アニメを作って40年。今でもやっぱり仕事は楽しい
仁紙 義晴氏:アニメート

かつて、南森町界隈には数多くのアニメスタジオがあったという。しかし、あるスタジオは会社をたたみ、あるスタジオは都心へ移り、その数は減少の一途をたどった。現在もこの街に残る数少ないスタジオのひとつが、アニメートだ。天神橋筋商店街にある小さなオフィスビルの一室で、今日もアニメーションが生まれている。

新聞の求人広告をたよりにアニメの世界へ

仁紙さん

現役アニメーターとしても活躍する代表の仁紙さんは、京都出身。新聞で見た2行の求人広告をあてに、テレビCMなどを手がける西宮の制作会社の扉を叩いた。

「べつに映像やアニメが大好きだというわけではなかったんです。たまたま新聞で求人広告を見て、『これや!』と。直感のようなものだったんでしょうね」

当時、テレビはまだモノクロ。一度使用したセル画を洗い、再利用するような豪快な時代だったという。たった15秒のCMに必要なセル画が360枚。仁紙さんが最初に任された仕事は、セルの彩色、訓練の必要なトレースやレタリングだった。しかし、当時は人材の流動が激しく、仕事を教えてもらう先輩が固定しない。このままではダメだと1年ほどでレタリング専門の制作会社へ転職。テレビCMに使うテロップカードやフィリップカードを制作した。その後、知人に誘われた会社でヤン坊マー坊天気予報のタイトルや背景美術を担当。やがてカラーテレビの時代になると、天気予報以外のアニメーションを次々と手がけ、30歳でついに独立。アニメートを立ち上げた。

数々の有名なテレビCMを制作

松本引越センターやフジ昆布、改源のCMなど、これまで制作したアニメーションは数知れず。有名な広告賞・ACC賞も受賞した。

「実は、独立するまでアニメーションのディレクションをしたことがなかったんです。もちろん知識はあったので、なんとかこなしているうちに複数のプロダクションから声をかけてもらえるようになりました。仕事しながら勉強させてもらっていたようなものです。おかげさまでいろいろなCMをつくることができて、すごくいい経験になりましたね」

10年ほど前、アニメ業界がセルからデジタルへ以降したときも時流に乗った。それでも、原画や動画は今も手描きすることが多い。

「デジタルを導入した頃はクオリティが落ちるような気がして心配でしたが、今は慣れたものです。僕はパソコンが大の苦手なんですけどね。ウチの優秀なスタッフがいなかったら、10年前に倒産してたかもしれない(笑)」

人を楽しませるアニメを作り続けたい

仁紙さんとスタッフ

現在、同社のアニメーターは仁紙さんと秋次美穂さんのふたり。仁紙さんはしっかりと描き込まれたキャラクターが得意で、秋次さんはゆるくて可愛らしいキャラクターを描くことが多い。タッチは異なるものの、どちらのイラストも見ていると幸せな気分になれるような、まぁるい雰囲気が共通している。

「僕は自分を職人だと位置づけているので、与えられたさまざまなキャラクターを動かし、完成した作品を見て喜んでいただければ幸せ。テレビ番組によくある残酷な描写は好きじゃないですし……。やっぱり、楽しいアニメーションを作りたいですよね。人を楽しませるアニメを作るためには、まず自分が楽しまなきゃいけないんです。僕は楽しんでこれたから、それでいいんです」

楽しみながら仕事する。言葉にすると簡単だが、数十年に渡ってひとつの仕事を楽しむのは、容易いことじゃないはずだ。でも仁紙さんは、地に足をつけながら淡々とそれをやってのけている。これまでも、これからも。

公開日:2008年04月16日(水)
取材・文:岸良 ゆか氏