会社に居残って作品づくりに夢中になったり、本棚にあった山のような美術書やデザイン書を読みあさったり。そんな福森さんに、次第に「お前こんな仕事やってみるか」という声もかかるようになる。

やがて福森さんにひとつの出会いが訪れる。ある大手家電メーカーの子会社を率いる敏腕社長の自伝デザインを手がけることになったのだ。20歳の若者は、約1年かけて毎週のように引退前の紳士のもとに足を運び、その語りに耳を傾けることになる。

「当時から将来は独立しようと決めていたから、その社長の話はすごく響きました。要は“自分で決めて動け、分からなければ人に聞け、信念を持ってブレるな、その代わり納得させろ”と。お前が先頭に立って成功させた事例を見たら、人は絶対ついてくる、ということなんです」

「結果を出せば、それは正論になる」。今も福森さんを支える哲学がその時根を下ろした。

腹をくくって勝負すること、そこから生まれる突破力

やがて大手制作会社に転職して腕を磨いたのち、27歳で尊敬する先輩アートディレクターが立ち上げた会社に入社。

「まだ全然仕事もなかった初めの頃に、大手メーカーの社外アートディレクターを選ぶコンペに参加させてもらうことになって、僕は全力かけた案を持って行ったんです。でもコンペを主催した代理店から、“プレゼン費はタダ”と言われてブチ切れてしまいました。今でこそプレゼン費がなくても驚きもしませんし仕事として受けますが、当時は何か足下を見られてる感じがして……」

「なめてんのか!」と叫んで机を蹴り上げた瞬間、周囲が凍りついたのを見て、「目の前は真っ白、あ、俺もう終わった、この世界で食うていかれへん」と思った福森さん。しかしそれが逆に「関西にこんなアホな若いやつがいる」とクリエイティブ局長の知るところとなり、アイデアも面白いというわけで、後日正式にその案が通ってしまったのだから世の中わからない。
何よりありがたかったのは、騒動の直後、青ざめて帰ってきた福森さんに「やるなあお前、その調子や」と笑って言い放ち、ひと言も責めなかったボスのこと。まだろくに仕事もない崖っぷちの状況で、腹をくくって自分に賭けてくれたボスへの感謝が、「絶対このアイデアを成功させてやる」との思いを強くした。もちろん目に見えないプレッシャーも。
さっそく福森さんを中心に気鋭のスタッフが集結し、ポップでファンキーな広告が作り上げられるが、今度はそこにクライアントからNGが突きつけられることに。

「担当上司に呼び出されて、こんなふざけた広告は掲載できないと言われて。でも僕は、担当上司に理解してもらうためにやってるんじゃない、若い世代に訴える尖った広告を作るために呼ばれたんだから、これがNGであれば僕では無理だから辞めますと言ったんです。そこにあったのは過去の経験からの根拠のない自信だけでした」

福森さんの情熱に押される形で世に出た広告は、ライバル企業の宣伝部長も悔しがるほどのセンセーションを巻き起こした。何より嬉しかったのは途中からクライアント担当者も味方になってくれて、企画を会社に通すために一緒に考えてくれたこと。

「情熱を持って腹をくくって周りを巻き込んでいけば、やれないことなんてないんだと思いました。それからですね、俺はアートディレクターとして食っていくんだという覚悟が決まったのは」

20代後半の福森氏
当時の福森さん。事務所でサムネイルと格闘中。

自分のやり方を正論化するには、作るもので証明するしかない

やがて会社は東京に移転することになり、福森さんは2004年にThree & Co.を設立。初めの5か月はほとんど仕事がなくピンチに陥るが、「前回の仕事より105%でも110%でもいいものを」と自分を追い込む姿勢で、周囲の信頼を獲得していく。

「プロである以上100点は取れて当たり前、それ以上のものが求められるわけです。だから常にいい意味で期待を裏切りたいし、引き受けたことはどんなにもがいてでもやりとげるという自負はあります」

今では大手代理店のプランナーからダイレクトに依頼を受けて、まずプロモーションの核となるキービジュアルをThree & Co.が作り、そこからCMやWeb、紙媒体、キャンペーンなどといったアウトプットを派生させていく手法も定着。デザインだけでなくほとんどの撮影やCGまで社内でこなしてしまうのも珍しいスタイルだ。

「自分たちのやり方を押し通すには、スピードと質を上げるしかない。あさってカンプがいるなら明日上げる。それを続けていくと仕事のオファーも増えるし、たまにはクライアントに無理も聞いてもらえるんです。セルフブランディングって、自分のやり方を正論化するのが一番手っ取り早いけど、それは作るもので証明するしかないので、そこが一番難しいところです」

Three & Co.が、サントリーやグリコといったビッグクライアントの依頼を受け続けている理由の一端が伺える。実際にこれまで手がけた作品を映写しながら解説していく福森さん。その舞台裏の苦労話や驚きのエピソードに会場もぐいぐい引き込まれていく。

手がけたグリコのキャンペーン
AKBの人気メンバー6人の顔を合成してバーチャルアイドル「江口愛美」を作り上げた、グリコ「アイスの実」キャンペーンは、世間に強烈なインパクトを与えた。

自分なりの進化を模索しながら次の10年の生き方を考える

Three & Co.を立ち上げてから12年。40代に突入した今、その眼にはどんな景色が映っているのだろうか。

「今後5年10年で、関西でアートディレクターやグラフィックデザイナーという業種は衰退して、生き残れる人とそうでない人が明確にセグメントされていくと思います。僕らが思ってる以上に業界の変化のスピードは速いので、僕も本当に危機感しかないです」

関西企業が続々と東京に本社移転し、一極集中は進む一方。その中で大阪にいながらにして、いいクリエイティブを作り続けるにはどうすればいいか、ずっと考えているという。若いスタッフに繰り返し言うのは、「もっと貪欲に尖れ」ということ。自分自身もかつて年上のオトナたちにそうしてもらったように、信念をもって真正面から物事にぶつかっていく力を信じたいのだろう。

「これまで失敗も山ほどあるし、辞めようと思ったことは1万回ぐらいはあります。でも時間がたてば忘れるし解決もするし、おかげで図太くなったし丸くもなりました(笑)。昔のように尖ってばかりはいられないけど、僕はこれからも従来のやり方に固執しないで、失敗しながらでも新しいことをどんどん取り入れて進化していきたい。これまではやらなかったけど、今年はやってみようかという仕事もいっぱいありますよ! それにこれしかできないし」

「デザインに常識はない」そして「自分はやっぱりデザインが好き」。そう気づいた駆け出しの頃の思いを原点に、これから福森さんが生み出していく大阪発クリエイティブ、ますます目が離せなくなりそうだ。

会場風景

イベント概要

デザインで食べていく
クリエイティブサロン Vol.93 福森正紀氏

29歳でデザイン会社を設立し早12年、毎日目の前にある仕事をこなし続けるのがやっとで、目標とか考える事も出来ませんでしたが今年42歳になり次の10年どこを目指しどう動いていくのかを模索中……。これまでの10年これからの10年をお話しできればと思います!(想像ですが……笑)

開催日:2016年4月22日(金)

福森正紀氏(ふくもり まさき)

Three & Co.

Three & Co.代表 Art Director / Graphic Designer
1974年生まれ。’04年 Three & Co.設立。グラフィックデザインの視点を軸に、マスコミ広告、ブランディング、CI、VI、パッケージ、エフェメラ等のアートディレクションなどを手がける。

http://www.three-co.jp/

福森正紀氏

公開:
取材・文:松本幸氏(クイール

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