世界観を分かち合う仕事
波多野 裕典氏:(有)ブリューナク

企画からデザイン、プロモーションまで自分たちの手で

pulパンフレット

10月30日「この街のクリエイター博覧会2007(通称:このクリ)」の「大阪名物★博覧会」トークセッションで「pul」と名付けられた愛らしいコミュニケーションロボットが発表された。
このpulのデザインの生みの親が(有)ブリューナクの波多野裕典さんだ。「pulは自分たちがやりたいことに近いことができた」と物静かな口調で波多野さんは振り返る。
pulは大阪のロボット会社が作ったコミュニケーションロボットだが、デザイン面で未完成な部分があったため、波多野さんが手を挙げ、企画からデザイン、プロモーションまで手がけた。これは「投資」なのだという。そこまでして波多野さんがやりたいこととは何だろう。

自分の意思を相手に伝える

波多野さん

その前に波多野さんの経歴に触れておこう。波多野さんは自動車メーカーのカーデザイナーだったが「大きい会社は自分がやっていることに対する結果が見えない。誰のために作っているのかよくわからない」ジレンマを抱えていた。才能もモチベーションも維持するのが難しいと考え、フリーランスとして独立した。

が、メーカーという閉鎖空間にいた波多野さんの場合、コネクションがほとんどなかった。
そこでまずはいろいろなところに顔を出し、いろんな人に出会うことを心がけた。
独立後の第一歩は、人脈づくりから始まった。ただ人に会うだけではなく、仲よくなることに努めた。

さらに大切なのは人脈を維持すること。
のどから手が出るほどほしくても「仕事をください」なんて一切いわない。「人間関係を作ることだけを考えた」。
そのためには友だちになり、ボランティア的な協力もする。
もう一つ心がけたのが「自分が何をしたいのか相手に意思を伝える」こと。これが波多野流人脈づくりのコツだ。

実績も経験も自分たちのポテンシャルを広げる

波多野さんはフリーランスの立場にも限界を感じていた。
プロダクトデザインは組織として造りあげるものだ。
自分のやりたいことを整理していくと、デザイナーだけのグループではできる範囲が限られてくる。
仕事について踏み込んで話し合える「塊」が必要だと考えた。
そんなとき、現在のビジネスパートナーと出会い「意外とすんなりと」起業。
2005年8月、(有)ブリューナクが誕生した。

ただ、出だしから仕事があったわけではない。
まずは信用を得ることが一番。
最初は仕事を選ばず、どんな小さな仕事も手を抜かず、やったことのない仕事すら「できます」と言って、結果と技術を身に付けてきた。
ビジネスパートナーはライター・広報マンだ。シナジー効果をねらいながら、仕事の幅を広げていった。

現在、同社のスタッフは波多野さんを入れて7人。デザイン部門、ライティング部門、パブリシティ部門の3つの部門で構成されている。
3部門とはいうが、3つが別々の仕事をするのではなく、ひとつの事柄についてデザインとライティング、広報を同時に展開し、新たな切り口のものづくりを提案することを目指している。
デザイナーだけ、ライターだけでは限界があることも違う目を持った人間がそばにいれば、世界観を分かち合うことができる。
一人では得られない新たなアイデアや知らない世界に出会うこともある。
同社のウェブサイトにある「足し算ではない創造力」とはそういうことだ。ものを企画し、デザインを作ってプロモーションをする。
そこまで自分たちで手がければ、得られたデータは次の企画に生かすことができる。すなわち、実績も経験もすべて自分たちのポテンシャルや知識の幅、視野を広げる要素になる。

ものづくりと連動する部分をすべて手がけたい


大阪モノポリーを説明する波多野さん

この考え方に最も近いことができたのが前出のpulだ。
とはいえ「まだ納得できる仕事はない」と波多野さん。
「3部門が一致して納得できるものにしなければ、本当の納得は得られない。企画からブランディング、デザイン、広報までものづくりと連動する部分をすべてやりたい。そのうえで評価され、売れて初めて満足すると思う。それが当面の目標」。
さらに「限られたメーカーの押しつけではない、ちょっと違う面白いものが作れたら」と将来の目標を語ってくれた。

大阪モノポリー盤面
大阪モノポリー盤面

現在、波多野さんは日本モノポリー協会のメンバーとともに、大阪の企業が名を連ねる「大阪版モノポリー」の制作に携わっている。盤面は波多野さんのデザインだ。「やはり会社は地域あってこそ。大阪にいる以上、やはり大阪に貢献したい」と手がけることにした。実現までにはもう少し時間がかかるが、知られざる大阪名物満載のモノポリーで遊べる日が待ち遠しい。

鳴川氏

公開日:2008年02月05日(火)
取材・文:オフィスなる 鳴川 和代氏