価格競争に巻き込まれないクリエイティブの形を求めて
山下 ヒロミチ氏:LUK(株)

山下氏

2009年の12月25日、クリスマスに設立されたラック株式会社は、今年で創立4年目を迎えた。大阪「うめきた」近くに拠点を置き、webサイト制作を行う同社の代表を務める山下ヒロミチ氏には、設立当初から変わらない想いがある。それは「質の高い商品を、適正な価格でお客様に提供すること」。価格競争が激しい大阪のweb制作の現場で、実際に行うのは簡単なことではない。
現在、業績は年々成長の一途をたどっている。メビック扇町のロビーにて、独立のキッカケ、制作へのこだわり、今後の方向性まで語っていただいた。

すべてのはじまりは大学時代から

「将来は愛着がある神戸でカフェを開いてみたいんです」開口一番に、少し冗談めいた口調で話してくれた山下氏。兵庫県神戸市に生まれ、少年時代を過ごした神戸への愛着は深く、小さな飲食店から、ちょっとしたショッピングスポットまで、地元の話題を話す時の表情は明るい。
地元の私立高校を卒業後、大学で経営工学を専攻するが、大学の勉強にはあまり有益なものとは感じられなかった。しかし、現在の山下氏を形成したのが、大学時代というのが面白い。
1つは、自身が立ち上げたイベントサークルの運営。当初は、参加人数が少なかったサークルは、3回生を迎える頃には100人を超えるメンバー構成となり「人を動かすという、経営者的楽しみを初めて感じた」サークル運営に熱中した。
2つめは、ふと受講してみた、大学のホームページ制作の授業。制作に興味を持ったキッカケとなった。Linuxを使い、自身の写真などをアップしたりするもので、簡易なものだったというが、出来上がっていくページを見て、「純粋に楽しかった」という。課題の評価も良く、ますますホームページ制作に魅せられた。当時は今ほど「ホームページ」という単語が世に浸透していなかった時代。
「もともと熱中しやすい性格なんです」専攻する経営工学ではなく、“モノ”を作ることに楽しみを覚えた。卒業後、半ば必然的に神戸のweb制作会社に就職した。

精神的に鍛えられたサラリーマン時代


あひる保育園

「とにかく精神的にも、肉体的にもキツかった」と、web制作会社での勤務時代を振り返った。厳しい環境に身を置いたことで、大学時代専攻外であった制作の技術は勿論、同時に精神的に鍛えられ、社会人としてのスキルを形成していった。
「今から思うと、若いうちに辛い思いをしたことは今に繋がっています」。ただ、営業主体の経営スタイルだったため、こなす仕事の量は膨大で、クライアントも、自分自身も納得するような、クリエイティブを追求できる時間も環境もなかった。約1年で退社し、「技術力が高く、今の自分の技術を引き出してくれた」という別のweb会社に転職。
大手企業からの受注が多く、やりがいもあり仕事に没頭した。高いレベルでのweb制作のノウハウ、管理職としてのマネジメントの経験、ディレクターとして過ごす慌ただしい日々。実は、1度環境を変えたくて、他社に面接を受けに行ったこともある。
「他人のせいにしないで、自分のことを見つめ直すこと。今の会社で死ぬ気でやって、自分が会社を変えるくらいの気持ちでないと、何処に行っても一緒」名前もわからない面接官の叱責が、キッカケが掴みきれず悶々としていた自身を変えることになった。
その後は文字通り、“死ぬ気で仕事をした”。その結果、クリエイターとしての、管理職としてのスキルは一人立ちできるレベルまで到達していた。7年の歳月が流れる中で、漠然と思い描き始めた「独立」の2文字。2009年夏、「大きな仕事を、より良い仕事を自分の手で造り上げたい」というシンプルなこだわりを追求するため、退職を決意した。

独立の悩みよりも、何もしない時間が1番辛かった


次世代ロボット開発ネットワーク
RooBO

もともと独立を考えていましたか?という問いに、山下氏はNoと答える。
ルーツを辿ってみれば、身内に経営者が多い。祖父は神戸で運送会社を営み、祖母は飲食店を経営していた。
周りからは「ポジティブ」と言われることが多い。私生活、仕事面でも「ポジティブ」な側面が垣間見えるエピソードがある。
24歳で結婚した山下氏は、現在11歳の娘と9歳の息子を育てる2児の父。25歳の時に一件家を購入した。家を購入する際、奥さんに任せて下見にも全く行かずに、あとはハンコを押すだけという状況だった。今では笑い話というが、山下氏の豪快さをよく表している。
仕事面でも、独立の際に大きな不安はなかったという。「よく『独立するって不安ではなかったんですか』と聞かれましたが、会社設立ってお金があれば誰でもチャレンジできるんです。結局はやるか、やらないか、だけの差だと思います。」30代前半での決断に、周囲からの反対の声がないわけではなかった。自分自身、不安が全くなかったといえば嘘になる。
だが、最も辛かったのは、退職後から独立するまでの2ヶ月間のタイムラグであったという。「毎朝職安に並んで、家に帰るだけの日々でした。」働き詰めだった山下氏にとっては、人生での中で「地獄」とも言える最も辛い時期となった。
2009年12月の会社設立後は、細部にこだわるデザイン、最終の確認はすべて自分で行うというコーディングをベースに、高いクオリティを維持し続ける仕事で、周囲の不安の声をかき消した。

女性が働きやすい会社造り

現在会社は、ディレクター、デザイナー、コーダー、イラストレーター、コピーライターと社内で仕事が完結するスタイルをとっている。山下氏以外は全員女性だという。ラックの特筆すべき点は、基本的に残業はNGだと言う点だ。
「例えば、3時間だらだら仕事をするのと、1時間集中して仕事をする。効率性や制作の質を考えると、1時間集中して仕事をするほうが良いものができますし、従業員も自分の生活を大切にできます」現在の山下氏の役割は、営業とディレクションがメインであるが、現場出身のため制作スタッフの職場環境には、非常に理解がある。「子供が大好き」と公言する山下氏も、独立後に子供と過ごす時間が増えたという。
将来的には、今よりもっと女性が結婚してからも安心して仕事をできる環境を作っていきたいという。「クリエイティブに関しても、女性は非常に繊細です。個人的には、女性のほうが根性もある気がしています。自分にできないことができる、という意味でも女性社員を尊敬しています。だからこそ、女性が働きやすい環境を作るのが、経営者の仕事だと思っています」

「思いを叶える企業」から「考えをカタチにする企業へ」のシフト

山下氏

現在ラックが受注する案件は、大半が紹介を占める。設立当初は営業もかけていたが、「たくさんの仕事を受けて、ひとつひとつの仕事に対して手を抜くようなことは絶対にしたくない」という信条と、価格面に執着するクライアントの想いは交わることはなく、現在、新規営業は行っていない。
「デザインで考えてみても、2万円と4万円のデザインでは掛けられる時間が違うので、当然クオリティも変わってきます。弊社の価格ははっきり言って、安くはありません。ディレクション、デザイン、コーディング、イラストなどすべてを非常に細かく考えています。たとえ安くなくても、納得していただける仕事ができれば “価格”ではなく“質”でクライアントの皆様と信頼関係が築けると思っています。その結果として、売上がついてくるものだと思っています」
今年に入り「思いを叶える企業」から「考えをカタチにする企業」に企業理念は変わった。今後は、web制作以外にも新しいサービスを生み出していくプランも頭の中にあるとのこと。
「一生懸命制作した仕事を、お客様に喜んでいただき“また山下さんにお願いしたい”と言っていただいた時は、本当にこの仕事をしていてよかったと思います。」お客様の考えをカタチにする、ということを今後も追求し続けたいです、と更なる飛躍を誓う言葉で締めくくった。

公開日:2013年02月19日(火)
取材・文:栗田シメイ 栗田 シメイ氏