クライアントが笑顔になるデザインをつくりたい
本倉規雄氏:MOTON DESIGN

本倉氏

大正時代の雰囲気を今に残す、西天満の大江ビルヂング。その一室にMOTON DESIGNはある。本倉氏は広告、販促ツール、パッケージなど、幅広いジャンルの制作を1人でこなすデザイナーだ。第一印象は物静かなクリエイターという印象ながら、人とのコミュニケーションも大の得意。ひとたびスイッチが入ると、会話のエンジンがフル回転で動き出す。「これまで人の縁で仕事の幅を広げてきました」という本倉氏が、如何にデザイン力とコミュニケーション力を磨いてきたのか。その一端に迫ってみた。

酒場で培ったコミュニケーション力。デザインの原点はアメコミから

「父と母は元ヤンキー。二人ともシャキシャキの昭和の親父と母親。ファッションや家のインテリア、ライフスタイルは、デザインとは全く無縁の家庭でしたね」と笑う本倉氏。腕のいい大工だったお父さんは仲間も多く、いつも友人知人に囲まれていた。必然的に本倉氏も多くの大人たちと関わり、幼いころからお父さんに連れられ、近所の焼鳥屋やスナックに行っていたという。
そのような環境ながら、本倉少年はトム&ジェリーやミュータントタートルズ、ポパイなど、アメリカのアニメに熱中し、小学校では漫画部に入ってギャグマンガを描く漫画少年として育った。その後、絵画やイラスト、写真や映像作品などのデザインの世界にハマり、高校時代に、様々なクリエイティブのジャンルと関われる仕事がしたいと、グラフィックデザイナーを目指して専門学校に入学する。


60年代のお気に入りのグッズに囲まれた事務所内

仕事に、飲みに。夜を徹した東京時代

専門学校の卒業制作では、あらゆるジャンルのクリエイターを紹介するフリーペーパーを創ろうと、資金集めから取材、コピー、デザインまでを一人で担当。デザイナーやイラストレーターはもちろん、仏壇職人や大工、道をつくるという理由で土木作業員にも取材した。専門学校卒業後1年間は、その縁で知り合ったクリエイターから仕事を受注しフリーデザイナーとして活動していたが、「基礎がないまま続けていても、デザイン力は上がらない」と意を決して上京。「まずは自分を鍛えるためにハードワークな会社に入ろう」と、雑誌の表紙や広告を扱う小さな制作プロダクションに就職する。
「仕事は予想以上にハードワークでしたね。肉体的にも精神的にもきつかったです。“デザインは見て覚えろ”という職人のような世界。何故このデザインがダメなのか全く説明してくれず、怒られている理由も分からない状態で悩んだこともありました。標準語はきつく聞こえるので、余計に堪えましたね(笑)」。
その一方で、先輩たちには六本木のバーや外国人パブなどに、よく飲みに連れてもらったという。
「徹夜続きの仕事の後に朝まで飲み明かし、そのまま仕事ということもよくありました。僕は元々、お酒の場が好きだったので率先して行ってましたけどね」と笑う。

最小限のリスクで独立。その後も人の縁で仕事が広がる

東京で3年間勤めた後、お父さんの他界を機に帰阪。次はカフェやレストランを運営する会社のデザイン部に入り、店舗の販促ツールや輸入雑貨のパッケージデザインを手がける。
「その会社で扱っていた輸入雑貨は女性やティーンをターゲットとしたチープなデザインが多く、アメコミやフィフティーズ好きの僕に合っていました。オーナーも“可愛いデザインだったらOK”という感覚的な人で、自社ツールだったこともあり自由にデザインしていました」。
その後、もう1社を経験して2009年に独立を決意。知り合いから「この仕事を依頼するから、専任でうちの事務所でデザイン受けてくれないか。事務所代はいらないから」という話が舞い込み、最小限のリスクで独立を果たした。独立当初は価格訴求の不動産チラシをひたすらこなしながら、自分の仕事も広げていったという。
その後、現在の西天満の事務所へ移転。
「僕は、営業活動というのはあまりしたことがないんですよ。友達の紹介、紹介で仕事は自然と広がっていきました。本当に人に恵まれています」。
現在は、アミューズメント施設の販促ツールやパッケージ、金融機関の広告、インテリアデザイナーとタッグを組んで歯科医の内装デザインや販促ツール制作まで、硬軟織り交ぜて幅広いジャンルのデザインを手がける。
「さまざまな業種のお仕事に携われたので、独立後の方がデザインの腕が上がったと思います」と本倉氏。デザインのこだわりポイントについて聞くと、「自分のこだわりを出すことよりも、クライアントの考えを理解し、期待値以上の答えを出して笑顔になっていただく。その方が私も喜びを感じますし、楽しいですね。そこにちょろ〜っとだけ、私のこだわりを入れる感じです」と語る。“人に喜んでもらうこと”が本倉氏のデザインの原点なのだろう。


本倉氏が手がけた歯科医の開業告知ツール

目指すは近所の「オモロイおっちゃん」

本倉氏は、中小企業のブランディングを手がける「TEAM情熱の学校」(主宰:エサキヨシノリ氏)のメンバーに2013年から加わった。エサキ氏と一緒に仕事をこなす中で、クライアントの接待の場に同席したこともある。
今回の取材に参加したエサキ氏曰く、「彼は接待の席で周りの空気を読み、タイミングよく場を盛り上げたり、お得意先の社長を立てるなど、何も言わなくても自然とこなせるんですよ。コミュニケーション能力は天性のものでしょうね」と分析する。小さいころ、お父さんに焼鳥屋に連れられ、東京時代に先輩と飲み明かした体験が生きているのだろう。
「仕事仲間や友達と飲むのは好きですし、今でも近所のおっちゃんと飲みに行くことも多いですね。隣のおばあちゃんとランチすることもありますよ(笑)。人生の先輩の話を聞くとタメになりますし、何よりも楽しいですからね」。
ご自身の将来の目標も「オモロイおっちゃん」になること。「これまで手がけていない分野に挑戦したいと思っていますが、デザインだけに執着したくはないんです。手を動かす作業は誰かに任せて、僕はディレクションに専念したいですね。もっともっと先の将来は、田舎でペンションのオーナーか農業でもやっていければいいですね」と笑う。
そんな本倉氏が、今、ハマっているのが中古住宅のリノベーション。川西の山奥の中古住宅を、友人たちの協力を得てモダン住宅に改造中だとか。将来はご自身の家族と一緒に住もうと計画している。
また、プライベートでも多彩に活動。英国紳士淑女の装いで街中を自転車で走行する「ツイードランOSAKA」の実行委員も務めている。仕事に、プライベートに、飲み会の場に、本倉氏の活躍の場はこれからも広がっていくのだろう。


「ツイードランOSAKA」の様子。
ツイードなどを羽織った英国紳士淑女風の人たちが、市内を自転車で走行。休憩所ではティータイムを楽しむ洒落たイベントだ。

公開日:2014年03月06日(木)
取材・文:一心事務所 大橋 一心氏
取材班:情熱の学校 エサキ ヨシノリ氏、江竜 陽子氏