クライアントに福を招く招福図案家
牧野 博泰氏:ヴィジュアル計画 mare

事務所風景

扇町公園近くのオシャレな小箱のCafeが立ち並ぶ一角にある「ヴィジュアル計画マーレ」。
壁一面の大きな本棚にジャンルがさまざまなデザイン本が並ぶ。
カリグラファーで、タイポグラフィーやロゴ・マーク制作などを手がけ、幅広く活躍されるグラフィックデザイナーの牧野博泰さん。
名刺には「招福図案家」と一風変わった肩書きが。
デザイナー一筋28年。招福図案家とは、いったいどのような人物なのだろうか。

生涯デザイナー宣言

牧野氏

牧野さんが初めに勤めたデザイン事務所は何でも自分でしないといけない仕事場だったそうで、今では中々お目にかかれないカラス口やロッドリングなどの器具を使って仕事をされていました。まだ器具の扱いに慣れない新米の頃は「牧野くんは下手くそだからまだまだ無理だね」と皆の前でけなされる毎日。
「僕らの時代では皆の前でけなされるなんてあたりまえですよ。だからくっそーって毎日めちゃくちゃ勉強しました。」と笑顔で笑い飛ばす牧野さん。
デザイン事務所に6年間勤務の後、デザイナーが400人ほどの広告代理店に転職。
そこでの仕事はデザイン事務所の取りまとめ、いわゆるディレクター業。
デザイン事務所が上げてくる作品に納得がいかない場合には、目の前で作品を破り捨てたことも。
デザイナーに任せていた作品が気にくわず、「それはお前の仕事じゃない!」と怒られながらも、結局自分でこっそり作品を手直しすることに。制作用の照明が明るい仕事場ではなかったので、ぐんと視力が落ちたそう。

「気にいらないモノを提出するのは、自分が恥ずかしい。」

と、自分で関わって仕事がしたい、デザインがやりたいという思いがあって、わずか半年で辞職してしまう。

やっぱり文字が好き

作品

多くのデザインに触れてこられた牧野さんが、魅了され続けるタイポグラフィーの世界とは。
タイポグラフィーとの出会いは社会人として初めて務めたデザイン事務所時代。ある日、隣りの席の先輩がせんべい屋のロゴの制作をしていた。雰囲気を出すために筆で文字を書きロゴにしようとしたが、有段者である先輩がつくり出す文字は、美しい文字だが、あまりイメージ通りのモノができなかった。
そこへ、牧野さんがトイレットペーパーに筆で文字を書いてみたところ、ペーパーに墨がにじみ、なんともいえない絶妙な雰囲気のある文字が完成。それがお客さんに気にいられ、実際に商品化したという。まだ駆け出しデザイナーだった牧野さんには大変印象的な出来事だった。

この手法は未だに使うそうで、お気に入りのトイレットペーパーもあるとか。表現する道具もさまざまで、時には指であったり、ガラス棒なども使用するそうだ。

「ずっと描いていると文字が文字に見えなくなってきて、イラストのようなビジュアルに見えてくる、『ゲシュタルト崩壊』状態になるときがあるんです。文字の形をぎりぎりのところでぶっ壊す。それがなんともワクワクしてオモロいんです。」

その文字とヴィジュアルのせめぎ合いは何がきっかけとなるのだろうか。日本という漢字を例にとって、

「文字である前に各国のイメージ、その国の歴史、性格とバックボーンがある。受け取る側がどうとられるかでモノの印象は違う。それを含めて制作するんです。」

と自分の作ったものを語る牧野さんは、作っているときのワクワク感が作った後も溢れ出ているようで、こちらまでワクワクした気分になった。

クライアントに福来れ

牧野氏

独立されたのは1990年、30?31歳頃。
「作業しているときのワクワク、ウズウズ感がたまらない。小さいコトにこだわってつきつめていくのが好きなんです。例えばミニカーを一生懸命キレイに並べている時みたいな。」

と、再びデザイナーの道に。
独立してさらに自分の納得がいく仕事にこだわり続ける。

「やっぱり自分のやりたい仕事がしたい!せっかく独立したんだから!」

と、安定した収入源となっていた大手クライアントの一般グラフィックの仕事を断り、かねてから熱望していたタイポグラフ、カリグラフの道を突き進む。
「今だに後悔もしています。会社が傾くどころか、本気でつぶれかけましたよ。(笑)」と冗談をいう牧野さん。
それでも、現在ではタイポグラフィー協会に所属され、プロとしての意識がより高まり、タイポ、カリグラフのプロフェッショナルとして様々な分野で活躍されている。

「周りの土台をしっかり固めないと自分の本当のコアな部分ができない。そのために様々な経験が必要。自分の好きな仕事だけしていると本当にその仕事が好きかわからなくなってくるからね。」

との言葉に、クリエイターの卵として日々悩む私自身も大変共感を覚えた。

「自分にしかできないこと、自分にしか見えないことがあると思うんです。」

期待感と意外性が作り手としては必要という。

「お客さんのいいなりで自分の気にいらない商品ではいいものができないし、売れる商品に繋がらない。結果、全部自分に降りかかってくるんです。だから、お客さんと一緒になって作品を作り、そして自分もお客さんも納得のいく作品をつくりたい。クライアントに福きたれ。ですね。」

「招福図案家」と名乗る所以がわかった。
最後に

「僕は、一生制作者でいたい。依頼がなくなるまで、生涯現役で制作していきたい!!」

と福を招くデザイナー生涯現役を宣言した。

公開日:2008年10月23日(木)
取材・文:株式会社ライフサイズ 東 恭子氏
取材班:株式会社ライフサイズ  杉山 貴伸氏