つかう人とともに時代を超越していく“空気”をつくりたい
高橋真之氏:masayuki takahashi design studio

穏やかでありながら、どこかピンと背筋の伸びるような気配。研ぎ澄まされた線の美しさと余白のバランス。インテリアデザインを軸に領域を超えて活動する髙橋真之さんのクリエーションには、空間、プロダクト、グラフィックどれをとってもある共通したトーンが感じられる。業界のメインストリームからやや離れた場所で、共通項でつながった人々とコアな世界を築き上げることを楽しむ彼の、過去・現在・未来とは。

高橋真之氏

流されるまま、何かを模索し続けた20代

髙橋さんが「空間をつくる」仕事に憧れを抱くようになったのは高2の頃。安藤忠雄ら有名建築家の仕事を入口に、インテリアや家具へと次第に興味は広がり、大阪モード学園インテリア学科へ進学した。
「学生の頃は、家具ブーム、ミッドセンチュリーブームにどっぷり浸かって、イームズとかマーク・ニューソンとかに憧れていましたね」
「デザイン小僧」だった二十歳前後の日々を、そう振り返る髙橋さん。卒業後は専門学校時代の講師のもとでアシスタントを務めたのち、人づてで紹介のあった設計事務所に就職。スーパーやチェーン店のカフェなど、ある程度仕様の決まった店舗の図面書きをこなしながら仕事を覚えていった。「流されるまま生きてきただけ」と自らを評するように、とくに独立志向があったわけでもなかった。それでも、会社勤めのかたわら「東京デザイナーズウィーク」や「ミラノサローネサテライト」に挑戦的なオリジナル作品を応募するなど、理想と現実のはざまで何かを模索するような日々が続いた。


丹波篠山の古民家のリノベーション。「通り土間」の名残をそのまま生かしつつ、新たな光と闇を生み出した。
写真:笹倉洋平 ※「東古佐の家」arbol 堤庸策氏と共同設計

光と間。その根源的な感覚をつかんだ、2年の月日

2011年、転機は突然訪れた。兵庫県丹波篠山の里山にある、廃屋となった旧郵便局舎のリノベーション相談を知人から持ちかけられたのだ。さらにそのオーナーは、当初個人アトリエに使うつもりだった計画を変更、髙橋さんをディレクターに起用し、ギャラリースペースとして運営していくことを決める。何年も使われていなかった木造局舎は、朽ちかけてはいたものの、古い郵便窓口カウンターに美しい光が落ち、唯一無二のポテンシャルを秘めていた。
「ちょうどその頃からアンティークとか古いものの質感に興味を持ち始めていて。30歳を目前に“このまま会社勤めを続けるのか?”という思いも芽生える中で、ぽんと背中を押してもらった感じでした」
一から物件をデザインするのも、リノベーションも初めてだったが、同じ感性を共有できる建築士の堤庸策さん(arbol)を共同設計者に迎え、デザイン面と構造・強度を両立しながら、思い描くイメージを具現化。オーナーと一緒にアンティークの買い付けでフランスに飛び、真剣勝負でものと向き合った。古いものと新しいもの。西洋と東洋。異質なものが溶け合う世界観をめざし、ディテールはシンプルに、質感にニュアンスを込めた。コリシモと名付けられたこの場所は、JCDデザインアワード2012で、見事金賞に輝く。
「イベントの企画運営や集客は初めての経験だったから、大変なこともあったけど、自分の設計した空間で時間を過ごして、その光や空気の変化を体感できたのは大きかったですね。金曜の夜に泊まり込みで展示準備をして、夜明けに目覚めて朝日を浴びながらぼんやりして、それからあたりを散歩したり、っていうのがすごくいい時間で。真夜中でも月明りってこんなに明るかったんだって気づいたり、光に対する感覚が大きくアップデートされたというか。コリシモで過ごした2年間の前と後とでは、自分のつくるものがまるで別人のようにガラッと変わりましたから」



ペンキの剥げた外観や郵便窓口のカウンターなど、この場が持つ時間の蓄積を活かしながら、新しい命を吹き込み文化発信拠点として甦らせた「コリシモ」。
写真:下村康典氏 ※「colissimo」arbol 堤庸策氏と共同設計

施主との関係性を、時間をかけて丁寧に築きたい

異質にしてかけがえのない2年間を経て、2013年夏にコリシモから退き、フリーランスとして本格的に活動を開始。現在の仕事のオファーは、コリシモ時代に生まれた縁であったり、どこか共通項でつながって信頼関係のベースがある人からばかりだという。営業もとくにしていないが、気になるお店やイベントにまめに足を運び、時にはイベントのサポート役になったりしながら、同じ感覚で共鳴し合う人々と交流することは大切にしている。
「僕の場合、依頼を受けてから、実際に図面を書き始めるまでにたっぷり時間をかけるんです。その人の暮らしや好きなものを理解する時間が必要だから、その人とプライベートで遊びにも行きますし。でもそれはすごく恵まれたケースですよね。普通は1~2回打ち合わせして、すぐに図面を書いて2~3案出して『何か違う』と言われて修正して……だと思うんだけど、僕の場合、コミュニケーションに時間をかける分、1案しか提案しないし、それで備品の細かい見直しなんかはあったとしても、デザインの方向性の修正はほとんどない。僕の感覚を信じて、任せてもらえるんです」



施主である友人夫妻に「髙橋さんたちが僕たちにこんな生活をしてほしいと思う家をデザインしてください」と委ねられた古民家リノベーション。
写真:笹倉洋平 ※「東古佐の家」arbol 堤庸策氏と共同設計

家具作家や金工作家など、信頼できる個性豊かな仲間も増えた。時には、空間のみならず店舗のロゴ・名刺などグラフィックデザインまで手掛けて、トータルな世界観をつくり上げることもある。
「個人店さんの場合、僕らが店舗を作る時点で、ロゴができてないっていうケースがほとんど。せっかく自分たちが関わるのに、グラフィックが惜しいものになってしまうのはいやなので、こちらから提案する場合もあります」
ことさらトータルプロデュースを売りにしているわけではない。「自分のやりたいことをやっていたらこうなった」と言う。



大阪市都島区にある「三好パン」は、「みんなに愛される街のパン屋」をめざし空間づくりからネーミング、ロゴ、グラフィックまで手がけた。
下写真:下村康典氏 ※「三好パン」arbol 堤庸策氏と共同設計

その場の空気感をいかに磨き上げ、
つかい手にゆだねるか

独立わずか3年足らずの間に、印象的な数々の物件を手がけてきた髙橋さん。今後自分自身が進む道を、どのように見ているのだろう。
「5年10年経ったら、もっとニッチな世界に行ってそうな気がします。つまり、個人でもとくに好みのはっきりした、独特の美意識を持つ人のためにつくっていくんだろうなと。万人受けは無理だけど、たとえ少数でも強く好きになってくれる人がいれば、それでいい。……とかいいながら“売れ筋”をつくれる人を横目で見て“あ、ちょっと悔しい”と思ったりしますけど(笑)」
個人対個人で仕事をしていきたいから、意思決定者のはっきりしない企業や公共の仕事は絶対無理だろうなと笑う。惹かれるのは、計算が行き届いているのに、ごく自然で作為を感じさせないもの。「美しい」と直感で感じるもの。
「東京の老舗飲食店で、究極だなって感動したところがあるんです。そこは決してデザインが主張してはいないのに、余白がたっぷり取られて居心地がよくて、店員の動きや身なりも整然として、厨房を眺めてるだけでも飽きない。お客さんもちょっと居住まいを正して、そこで過ごす時間を楽しんでいて、店の人と空間とお客さんが、三者一体となって“場”をつくっているんです。空間に足を踏み入れただけで涙が出そうになったのは初めての体験で……。そんなふうに、空間を理解して使いこなしてくれる施主さんとの関係性を築くことは、100の仕事を150にも200にもできること。そうやって生まれる空気は、時代性や流行りすたりを超越したものですよね。そんな仕事をしていければ、幸せだなと思います」



自宅でパン工房・教室を営む「ippo plus」の改装は、築 50 年の平屋が持つ気配を引き算で活かし、静謐な空間に磨きをかけた。

公開日:2016年02月29日(月)
取材・文:クイール 松本幸氏
取材班:株式会社一八八 北窓優太氏