動物たちの豊かな表情に癒やされる
佐藤 邦雄氏:(有)クニオ

佐藤氏

スイートバス

愛らしく微笑ましい動物たちのイラスト。見る人を優しい気持ちにさせてくれるのは、たぶん、佐藤さんが動物のようなピュアな思いで描かれているからに違いありません。
繊細でリアルなタッチで描かれた動物イラストの数々は、どれもドラマの1コマのよう。擬人化されているとは言え、動物たちの豊かな表情に喜怒哀楽を読み取ることができます。

なりたくなかった看板屋

仕事場の風景

俺にほれるなよ、シュボッ

もともと佐藤さんは「絵かき」の血筋だったのか、御尊父は映画の看板職人さん。でも、当の佐藤さんは「父とは違う道に進もうと思って」と、実家の四国・徳島では土木を学んでおられました。けれど、理数系の学科でありながら「数字が苦手」と挫折。高校卒業後は「魚釣りばっかりしてました」と、これといって何をするでもなく数ヵ月を過ごされます。しかし、いつまでもそうしてるわけにもいかず、結局は父親のツテで大阪にある看板屋さんで修業することになりました。

ところが、ベニヤ板や角材で看板を描くためのキャンバスを作ったり、下地を塗ったりの下働きばかり。「看板屋を辞めて表具屋になろかと思ったほど」と、仕事で絵を描くことはありませんでした。それでもプライベートでは絵を描き始め、しだいにその魅力にのめり込んで行きます。
当時は油絵を習いに「具現展(現・具現美術協会)」に通ったり、通信教育でデザインの勉強も。「みんなが寝静まってから布団の中で絵を描いていました。休みの日は早起きして油絵の道具を持って風景を描きに出かけるのが楽しくて」という日々を過ごされます。

貧乏してでも絵が描きたい!


吹けよ風呼べよ嵐

逆に仕事の方は、映画産業が斜陽になって看板の仕事も下火に。佐藤さん自身も鳴かず飛ばずで落ち込んでいました。しかし、一方で出品したレコードジャケットの作品で賞をいただくなどの評価も受け、「絵を描きたい」という思いは募るばかり。
看板屋として行く末には悶々としていましたが、それでも絵を描いていると楽しく「貧しくても絵を描いて行くことができれば」と、思いを新たにします。当時はイラストや挿画を描くのもデザイナーの仕事で、絵を専業とする職ではありませんが、「絵を描く仕事」を目指してデザイン学校の門を叩きました。

職場は「極端から極端」へ


生きるってなんだ?

デザイン学校卒業後、商業デザインの大御所である今竹七郎氏の事務所へ入ります。当時の一流デザイン事務所はモダンでオシャレな職場でしたが、明治生まれの大先生で「仕事中は私語禁止。上の者にモノを申すことは天に唾を吐くのと同じという風でした」という厳しさ。そのくせ「先生が居なくなると先輩たちがダラダラしてて、そこは嫌いでした」と違和感が。また、当時は住友銀行へ出向しての仕事もあり「服装もキチッとして行かないとダメで、それも苦手で」。何より「罫線1本引くのに、いちいち上の人の意向やお伺いを立てるのが性に合いません」などなど、いろいろとなじめませんでした。
そういう思いでいたところに同僚が辞め、エーシーというデザインプロダクションに移ります。その後、その同僚に誘いを受けたのをキッカケに、佐藤さんもエーシーに移りました。

こんどは一転して社風も真逆で自由奔放。けれど、恐ろしく忙しい会社で「入社したその日にチラシを任され、その日にアップさせられた」というほど手も足りない。でも、前の職場とは違ってドンドン仕事を任せてくれ「これは自分に合っている」と感じます。
「とにかく忙しくて3日に1度は徹夜でした。みんな殺気だってイライラしてるからケンカも起こるわ、モノは飛んでくるわです」という激しい環境の職場です。けれど、佐藤さん自身はやっと活躍の場を得て仕事に打ち込みます。

目指すはプッシュピンスタジオ

それでも佐藤さんは、デザインをやりたいのではなく絵を描きたいという思いがあります。それを社長に相談すると「じゃぁ、夜に描けば」と、昼はデザインの仕事で夜はイラストの仕事をすることに。その後、だんだんイラストの仕事が増え、当時はまだ珍しい「イラストレーター」という肩書きを名乗るようになりました。
会社も急成長し、社内でもイラストレーターが増え、入社1年後には佐藤さんのセクションは「イラスト部」という部署に育ちます。さらに佐藤さんが35歳の時、分社独立する形でスプーンを設立。ニューヨークのプッシュピンスタジオのようなイラストレーター集団で、日本では珍しいタイプの会社として注目されます。


昔の作品

ですが、エーシー入社からスプーン設立後まで、がむしゃらに描いてきた佐藤さんの手が止まります。「それまで仕事では線画のイラストを描いてたんですが、僕と同じような絵を描く人が出てきたんです。それで、それまでの絵を捨てようと思ったんです」と、現在の作風の原型であるリアルタッチのイラストへと移行されます。

動物イラストの作風確立へ

下書き
作業途中

けれど、単なるリアル画なら描く人はいくらでもいます。佐藤さんは細密なリアル画に「オリジナリティーを」と模索されます。その一方、モチーフとして「ずっと、動物の絵を描きたかった」という思いがありました。そうした思いが児童書の絵本の仕事へつながり、その作品が講談社の「イラストレーション年鑑」に掲載されます。これをキッカケに、動物イラストの依頼がやって来るようになりました。

素材とイラスト

佐藤さんは、単に動物をリアルに描くのではなく、そこに人間をオーバーラップさせます。実際、描かれるのには人間のモデルを使い、イメージしたポーズで服のシワの入り方や影の流れ方などを研究され、独自の「動物のような人間」もしくは「人間のような動物」を生み出されます。

「みんな、犬とか猫とか動物を見るときは人間を見るときと違うでしょ。動物は人間の心を開けさせるものがあるんです」。そう話す佐藤さんのまなざしこそ動物のよう。あたたかく柔らかで、心穏やかに優しい気持ちにさせてくれる佐藤さんの絵。いちど見ると、たちまちファンになってしまう不思議な世界が広がります。

PS.
取材後日、佐藤さんより「取材時ではうまく言えませんでした」と、以下のメッセージをいただきました。本文とは別に、佐藤さんの思いを付け加えさせていただきます。

「若い頃、看板屋さんで働いていたことが恥のように思い、遠回り・回り道をしたと思っていました。この頃になって、あのうまくいかず、貧しく、見るもの、聞くもの、回り道のあの頃、身にしみたあの頃。得るものが沢山あり、あの頃が財産のように思えます。若い人には近道は信用出来ないと、時々伝えていますが。」

佐藤 邦雄

公開日:2008年02月05日(火)
取材・文:福 信行氏