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田中 敦士氏:ベルベット・ナンバー

田中氏

昨年12月、中津駅近くに事務所を構えたWeb制作会社「VELVET NUMBER(ベルベット・ナンバー)」の田中敦士さん。理学部出身で宇宙物理のシミュレーション画をコンピューターで作成していたという異色の経歴の持ち主で、Webデザインの仕事に就いてからも、ご自身でプログラムを組んでフラッシュを作成するのが得意、というこだわりのデザイナーです。今回は、事務所設立までの経緯と今後について、お話をうかがいました。

Web制作ユニットからWebデザイナーとして独立

作業風景

10年ほど前、20代後半の頃、大学時代の友人からの紹介で、Web関連業界へと身を投じたという田中さん。専門学校で学んだ後、専門学校時代の仲間4人でユニットを組み、知人の事務所を間借りする形でWebデザイナーとしてのキャリアをスタートさせたといいます。その後、知人の紹介やコンペへの参加で徐々に仕事も軌道に乗り、売上を順調に伸ばしていきました。

「2年ほど経ったときに、大口の販売管理システムの仕事を受注することになったんです。自分は、もっとデザインがやりたかったので、そのときに、ユニットを解散しました。ちょうど半々で2人がシステムの仕事を受注し、僕ともう一人がデザインの仕事をするようになりました。しばらくそれぞれ、フリーとして自宅で仕事をしていたんです」と田中さん。実はそのときの“もう一人”というのが今の奥様で、6年前に結婚。取材時、奥様は臨月で、いつ産まれてもおかしくないタイミングということでした。

「仕事とプライベートの気持ちの切り替えをするために、昨年12月に事務所を開設。ちょうど家族も増えるので、この機会にネットワークを増やし、受注できる仕事の幅も広げていきたいと思っていたところ、メビックのサイトを知りました」とのこと。活発に活動している雰囲気を感じて連絡してくださったそうです。

DMやメールなど地道な努力で1からクライアントを開拓


「株式会社セモア WEB SITE」

独立後は、代理店や制作会社などに片っ端からメールを送ったという田中さん。そういった地道な努力から、クライアントを開拓。また、Webデザイナーの傍ら、専門学校で講師として務めていた時期もあり、当時の生徒さんがたまたま、営業先の企業にいた、などで信頼関係を築ける取引先が広がっていったとか。

「独立後、一時は、これで本当に食べていけるんだろうか、と思うこともありましたが、今のところなんとかやっていけています(笑)。妻はソフトな感性が必要とされるサイトデザインが得意。私はプログラムを書いてフラッシュを作成したり、シャープなデザインが得意なので、それぞれの特性に応じて仕事を振り分けています。複雑なデータをわかりやすくビジュアル化して伝えるといった作品に、評価をいただいています。この業界は、トレンドの移り変わりが激しいですから、フラッシュのニーズも特定分野以外は減っています。特定分野に特化した営業も一つの手法とは思いますが、今後の業界全体の方向性を見据えつつ、強みを生かした展開を考えて行きたい。いろいろ課題は多いですし、まだまだ勉強しないと」と田中さん。取引先からの要望範囲も広がっているので、もっとそのニーズに応えていきたい、と意欲的です。

密度の濃い人間関係の中で仕事に取り組みたい

大阪でWebデザイナーとして独立して10年。Webデザイナーとしてある程度認知されてきたものの、自分自身の“レッテル”に対するジレンマもあるという田中さん。クライアントが発注の際「田中さんにはこれ」と思ってくれるのは自分の個性でもあるが、一方でその枠組みを超えた仕事をしたい、という欲求もあるのだとか。
「もともと性格的にはシャイなタイプで、色々な集まりに参加するタイプでもありません。ただ、今の段階としては、人を増やして仕事の幅を広げていくのも今後の方向性として有力だと考えています。仕事ごとに得意分野のある人たちが集ってチームとして活動し、プロジェクト終了と同時に解散、というワークスタイルも増えていますが、自分としては、もう少し密度の濃い人間関係の中で仕事に取り組みたい。そう考えると、いつまでもシャイだから、とも言っていられませんしね(笑)。」笑いながらそう語る田中さん。新たなステージを見据えて歩み出した田中さんの今後に、注目です。

公開日:2012年10月10日(水)
取材・文:ユーモア株式会社 漆垣 美也子氏
取材班:株式会社マチック・デザイン 松村 裕史氏